「7月の 雨のち晴れの 誕生日」
「花が咲くまでは無理かなぁ」
君は子どものように笑いながら、庭の小さな花壇にひまわりの種を植えた。
一筋の光がさして、君を照らす。
初夏の日差しはまだ柔らかい。
澄み切った青い空から、爽やかな風が吹いた。
−
君は。
一見、粋でさっぱりしている。
でも、時折なぜか自分を追い詰めて、悔し涙を流す。
たくさんのものを抱えているようで、何も持っていないかのようにすがすがしい。
指揮官のように堂々と振る舞ったかと思えば、少女のようにはにかんだりする。
出会った頃から何も変わっていない。それはまるで七色に光るシャボン玉みたいで、僕はそんな君がとても好きだ。
だけど少し目を逸らすと、ゆらゆらとどこかへ行ってしまいそうで。何かの拍子に、パチンと弾けてしまいそうで。目が離せない。
そこには、人生が招いた嫌悪の念が、少しは関係しているのだろうか。君の生い立ちは、いつ失うとも限らない善意に支えられていたから、それが永遠には続かないことを、君は心のどこかで知っていたのかもしれない。
−
「7月の 雨のち晴れの 誕生日」
病床で迎えた誕生日、君はこんな句を詠んだ。
雨のち晴れ。
それは病を宣告されてから今までの君の気持ちを表しているようで、ぼくはやるせない気持ちになった。
今が晴れなら、本当は喜ぶべきなんだろう。だけど、すべての感情が片付いて、もう何も思い残すことがないとすれば。君は、いつでも旅に出る準備ができてしまったということだ。
「これまでで一番幸せな誕生日だ」
君が満面の笑みだったから、ぼくも幸せだと、そう思うことにして、自分に嘘をついた。
−
ほどなくして、君は旅立った。
「出会えたすべての人に感謝したい。一片の悔しさも心残りもなく、本当に幸せな人生だった。だからどうか悲しまないで」
そう言い残して。
君は安堵の表情をしていた。
ぼくはしばらく君の手を握っていたが、やがて身をこわばらせて、後ろ手にドアを閉めた。
−
君が平安に過ごせる場所はどこにあるだろうか。
いっとき、神様はぼく達に、病との休戦状態を与えてくれた。その間に、ぼくたちはいろいろな話をした。
静かな灰色の朝、2人で話し合って選んだのは、遠く離れた君の故郷の山だった。
「自然に還りたい」
君の最後の願いを、ぼくは叶えてあげたいと思った。そこで、自然の中に遺骨を散骨することにした。墓標もプレートもない、本当の自然葬。木々の緑と水辺の青が眩しいこの場所で、君は土に還る。
遺骨を埋め、そこにエゾアジサイの苗を1本植えた。これが、君の墓碑代わり。
埃のせいか、太陽がぼんやりかすんで見えた。いつしか君は土となり、アジサイの花を咲かせてくれることだろう。花の色は、深い夜空のような青紫色だ。
夏の夜には、無数の蛍が舞う。
蛍は、暗闇の中を彗星のように飛んでいく。
蛍が光るのは、男女が出逢うためだ。子孫を残して、彼らもそう遠くないうちに、自然に還っていく。
−
君は今ごろ、ホッとして休んでいるだろうか。
「やっとゆっくり腰を下ろせるわ」
森の中で、君の声が聞こえたような気がした。
君が旅立ってほどなく、ひまわりの花が咲いた。君の植えたひまわりだ。君が言った通り、花が咲くまでに君は行ってしまった。
今は太陽がやけにギラギラして、風景も味気なく思えてくる。
目に入るものも、聞こえるものも、匂いも、すべてが果てしなく遠ざかっていく感覚に、
ぼくはまだ慣れない。
−
永遠に続く夜から抜け出す手伝いをしてくれたのは、かつて君が大切にしていたたくさんの人だった。
時には、訪ねてきてくれた人と明るい声で天気の話をしたりして、生活がそれほど変わった気がしないこともある。
おかげで、今日もぼくは生きていて、五感を刺激するさまざまな喜びを味わおうとして、頭を右へ左へと忙しく動かしている。
君がいなければ今のぼくは存在しえなかったのだと、君がいなくなって気づいた。ぼくはずっと、君の掌の上にいたのだと思う。
もしぼくが先に死んでいたら、それを知らずじまいだったかもしれない。君が先に旅立ったことには、きっと意味があるのだろう。
−
何も求めない無限の愛。
この世ではそんな愛には絶対出会えないと思っていた。
だけど。
君のおかげでぼくは、大きな愛を惜しみなく伝えられる幸せを知った。
今日ももうすぐ夜がやってくる。
明日もまた素晴らしい日が訪れることを信じて、ぼくは安らかな眠りにつくだろう。
君は自然に還り姿を変えてなお、ぼくと一緒に生き続ける。
………
広沢タダシ 「彗星の尾っぽにつかまって」
こちらの企画に参加させていただきました。