見出し画像

紫式部は、ほししいたけを食べたか?

今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、源氏物語の作者・紫式部が主人公です。なぜ唐突に大河ドラマ?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ほししいたけを食べる習慣が中国から日本に入って来たのが、ちょうど紫式部の生きていた時代の頃と言われているのです。

ほししいたけの伝来時期については諸説あって、一説には「唐(中国)から帰国した弘法大師が伝えた」とも言われていますが定かではありません。ただ、日本への中国文化の流入は、遣唐使の廃止で一時希薄になりますが、宋の時代になって再び活発化します。『乾しいたけ 千年の歴史をひもとく 森からの贈りもの』の著者、小川武廣氏は民間貿易の活発化や、宋へ留学した僧たちや宋から来日した僧たちによって寺院を中心に中国の食文化の伝播・同化が進んでいく中に、ほししたけも入っていたのだろうと推察しています。

折しも大河ドラマでは、ちょうど紫式部が越前守に任じられた父と共に越前国(福井県)に移り住んだところ。当時の日本の朝廷は宋と正式な国交を結んでいませんでしたが、大宰府を中心とした民間貿易が盛んに行われていて、宋の商人たちは越前や若狭にも来着し長く滞在する者もいたようです。ドラマの中で紫式部の父は、そういった宋の商人たちとの交渉や調査を任されます。

越前海岸。この海の向こうには宋(中国)が・・・

前出の小川氏曰く、ほししたけの食文化が渡来したのと同時に中国への輸出も始まったと考えられるそう。日本のほししいたけはその質の良さから高値で売れる優秀な貿易品だった反面、野生のしいたけしかない時代ゆえ収穫量はごくわずか。そのためほとんどが中国へ輸出されていたのだろうと考えられています。

ということで、紫式部がほししいたけと出会っていた可能性は極めて低く、ドラマにほししいたけが登場することもなさそうですが、「こんな時代(平安時代)に、こんな人たち(宋人)によってほししいたけの食文化が日本に入って来たんだ」ということを感じながら観るのも一興なんじゃないかと思います。
それに、はるか平安の時代に渡来した食材が、今でも美味しく食べられているって、なかなか素敵なことじゃありませんか?

いいなと思ったら応援しよう!