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もちっこキューの怪
にしのし
これがわたしの「聴く」のスタートライン,でしょうか。
いちはらさんの「聴く」も,よかったらまたおしえてください。
西野マドカ
なるほど。
それは……ラジオでしょうなあ。ぼくの「聴く」のスタートライン。
ぼくが中学生のころです。
「船守さちこのスーパーランキング」を聴いていましたね。どちらもSTVラジオ(AM)だった。
「スパラン」は放送時間がそんなに遅くなかった……と記憶しているが、もはや茫漠としてよく覚えていない。宿題か何かをやりながら聴いていたような気もする。わからない。
現在テレビの夕方番組(どさんこワイド)で堂々メインMCを勤めている福永俊介が、慶應大学を出てすぐ、北海道の地方局であるSTVに入社して、インテリらしさゼロのくだらない小ボケをエースDJ船守さちこにスルーされる番組だった。しょ、しょーもな! それでも当時の北海道の中高生は、そこそこいい割合で、惹き付けられていた。ごく限定的な世代、ぼくと同年代で、あの頃北海道に住んでいた方ならば、あるいは覚えているのではないかと思う。
「スパラン」はランキングというくらいだから、J-POPをリクエストでランキング付けしていた。My Little LoverとかGLAYとかMr.Childrenとかが、一度ランキング1位となると10週以上平気で君臨し続けていた時代。まだ誰もが同じ曲を聴いていたころのこと。
「今週の1位は!! \スゥパァランキン(ジングル)/ \トンテントンテントン(前奏)/ つ、つよーい今週もTomorrow never knowsでしたぁ!」
船守さちこの声はハスキーすぎず、透徹すぎず、ちょっとテンションの高い若い教師といった風情、しかし学生からのFAXに媚びることはなく、番組のコーナーとして悩み相談をするでもなく、大人側から子どもの側にむやみに越境してこようとする感じがなくて、どんぴしゃ中学生だったぼくにはその「大人のまま子どもが聴ける番組にしてくれていること」が心地よかった。
ある日、ランキングの上位に「ズルい女」(シャランQ)があって、それを福永俊介が
「第○位は、エロい女、もちっこキュー!」
とコールしたときには、船守さちこが過去最高の冷たさでスルーしてAMラジオなのに3,4秒ほど無音の時間が流れた。今でもはっきりと思い出すことができるしあまりに衝撃的だったのでおそらく何度かいろんなところに書いた。もちっこキューとはなんだったのか当時はわからなかったし、今もじつはわからない。メジャーアーティストの曲名を勝手にエロい女と言い換えて大丈夫な当時の放送コードの緩さを思うと隔世の感がある。福永俊介はたしかそのとき入社2年目とかである。その後わりとすぐに歴史ある「アタックヤング」(アタヤン)のDJに抜擢され、クソくだらないダジャレと下ネタメインの、深夜ラジオの王道みたいな番組を作り上げて北海道内の若者相手にカルト的な人気を博していくのだが、おそらく福永俊介が最初に「一線を越えた」瞬間があの「エロい女事件」だったのではないかと思っている。
ところで、不思議なのは、福永俊介がやらかした「事案」の瞬間の、船守さちこの「顔」をぼくが覚えているということである。
白眼視のお手本みたいなまなざしで、マイク越しにおだった(方言)新人アナウンサーをにらみつけている、STVラジオブース内の光景。
そんなもの見ていたわけがないのに、ラジオなんだから。
今振り返って思うわけではなく、当時のぼくも不思議さに気がついていた。あのさあ、こないだのさあ、福永俊介がヤバかったときの、船守さちこの顔がさあ……ん? 顔? なんで? 顔? 声だけしか聴いてないのに?
それ以来、なんだかずっと、「聴く」ということが脳内で何かに「変換される」ような気がしてならない。
入ってくるのは音だが、展開されるのは何か別のものだ。
それは、「鍵盤を叩く」という動作を、「空間に音を鳴らす」に変換するピアノのように。
「音で脳を叩く」ことで、「脳内空間に何かが広がる」という変換が起こると思った。
最初はそれを「聴くだけで情景が目に浮かぶ」と表現していたし、事実、さっきもこの文章内でぼくは、「船守さちこの顔を覚えている」とか「ブースの光景」などと書いた。
でも、よくよく調べてみると、ぼくの脳内に広がるものは、「見ることで脳内に広がるもの」とは微妙に違う気もする。
丁寧に探ると、聴くことで広がる何かは、「聴くことでしか生まれ得ない何か」なのだ。見てきたかのように、という言葉はあくまで「かのように」であって、「まさに見てきたまんま」ではない。
ぼくはその後、「暗闇でラジオを聴くこと」にハマる。
夜、親におやすみを言ってから、寝室のふすまを閉めて、電気を消して布団に潜り込んで、そのままラジオを聴く。隣で寝ていた二つ年下の弟も一緒に聴いていたはずだから今度証言してもらおう。あのとき我々は、「うまいっしょクラブ」を聴いていた。
視界情報がほぼない中で、明石英一郎・木村洋二というSTVの(当時も今も)看板アナウンサーたちが、交互に(だったと思う)、いわゆるハガキ職人から送られてくる、くだらなさが天元突破したメールを読んでコメントを返す。
「えー今日のテーマは『お祭り』でひとこと。それでは最初のおたより。
――4番 ライト 祭り――』
今書いてもわからないだろうがこれは「4番 ライト 松井(秀樹)」のギャグだ。説明してもわからないだろうし松井はセンターだったのではないかと言われても返答に困る。
布団に入っているぼくの頭の中には、ライトの守備位置からバッターボックスに向かって松井秀喜が走ってきて、阪神の遠山投手によって三振に打ち取られるシーンがありありと浮かぶのだ……しかし、冷静に考えて欲しい、野球選手は守備位置からバッターボックスに向かうことはない。そんなシーンはあり得ない。そんな光景が広がることはない。
でもぼくは、確かにそのとき、「聴く」によって脳内に、そういう情景を広げていたのである。
何の話だ。これが往復書簡の100通目なんだけど、いいのかな……。ところで今日のラジオの話、前に『さばくのひがさ』で書いてたらまずいな、と思ってちょっと読み返してみましたけれどたぶん大丈夫ですね。やー、アーカイブが本になってよかった~。便利~
(2022.6.3 市原→西野)