セミナーレポート 高知県立大学神原教授からのメッセージ ~データ活用がコミュニティの防災を変える~ (1)
記憶に新しい令和2年の自然災害。地域防災にコミュニティの視点を取り入れる必要性が改めて浮き彫りになりました。ヤフー・データソリューションでは、減災ケアを提言する高知県立大学特任教授 神原咲子氏をゲストスピーカーに、それぞれのコミュニティの特性に応じた防災を、データ活用によって実現する方法についてセミナーを開催しました。この記事ではその一部をご紹介します。
(文:ヤフー株式会社 坂能 恵美)
まずは神原教授のご紹介から。
神原 咲子 (カンバラ サキコ) (Sakiko Kanbara)
・高知県立大学 看護学部 特任教授
・兵庫県立大学 減災復興政策研究科 特任教授
・高知大学医学部 ヘルスイノベーションコース 客員教授
・一般社団法人 次世代基盤政策研究所 上席研究員(他)
神原教授は災害看護学の国際展開に尽力し、防災・減災のために俯瞰的に健康モニタリングができる看護システム「EpiNurse」プロジェクトを主導しています。(詳しくは、高知県立大学の研究者情報参照)
専門を1つ選ぶとすると、とにかく「公衆衛生」とのこと。その活動の場が国内外であったり、被災地であったりするそう。研究対象は社会環境と健康危機管理の関係だそうです。
それでは神原教授が取り組んでいる研究内容について、わかりやすくご説明いただきましょう。
レジリエンスをもって地域の防災力を高める
神原教授:私は高知県立大学の中で、減災、防災と看護の専門家として、レジリエンス(災害対応力) をもってどれだけ地域における防災力を高めていけるか?というテーマについて、人や生活環境に配慮し世話をするといったケアの側面からも考えられないか?ということに取り組んでいます。
いろいろなところで防災セミナーの講師をしてわかったのは、人々にとってのリスク削減行動は多様に違うということ。受講者の状況次第で、セミナー内容が全く響かないことがあるんですね。防災教育の受け止め方の違いは、そもそもの認識や個人の特性といったこと以外に、過去に被災した経験の有無や、災害を頻繁に受けるエリアに住んでおられるか?といったことも影響します。受講者の状況に応じて防災教育のやり方を変えなければ響かない。そして防災教育が響いていない人々ほど、実は教育が必要な防災弱者に陥っているということがわかってきました。災害弱者じゃなく、それ以前の備えの部分で取りこぼされていると。そこをなんとか、まずは日ごろの生活における防災から強くなれないか?と考えています。
私は防災にも取り組んでいますが、看護や公衆衛生が専門でありますので、防災への取り組みの中でも、災害が起きても人々の健康や命を守るとはどういうことなのか?を考えます。SDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」 の17項目でいうと3番の、“すべての人に健康と福祉を”ということや、5番の“ジェンダー平等を実現しよう”、そしてよりよい暮らしというところがテーマになります。
災害が起きても健康であり続けることは、「人権」
神原教授:あらためて健康の定義を考えていきたいと思います。
よく私は、応急処置の方法だとか災害時のメンタルヘルスについて聞かれるのですが、取り組んでいることはそういうことではないんです。大半の人が健康であり、あるいは既に病気を持っておられる中で災害が起きますよね。それでも避難中にその前の自分たちの健康状態を維持できるとはどういうことなのか。そもそも健康とは何か?
健康は単なる「病気ではない」ということではなくて、肉体的にも社会的にも、特に精神的にも、自分たちは今「少しハッピーだ」と言えるような状態が健康だと考えています。私はそれが災害によって脅かされるものではなく、どんな時でも健康でい続けることはひとびとの「人権」だ、という風に捉えています。
公衆衛生とは、人々の健康を守り抜くための科学であり、総力戦のアートである
神原教授:前述の健康が脅かされる状況と言うのは、いまがまさにそうで、コロナウィルスは災害であります。その中で、人々がどのように命を守れるか?というのは個人の努力だけではなく、公衆衛生というものをもって努力できるものなんですね。公衆衛生という単語はニュースなどで、この1年間聞かない日はないくらいだったと思いますが、あらためて公衆衛生は何か?というと、手を洗うとか衛生的によくすることだけではなく、公衆衛生の本当の定義は、病気を予防するだとか健康を守り抜くために、社会や組織(民間の組織含めて)が努力する、情報に基づいて人々の健康を促進するということの科学であり、アートである、ということなのです。そこにいろいろな議論や理論を足していきますが、結局最後は総力戦のアートで人々の健康を守り抜く、ということなのです。
公衆衛生とデータの意外な関係
神原教授:健康の定義、公衆衛生の定義についてご説明しましたが、人々の状態は災害になるとどのように変わるのでしょうか?私たち看護の専門家の中で「基本的ニード」と呼ばれるものを使いご説明します。
「基本的ニード」とは、人間としての生活に最低限必要な基本的欲求で、それを守るための個人的な努力(セルフケア)を指します。図を見ていただくとわかる通り、「正常な呼吸」や「適切な飲食」「体を動かし姿勢を維持する」など、けして贅沢ではない項目が並んでいます。これが日々脅かされるようになると、病気になったり、調子が悪くなることがあります。ですがみなさんこれらニードが守れなくなったからといって、すぐ病院に行きますか? たとえば何か症状がでたり、健診結果で指摘されたとしてもすぐ病院に行かず、まず自分の病気、自分の症状って何なんだろう?と検索する、ということがありますよね。災害のときもそうなのです。今まではなかったのですが、ここ近年、サーチエンジンでいろいろな情報が取れるようになったので、人々は行動を起こす前に検索し、情報を調べてから行動する。それでもうまくいかなかったらこうかな?を繰り返す。これを私たちは「セルフケア行動」の一種だと思っており、この生活行動(検索行動)に、公衆衛生の対策がうまくのらないと、人々と一緒に生活を守っていけないと感じています。
検索は、公衆衛生でいう「セルフケア行動」の一種
司会(ヤフー坂能):いまのお話で、“検索はセルフケア行動の一種”というフレーズが出てまいりましたが、たとえば2020年4月に最初の緊急事態宣言が出された頃には、「コロナ」というワードの検索量がピークに達するとともに、一緒に検索されるワードの数が非常に増えたんです。これもまた、基本的ニードが足りない、不安な状況下におけるセルフケア行動をあらわしていると考えてもよろしいでしょうか。
神原教授:まさにそういうことだと思います。緊急事態宣言のあとに対策がないと人々は動かないというか、動けずに体調が悪くなっていくことが考えられます。そこで「近所の人と助け合わなきゃ」となればよかったのですが、コロナ禍で人との接触を制限せざるを得ない状況だったためそうならずに、このようなセルフケア行動が増大したと考えられます。どんな災害の時でも共助として助け合える努力を、防災のところで推進していくことを、考える必要があったと感じています。
このマップの中でも関心事は性別によって違うとわかるので、こういったデータを見ながら、行政の方々が公助を作っていくという対策もあると思います。取り組み方のきっかけがだいぶん変わってきていると思います。
司会:今ちょうど公助のお話が出てきましたが、こういったデータが揃った現代に、公助はどうなっていくと、先生は見られていますか?
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