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擬態書ー足を洗う
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一度依存すると、なかなかそこから抜け出すのは難しい。きゅうりのおしんこ、食後のスウィーツ、筋トレ後のプロテインなど、枚挙に暇がない。
そしてそれは、いい意味ばかりとは限らず、むしろ「依存」という言葉を聞くとあまりよろしくない連想ばかりが過ぎる。タバコ、酒、ドラッグ、悪い付き合いなどがその例だ。
中毒性のあるものもあるが、「鋼の掟」で強制的に括り付けられる場合もある。無論、そこから抜け出すのは、並大抵の覚悟ではできやしない。
僧侶は、裸足で修行に歩いて寺に帰った後に泥足を洗い、俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入っていたという。これが転じて、悪い行いをやめるという意味の慣用句として広く用いられるようになったのだそうだ。
足を洗っているのは、紛れもなく足。膝頭から爪先にかけて丁寧に洗い込まれているように映る。
足を洗うというのは、ゆっくりと、そして確実に行うべきなのかもしれない。そんなことを考えさせられる書である。
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