髙坂庵行@理学博士の作家兼WEBライター兼擬態書道家
親子喧嘩中高一貫校で男子校。世間一般では、どのようなイメージが思い浮かべられるだろうか。少なくとも16歳の自分には、あまりにも窮屈すぎた。 中学から所属しているサッカー部ではキャプテンでありながら孤立。メンバーもほぼ変わらぬまま高校サッカー部となった。 どこから出てくるのかというほど、派手にお金を使い回す同級生。自分の手元には、特別お金があるわけでもない。 それでも、嫌で仕方がないということはなかった。ただ、「何もない」という空虚に包まれ、どこか鬱屈していた。 とにか
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 今や絶滅危惧種となったヤンキー。昔のヤンキーは100m先から一見しても分かるなどと形容された。今はといえば、反社会的勢力も含めてぱっと見ただけでは分からないような人も多い。 見た目も行動も、ヤンキーは分かりやすかった。主張があれば喧嘩、負ければ勝つまで喧嘩。認め合うことができれば友達に。ヤンキーが減ってきた今の時代、そのような明け透けな関係を構築するのも難しいということなのだろう。 それでも、現代の男も強さに対する憧
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 風は、不思議な存在だ。地面に落ちた木の葉だけではなく、様々なたとえ表現も吹き流してくれる。 風のように去る 風の吹き回し 肩で風を切る 文字通り、吹き流れる風をイメージした表現だ。英語表現でも様々な慣用句があるようだ。 like the wind (風のように素早く) have the wind at one's back (風に後押しされる=順調に進む) get wind of A (Aの噂を耳にする)
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 一度依存すると、なかなかそこから抜け出すのは難しい。きゅうりのおしんこ、食後のスウィーツ、筋トレ後のプロテインなど、枚挙に暇がない。 そしてそれは、いい意味ばかりとは限らず、むしろ「依存」という言葉を聞くとあまりよろしくない連想ばかりが過ぎる。タバコ、酒、ドラッグ、悪い付き合いなどがその例だ。 中毒性のあるものもあるが、「鋼の掟」で強制的に括り付けられる場合もある。無論、そこから抜け出すのは、並大抵の覚悟ではできやし
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 日本の国技といえば、相撲。だが、友人に言わせればそれは認められないという。他の国のように、皆が皆その世界に憧れを抱き、進もうとする訳ではないからだ。 確かに、体格がものをいう世界であり、かつ泥臭いイメージもある。 それでも、江戸時代から続いた長い歴史があり、小学生の時分は相撲に明け暮れたりもした。国技の正式な定義は知らぬが、私の中では紛れもなく国技。多くの力士たちが私を魅了してきた。 相撲といえば、横綱。横綱の土俵
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 自分は技術屋である。技術屋にとって一番の喜びは、今までになかったような、斬新なモノづくりができた時ではないだろうか。 製品そのものが、作り方が、材料が、売り方が。一口に新しいと言っても様々な新しいがある。人によって趣向は異なるが、新しさのもつ魅力はもはや魔力と言っても過言ではない。 新しいを生み出すのに、会社の大小は関係ない。皆切磋琢磨し、妖艶な魔力に向かって、足を踏み出しては戻る毎日。それでもやめさせてくれないのが
※この記事は有料ですが、実質無料で読むことができます 擬態書の成り立ちは、大きく分けて2つある。1つは文字を眺めていて思いつく場合、もう1つは像から文字が思いつく場合だ。後者の方が、何だか象形文字のような意味合いがあって好き。 急にボディビル のポージングを書として書きたくなった。こんな時こそ擬態書だ。この場合、先に最終形が決まっているので、像から文字を思い浮かべるしかない。 「腕がこうなって、足はこう、頭はこうで…」などとやっていた時、その形が「全」という時に見えてき
※この記事は実質無料で読むことができます 今年の頭に、ぼーっと考えていた。ぼーっとしているのに考えているというのも不思議なものだが、自分にはしばしばこういった機会がある。ああでもない、こうでもないと。 ふと、「明け暮れる」という単語が頭に浮かんだ。明けなのに暮れるの?という違和感を感じた。言うまでもなく、日が明けてから暮れるまでずっとという意味だが、いつまでもそれが引っかかっていたのだ。 そこで思いついたのがこの擬態書。 明け方なのに、暮れてしまっている。右側の月は海
※この記事は実質無料で読むことができます いきなり書にはまった。iPadを購入し、書道アプリをインストールしたのがきっかけだろう。 アップルペンシルを用いると、思いの外心地よく書ける。これなら、通常の書道もうまいこと書けるのではないかと思った。 元々書道は小学校の授業でしか教わったことがない。筆文字がうまく書けないというのが30年来のコンプレックスだった。 「やるなら今だ」という声が聞こえた気がして、筆ペンを買いに走り、ひたすら書く毎日。気づけば1月近くは続いている。
朝目が覚めて、我が目を疑った。 よりにもよって、写真は私が大好きだったオリンピックでのコービー。 悲しいというより、まだ受け入れられていない。そんな錯乱にも近い状態のまま、思いの丈を書いてみようかと思う。 コービーとの出会い気がつけば、いつの間にか知っていたという印象だ。 日本からたまにNBAを見ていた程度の高校時代。観るのは好きではあったが、自身が部活をしていたこともあり、そこまで追いかけて観るような時間などはなかった。 ただ、今にして思えばジョーダンの試合も、オ
重いとも軽いとも区別のつかない歩調で光ちゃんは歩いていた。幼なじみである亮くんの自宅へと向かっている最中だ。 何となく気乗りがしないのは、亮くんと話すのは楽しいが、いかんせん彼が理屈っぽく、話が長いから。それでも新年の挨拶くらいしておかなければという、ある種の義務感を伴っていた。 家に着くと、亮くんがおもむろに自分の机に向かっているのが見えた。何やら工作をしているようだ。 亮くんは自分の作業机を「実験台」と呼んでいる。その名の通り、その机の前にいる時はたいてい何らかの実
実は転職活動をしていた時期がある。今こう書いているということは、現在は現職のまま。 一体何がどうしてどうなったか。自分の気持ちを整理するためにも、当時を振り返ってみようかと思う。 40手前の葛藤今の会社に入ってから12年目。博士課程を終了してからの入社なので、39歳になる。 このくらいの年齢ともなると、自分が管理職に就くかどうかを意識せざるを得ない。現に同世代はちらほらと役職に就き始めている。 自分自身はというと、自由気ままに思った仕事を続けられたら、と思っていた。た
名もなきライター(S.Watanabe)さん(https://note.com/namonakiwriter)に影響を受け、自身についても書いてみようかと思う。 影響を受けたとはいえ、いつかは書こうと思っていた話。 少しだけ勇気も要るが、自分で自分を振り切るようなイメージで書いてみる。 突如襲われた目眩今から2年前の夏休み明け。 例年と何ら変わりなく、長期休暇明け独特のだるさに見舞われながら、例年同様だらだらと出社した。 が、どうにも朝からおかしい。目眩がずっと続く
終えたと思っていた事件。 あれから、自分きっかけではあるが、また動きがあった。 時間が経ってしまったが、書かずにはいられない。 消えないモヤモヤ すべきことは全てした。どこかスッキリとした気分にもなれた。 でも、このままでいいのだろうか。 そんな感情に襲われた。 このままでは、更なる被害者を産んでしまうだろう。自分なりの正義感で、可能な限り関係各所に注意喚起をした。 「依頼者から給与をもらえていません。何かご存知でしょうか?ご存知ないのであれば、今後の付き合い
私は昔、サッカー部に所属していた。 今はほとんどする機会がなくなったが、それでも誘いがあればサッカーをするだろう。 今は英語学習に励んでいるが、意外にもサッカーと共通点があるのではと思いキーボードを叩いている。 「確かに一理あるかも」などと思っていただけたら幸いである。 その1: 基本練習が重要サッカーの練習といえば、ボールタッチやシュート練習が思い浮かぶ。 正直言って、毎日続けるのはそれほど楽しい作業とは言えない。 それでも自分なりにテーマを決めて取り組み、課題
ついに迎えた最終章。 最後の最後まで戦い抜いた。 最後のタイトルは「グランドフィナーレ」にでもしたかったが、そうはならかった。 設けられた期日 長期戦を視野に入れていたが、相手の対応も相手の対応だし、痺れを切らしてこう告げた。 「給与の支払いについて6月中に何らかの返答をください。払えるのであれば明確な期日を、払えないのであればいつ頃までに払えるのかを回答ください。」 猶予は1週間。「6/10以降順次支払う」とのことであったので、6月中には支払ってもらえるのだと思