知らないうちに両親が仲良くなって欲しくて仕事選んだのかな
心に関する本を読む中で、こんな事が書いてあった。
とても勉強ができた女の子が、受験の年になってから急に全くできなくなってしまったという。
しかも本人は前と変わらず勉強をしているらしい。
本人も理由がわからないと言う。
何か生活に問題があるのかもと先生が、その女の子の最近の周りの状況や、家庭環境、思っていることなど、色んなことを、掘り下げていく中でわかった事がある。
それは、受験の年になって急に両親の喧嘩が増えたということ。そして唯一2人が協力するのは勉強しなさい。と言うときだけ。
だったら自分がその状況を作れば良い。
これが女の子本人すら気づかなかった奥底の気持ちだったようだ。
この事を読んで、泣きそうになってしまった。それは、自分にも思い当たる節があったから。
常々両親の喧嘩のことをなんとかできないかと考えていたし、大人になった今でも、実家に帰って両親の喧嘩を止めずにはいられない。
幼いながらに自分が変われば両親を変えれるんじゃないかって思ってやってみたこと何度も何度もあった。
思い返せば、映像を仕事に選んだのもその中の一つだなぁ。
ある映画を家で両親と3人で見てた時、今まであまり泣いた事がなかった自分が感動して泣いてしまった。
泣くのを見られないように、すぐ自分の部屋に行き、布団にこもった。
その布団の中で、家庭にあんな温かいものを届けられて感動させられるのって本当にすごい。俺も人を映像で感動させてみたい。そんなふうに考えた。
もっと自分本位に決められたらなとも思って、今少し残念な気持ち。
1番感動させたかったのは、両親だったのかな。それとも、自分のような苦しんでる子。
たぶんどっちもだな。
他人本意で選んだ仕事だったから、辛くなっちゃったのかなぁ。
あんまり悩んでもしょうがないか。
今の自分がわかってるのは、自分を1番大切にできなかったこと、人に指示される仕事が合わなかったこと、単純に体を酷使する仕事だったこと。
映像は今でも好きだし、アニメ、映画、バラエティ、情報番組色々見る。
だから映像自体が悪いわけじゃない。
今度は自分本位で自分を喜ばすために映像作ってみても面白いんじゃないかな。
専門学校の時は自分の作りたいもの作って楽しかったし。
また気が向いたらやってみようかな。