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視覚と聴覚をめぐる文化的位置づけ

抽象的な視覚要素と言語要素とが同一形式で扱われ、消費され、流通し、交換されるようなサイバネティクス/電磁的な領域に、視覚性は今後さらに定位されていくことになるだろう。

ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ』

訳者の遠藤知巳があとがきでまとめている通り、クレーリーは、「近代において、見るという営みがある特異な文化的位置づけのもとで社会空間内に編成されている」状況のなかで、「視覚の特権性」に着目し、「『観察者=随順者』の形象を歴史化」することを試みた。

ここで新たに定立できそうな問題機制として「視覚の特権性」に対する「聴覚の随伴性」が挙げられそうだ。今日、視覚と聴覚とが複雑に交差する過程で、「視覚の特権性」が掘り崩され、「聴覚の随伴性」が変容しているのかもしれない。

あるいは、視覚を視覚として単独で取り出す視座が更新されることが求められているのかもしれないし、視聴覚として両者を一括りとして捉える視座が要請されているのかもしれないし、「聴覚の特権性」と「視覚の随伴性」として倒立がなされているのかもしれない。
また、ウォルター・J・オングが論じたように、「文字の文化と声の文化」という文化の時系列での変遷、つまり文明論的に視覚と聴覚を捉えていく視座が招聘される必要があるのかもしれない。

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