HERMES by Martin Margiela
'97年〜'03年の期間、誰もが知るメゾン、エルメスのレディースプレタポルテはマルタン・マルジェラ氏によってデザインされました。
90年代に端を発したミニマリズムの極地であると同時に、エレガンスの概念を大きくアップデートさせたこの時期の作品群は、他の錚々たるビッグネームが手掛けたそれを抑えてHERMES by Martin Margiela と称されます。
これまでで最も多くの情報が市井に溢れているこの時代に我々のブログをお読みいただいている数寄者諸賢にとっては、語ることすら野暮な前置きですが、では何故HERMES by Martin Margielaはここまで評価されるのか。
今回Summer Of Loveがピックアップするアイテムを交えてお話し致します。
老舗トップメゾンとして厳然たる地位を築いたHERMESと、ファッションシステムへの破壊じみたアンチテーゼを投げかけたMartin Margielaは、両者同じファッションウィークを彩るブランドと言えども、ベクトルもアティテュードもほぼ真逆。
真逆どころか
ねじれの位置に存在する両者ですが、その美学が混じり合い生まれたエレガンスは、それが例え1枚のカットソーであったとしても、HERMES社が持つ物作りへの姿勢、そして何よりMartin Margielaのデザイン力を力強く映し出します。
では、先ずはこちらのご紹介。
HERMES by Martin Margiela
Buttonless belted jacket from '02 AW
ゴージライン、ポケット位置共ににやや低めのエフォートレスな空気感。
前に出過ぎることの無い淑やかなアイスアイボリー。
加えて、写真でさえ伝わる美しいドレーピング。
そしてこの1着が、他の誰が作るジャケットとも明確に違うディテール。
それは身頃の前端です。
専門的な用語の多用は控えたいのですが、テーラードジャケットをはじめとする多くの洋服の裏側には「見返し」と呼ばれるパーツがあります。
これは衣服の成形保持や着心地の向上のために存在します。
この見返しを表地と繋げて製図したのがこのジャケット。
ラペルエッジを中心として、線対称に見返し前身頃をカッティングすることで、前端を輪で仕立てるという文字通りの神業。
ラペルの小さなディテール1つのために、
細部の製造工程数と求められる技術力は
桁違いに跳ね上がります。
このあまりに静かでミニマルなルックスは
多くを語りかけてくることはありませんが、
此方が歩み寄った途端静かに流れてくる膨大な量の機知は、市井に溢れ返る洋服の全てを凌駕します。
続きましてブラック。
両端はリネンファブリックのセットアップ。
真ん中に挟まれているのがコットン×シルクシフォンのスイッチブラウス。
ヴァルーズデザインに通ずる深いデコルテ。
バストラインより上をスキッパーに、
ウエストラインより下をシースルーシフォンに。
この切り替えは何のためのデザインでしょう。
ヘルシーな印象をキープした上での肌見せ、はたまた隠れがちなボトムスデザインの可視化…。
様々な解釈が出来ますが、HERMESでこれをやる理由となると、ベルトや腰回りのレザーアイテムの可視化、などが有力ではないでしょうか。
襟元が深く開いた服というのは気障な印象を拭い切れず、トライしづらいカテゴリの1つでしょう。
しかし他部位の飾り気の無いなディテールや、マルジェラデザイン特有の、不気味なまでに無表情なファブリックがバランサーとなり、驚くほどシックに落ち着いてくれます。
最後はこちらです。
最高級リネンとレザーパイピング。
流石はHERMESといったところで、ラペルのノッチも脇下のスラッシュも継ぎ接ぎ無しのワンウェイ縫製。
アトリエの力量と急角度のカーブにもしなやかに対応する最上質のレザーのなせる技です。
さらに特筆すべきは何と言っても脇下。
このデザイン。
一枚袖のキモノスリーブに内袖が付け加えられた様な袖構成。
写真右端に写る、上襟と一体化してカッティングされた特殊なラペルもハイレベルなパターンテクニックです。加えて、その仕様のせいでラペル周りのパイピング難易度は桁違いです…。
が、この袖はそれが後回しになるほどの面白い仕様です。
もともと身頃と地続きでカッティングされるのがキモノスリーブですが、そこに脇下スラッシュ、そして振袖よろしく内袖分量を追加。
それこそ「着物スリーブ」。
2枚袖にすることで袖は美しい内振りを描くのですが、そこに僅かに滲む和のテイスト。
リネンブラック特有の墨っぽい色味も拍車をかけます。
なんとセットアップでのご用意です。
体型によってはメンズでもトライ可能なサイズ感ということもあり、多くの方に魅力を体感していただきたい逸品。
以上、計4着のご紹介でした。
ゴージャスと対極の位置にいながら
どこまでもラグジュアリー。
成金趣味の手が届くことの無いノンシャランと
素人の理解が追いつくことの無いハイコンテクスト。
脈々と流れるモードの中にいながら
その文脈のどれもを置き去りにした、
確固たるアブソリューティズムの体現です。
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