親子喧嘩
中高一貫校で男子校。世間一般では、どのようなイメージが思い浮かべられるだろうか。少なくとも16歳の自分には、あまりにも窮屈すぎた。
中学から所属しているサッカー部ではキャプテンでありながら孤立。メンバーもほぼ変わらぬまま高校サッカー部となった。
どこから出てくるのかというほど、派手にお金を使い回す同級生。自分の手元には、特別お金があるわけでもない。
それでも、嫌で仕方がないということはなかった。ただ、「何もない」という空虚に包まれ、どこか鬱屈していた。
とにかくネガティブだった。ポジティブになると、その分惨めな思いをしそうな気がして。ネガティブだからこそ、安定することができた。
そんな折、些細なことがきっかけで、親子喧嘩をした。今となっては、さっぱり理由と内容を思い出すことができない。ただ一言、「まだ養われているのだから」と言われたことを除いては。
自分のネガティブの矛先は、両親へと向かった。残すことなく不満を挙げ、それを全て両親のせいだと思い込むことで自分を保っていたような気がした。であれば、「養われない環境」さえ手に入れることができれば、こんな思いはしなくて済むのだと。
支度
喧嘩の後、自分はすっかりと沈黙した。驚くほど冷静に、1週間かけて準備をした。家を出るのだ。
行先は未定。住み込みで働けそうなお店に就職。学校は、もういいや。不思議と目についた、古びれた母のボストンバックを手に衣類を詰める。他に必要なものは、特にはない。
明け方の3時。二学期が始まって間もないこの時期に、家を出た。「もう、ここにはしばらく帰ってこない。いや、帰れない」そう思うと、無性に心細くなったりもしたが、それを振り切るように前へと進んだ。
行先は本当に決まっていなかった。ただ思いのまま家を離れ、適当な公園で夜が明けるのを待つ。どこからどう見ても家で少年の出立であったが、幸か不幸か私を呼び止めるものはいなかった。
初めての就活
かくして夜が明けた。太陽を見た時、そういえばこれが高校生活初めての欠席であることに気づく。まあ、もうそんなことは関係ない。
家を出て5時間。体力には自信があったが、妙に疲れを感じる。重い足取りのままコンビニへとたどり着いた。手にしたのは、求人誌だ。
思い描いたプランを誌面から探した。だが、16歳の少年を受け入れてくれそうな案件など、そうなかなかない。あっても決まって「親の承諾を得ること」が条件に書かれていた。当然だ。
それでも探し続け、ようやく可能性が見えた。住み込み寮付きのラーメン屋で、月収は20万円前後。「この条件で月20万円もあればお釣りがくるだろう」16歳の自分は、手取りという言葉の意味をよく理解していなかった。
誌面に書かれた電話番号に電話し、即日面接の運びとなった。これで将来は安泰だ。自分の見つけた道に、何ら疑いはなかった。
あっけなく頓挫
電車に乗り、30分弱で目的地へと着いた。お世辞にもきれいとは言い難い店内であったが、何とも言えぬ落ち着いた雰囲気はあった。
2階へと通され、生まれて初めて書いた履歴書を手渡す。面接官は店長だった。
店長からの質問に、丁寧に答えた。いくつか嘘は用意していたが、特に使う必要もなさそうだ。事はとんとん拍子に進んだと思っていたが、最後に固まる。
「親の承諾はもらってきているということだね?」
ここで、初めて嘘をついた。当然答えは「はい」だ。
だが、承諾書もないため、これから家へと電話をすると言い出した。ここから先の嘘は用意していなかった。
すっかり観念し、事の事情を伝えた。家出してきたこと、当然親の承諾など得ていないこと、それでも本気でラーメン屋で働きたいことを、洗いざらい話した。
後で聞いたが、ボストンバック片手にお店に入った時点で店長は何となく気づいていたのだそうだ。一通り話を終えた後、怒る事なく家へ帰るようにと諭してくれた。今思えば、警察に通報されていてもおかしくない状況だというのに。店長の優しさには、本当に感謝している。
やがてお店から家へと、電話が入った。何かを得たような気がして、妙にすっきりしたのを覚えている。そのまま自信満々の表情で家へと向かった。
帰宅
まだ1日経っていないのに、更なる疲労に襲われた。下手すると、立っているのもままならない状況だ。ただし足取りは軽かった。
凱旋。何のためらいもなく、そんな気分で再び訪れた家。さぞや怒られることだろう。でも、もう何も怖いものはなかった。
ドアを明けると、怒りも悲しみもせず、ただ困惑するばかりの母。捜索願を出そうか本気で悩んだと打ち明けられた。
16の自分には、そこまで心配される理由が分からなかった。ただ早く大人になりたかっただけなのに。
やがて、父が帰宅した。怒りもせず、事情を聞いてくれた。何を話したかは、正直あまり覚えていない。ただ、学校やお店に迷惑をかけたことを心配していたのは覚えている。
理由
果たしてまた両親の傘下へと戻った訳だが、この家で翌日を迎えるには、何か理由が要るような気がした。
もう後戻りをしないと決めた。なのに今家にはいる。そして、明日からは学校に戻らなければならない。その理由を、親に求めた。自分には、高校を卒業しなくてはならない理由が、もはやなかったのだ。
「とにかく、高校だけは出なさい」
言われたのはこの一言。納得はできない。でも、もう従う以外の選択肢は他にはなかった。
翌日、何食わぬ顔で学校へと向かった。同級生が、次々と質問をしてきた。家出をしたというだけで、まるで英雄にでもなったつもりになった。無論、3日と持たない天下ではあったのだが。
その後、顧問の先生に「退部届」を提出しに行った。残りの高校生活を、何もない平坦なものにしたいと思っていたのだろう。
だがその後説得され、一晩悩んだ末に部活を継続することを決めた。2日前まで高校を辞めようと思っていたのに。思い返せばものすごく恥ずかしいことなのだが、当時の自分は、特に迷うことなく現実を受け入れていった。
その後、部活は最後まで続け、高校を卒業。大学、大学院へと進んだ。あの日の決意とは、まるで逆の人生を歩んだ。
他人事のようにすら思える思い出。それでも確実に、あの日は家出をしたのだ。ちなみに、高校時代卒業時には精勤賞をいただいた。