【あお】小学校高学年男子がモウリーニョに拉致られた話
前置き
Jリーグなら鹿島。海外サッカーならチェルシー。
これが私の大事な要素。
前回、鹿島との出会いについて長々と書き連ねさせて頂きました。
今回は必然的にチェルシーとの出会いについてまたダラダラと書こうと思います。
母よ、J SPORTSをありがとう
サッカーを始め、鹿島を好きになり、小学校高学年になるとなんとなくサッカーのことがわかった気になっていました。
もちろん戦術とか戦略とか采配とか、そんなちゃんとしたものは理解できていません。ドリブルが上手い選手がいる。シュートが上手い選手がいる。そんな感じの”少年の理解”です。
今思えば、戦術が今ほどの精度ではなかったJリーグはそれで観れていたし、その通りの結果になることが多かったのでしょう。どんでん返しもたまにはあるけど、それはそれで”たまに”だから楽しいし。とにかくサッカー観るのって楽しいよねって。そんな時期でした。
ある平日に小学校から徒歩5分の近さにある家に帰宅すると母親が海外ドラマを観ていました。真新しい謎の機械と、新しく増えたテレビのリモコン。CSチューナーが我が家に来た瞬間でした。
新しく目の前に広がった膨大な量の有料チャンネル。そこには「J SPORTS」が。そこから私はプレミアリーグに傾倒することになります。
なんで勝ったん?わからんけど結局勝つやん
あまりしっかりとは記憶していません。なにせ小学生だったので。その当時のサッカー情報は全て地上波サッカー番組頼み。土曜深夜のスーパーサッカー、日曜深夜のやべっちFC。ビデオに溜め込んで母に「容量がなくなる」とよく叱られました。
そんな私に舞い込んだ海外サッカーの波。「0時以降、人は起きていられない」が当然だった小学生の私は、夜更かしを覚えました。
「アーセナルは前年度のシーズンに無敗優勝をしたと、やべっちFCで言ってた気がする。マンチェスター・ユナイテッドには、なにやらポルトガルの若手選手がベッカムの7番を受け継いだらしい。リヴァプールにはオーウェンとジェラードがいるよな。」
チェルシーの名前はもちろん知っていましたが、いまいちピンときていませんでした。ランパードだけは知っていましたが、なんとなくジェラードの方が有名に思えました。まあなんとなく当時のビッグ4の中では地味に見えていたんだと思います。
そんなチェルシーの試合は、いつ観ても途中で眠くなるような、スーパープレイも出なければ、めったに大量得点なんてないし、いつもどことなく既視感が漂う試合ばかり。少年は退屈でした。
でも気づけば最後には勝っていて、気づけばリーグを圧倒的首位で駆け抜けていました。少年は思います。「なんで?」
冒頭でお話ししたように、サッカーに対する”少年の理解”は、派手な選手、優れた選手が多いチームが勝つというものでした。
チェルシーの選手はもちろん強いのですが、”少年の理解”ではもっと強いチームが3つもあったのに、「なんでチェルシーが強いのだろう」という思いでいっぱいでした。
そこからはもうスルスルと滑り落ちるだけでした。
モウリーニョが植え付けた勝利への異常なまでの執念。奇抜な交代策。ジョンテリーの無骨さ。ランパードの舵取り。ドログバの漢っぷり。全てに惹かれ、もう好きでしょうがなくなりました。
気になって毎試合観て、負け試合に立ち会えば「なんで負けたんだよ!!!」と悔しくて仕方ない始末。ひと段落前は「なんで勝てるの?」だった少年がです。そうしてチェルシーファンの少年は出来上がるのです。
【結】
前回は鹿島について語り、今回はチェルシーについて語りました。
勝手な話ですが、楽しかったです。
マッチレポートなどを書く前にこれだけはと思っていた2本だったので、これ以降は試合のレビュープレビューなども交えて書ければなと思います。