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「褒める技法」に隠された盲点

近年、書籍やメディアなどで、褒めることの有効性が強調されている。確かに褒められることでやる気を引き出して、伸びていく子供がいる。その一方で、叱られることで、奮起して成長する子供もいる。子どもに限らず、人それぞれに個性が異なり、やる気のスイッチの入り方は異なるので、褒めるだけが良いわけではないだろう。

表面的に見ると、叱る人=悪い人、褒める人=いい人というようなニュアンスが一般的にあるので、上の立場の人は、怒る側の立場よりも褒める側の立場をとって、相手から悪く思われないようにする傾向があるのではなかろうか。

子供から成人していく過程で、「叱られる経験」と「褒められる経験」を様々な場面で、様々な出会いの過程で人生経験を重ねて社会へと独り立ちしてゆく。ある人は、「褒められた経験が少ないから・・・」、ある人は「叱られた経験が少ないから・・・」と、過去の自分の人生を振り返るかもしれない。

ある人が、社会人となって、上司から叱られた場合、もしも、子供の頃に叱られた経験がなければ、その受け止め方は深刻になるかもしれない。その一方で、子供の頃に叱られた経験が多々あると、叱られることに対する受け止め方は前者とは異なるだろう。

ただ、叱られ方にも様々な種類があり、また、それを受け止める側にも様々な解釈がある。単純に叱られた経験と褒められた経験を二項対立的に判断できないが、人生経験はプラス面もマイナス面もバランスよくある方が健全であり、より、「自然」に近いのではないだろうか?ここでいう「自然」とは「宇宙の真理」のようなものである。

自然界の天候には晴れの日もあれば、雨の日もある。時には台風のような嵐の時もある。それが自然の在り方であり、人間の心もプラス面もマイナス面も共存しているのが自然の在り方だろう。そのマイナスとプラスで調和が保たれて心の安定を保っているのではないだろうか?

私自身、物心ついてからの半世紀の間、様々な人との出会いがあり、小中学時代からの友人の噂を風の便りを聞くと、やはり、人生はプラス面とマイナス面が共存していると思うし、様々な人の自叙伝に触れても人生はプラスとマイナスが共存していると感じる。

社会の荒波を生き抜くためには、打たれ強い方が生き延びていきやすいという傾向があるかもしれない。一概には判断できないが、人生における様々な出会いある中で、人からの批判に慣れている人のほうが、気軽に接しやすいという傾向がある。その一方で、あまり人から批判を受けた経験がないような人と接する場合、腫れ物に触るかのように気を使わなくてはならないという経験はないだろうか。

つまり、プラスの経験ばかりでなく、マイナスの経験も同じくらいした方が、人間関係に対する抵抗力、耐性が身につく傾向がある。個人差が多分にあるので、どちらがいいなどと断定的なことは言えないが、確かに褒められることで自己肯定感が育まれ、前向きな行動を後押ししてくれる。私も複数の恩師に育ててもらい、何気ない褒め言葉は心に残り、やる気を引き出してもらった経験がある。それは、幼少期よりも成人してからの方が影響を受けたのではないかと思う。

以前、あるセミナーで、指導者がやたらに受講生を褒めている光景を目にして違和感を感じたことがある。褒められる方は嫌な思いはしないだろうが、嘘っぽさ、軽さを感じたのではなかろうか。指導者にとってのフィードバックの技法は簡単ではない。深みのあるフィードバックは、褒めるべきことは褒めて、改めるべきことは丁寧に伝えることが必要で、それができるためには、それだけの経験や洞察力が必要になってくる。

当治療院において、小さなお子さんを持つお母さんの施術で、様々な症状に関係する心の信号を深掘りしていると、「褒める技法」の「教義」に縛られていることが、苦しみの根源になっていることがある。PCRT認知調整法である症状に関係する無意識的な心の信号を掘り下げてみると、子育てにおいて、「子どもを叱ってはダメ、褒めるベキ」という信念が関係していた。その信念が固まった出所を聴取すると、ある動画の講師の影響を受けているという。

ある種の「マインドコントロール」的にその信念に縛られて、心がモヤモヤして、症状を引き起こしているという状態である。特に幼少期の子育てにおいて、「子どもをしかるべきではない」という思想には、どこか不自然さを感じる。褒めるお母さん=いいお母さん、怒るお母さん=悪いお母さんというようなニュアンスが一般的にあるが、果たして本当だろうか?

人間の自然な感情として「喜怒哀楽」があり、その本能的な感情を抑えることは心身の不健康につながらないだろうか?「怒りを抑える方法」を指導するセミナーもある。それも人間関係を円滑にするために必要な一つの手段かもしれない。

本当に心から怒りを抑えることができれば良いが、多くの場合、表面的なテクニック、操作的手法によって、真に怒りを抑えているとは言えないだろう。人間であるが故に、「怒り」は誰の心にもあるのが自然だろう。問題は、それを引きずって心身にマイナスな影響を与えることである。

「怒ってはいけない」ではなく、「怒っている自分」を客観的に観察できることが大切であり、その怒りをどのように解釈し、そこから何を学ぶかに焦点を当てた方が、健全な感情のコントロールになるのではなかろうか?

「褒められる」というのは、心の安心、安定、さらには自己肯定感をもたらしてくれる「甘い蜜」であるが、その一方で、その褒められたことや持ち上げられたことが仇となって、慢心を生んだり、自分の心を苦しめる原因にもなったりするということを知っておくことも大切である。


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