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シュレディンガーの猫
重いとも軽いとも区別のつかない歩調で光ちゃんは歩いていた。幼なじみである亮くんの自宅へと向かっている最中だ。
何となく気乗りがしないのは、亮くんと話すのは楽しいが、いかんせん彼が理屈っぽく、話が長いから。それでも新年の挨拶くらいしておかなければという、ある種の義務感を伴っていた。
家に着くと、亮くんがおもむろに自分の机に向かっているのが見えた。何やら工作をしているようだ。
亮くんは自分の作業机を「実験台」と呼んでいる。その名の通り、その机の前にいる時はたいてい何らかの実験をしている。
実験といっても、そう思っているのは彼だけで、光ちゃんにはただガラクタを増やしているようにしか映らない。ある時はラジオを分解し、ある時はスピーカーを分解し、何やらパーツを確認して取り出しているようだが、最終的には金属ゴミとなってしまうのだから、そう思うのも無理はない。
ただ、今日はいつもと何か様子が違う。おなじみの電化製品ではなく、目の前にあるのは、両手で運ばなけばならないほどの大きさに組み上げられた、ベニヤ板の箱。手前側にはヒンジが取り付けられており、それが開閉式なのだと気づいた。
キリを手にし、箱に穴を開けようとしていたまさにその瞬間声をかけてみた。
「亮くん。亮くん。ねえ、亮くん。」
「ああ、光ちゃん。」
熱中して聞こえなかったのか。はたまた聞こえないふりをしていたのか。亮くんが応答するまでの時間はいつも長い。光ちゃんはこの声をかける行事を「罰ゲーム」と呼んでいた。
「何してるの?」
「画期的な箱を開発したんだよ。」
そう言って亮くんは、作業を再開しだした。「しばしご沈黙をお楽しみください」と言わんばかり、それが当たり前のように黙々と作業を続けた。
亮くんはキリを用いて丁寧に箱に穴を明け、金属の棒を差し込んだ。穴に隙間がないか、きちんと扉が開閉するかを入念に確認している。
とりたてて興味がなかった光ちゃんだが、さすがに亮くんが飼い猫のベルを抱えて作業台に乗せたのは見逃さなかった。
「亮くん、何それ?」
「だから画期的な箱だって。」
「それの何が画期的なの?」
亮くんの眉間にシワが寄った。作業を邪魔されたせいか、画期的な理由を説明するのが嫌なのか区別がつかなかったが、ともかく急に不機嫌になったことだけは分かった。
光ちゃんとしても声をかけないわけにはいかず、そもそも箱と猫を見せられて画期的と言われても意味が分からないわけで。亮くんのために神経をすり減らしている自分が、だんだんあほらしく感じてきた。
それでも、亮くんは説明をしてくれた。
「これから、この箱の中にベルを入れて扉を閉じる。それから電子銃を当ててみるんだ。」
説明を聞いて、なお訳が分からなくなった。途端にふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「何がしたいの?ベルを殺すつもり?」
「ん?何か違うな。」
言っている意味が分からないと言わんばかりの表情で、亮くんはぼーと光ちゃんを眺めた。
いやいや、逆逆。心の中で軽いツッコミをいれた後、光ちゃんは再度聞いてみた。
「どういうこと?何がしたいか分からないけど、ともかくベルを傷つけようとしてるわけでしょ?」
「どうして傷つくって分かるんだい?」
「だって、猫に電子ビームが当たるんでしょ?ただでは済まないよね?」
「そんなの実際に見てみなきゃ分からないじゃない。」
「いや、見るまでもないでしょ。」
「いや、見なければ分からないんだよ。」
打っても打っても響かない。普通の質問を重ねているだけなのに、すかされてばかり。そう思った光ちゃんはついにイライラのピークに達した。
そんなことはまるで気にすることなく、亮くんが説明を始めた。
「いいかい。UVっていうのは光だよね?光はミクロな世界では、観測する時とそうでない時とで状態が変わることが知られているんだ。」
「よく分からないけどそうなのね。じゃあマクロな世界は?」
「それは我々が普段目にしているもの全てだよね。状態が変わるなんてことはありえない。」
「電子はミクロ、猫はマクロ。この実験続けてたらベルはどうなるの?」
「それが分からないから実験をするんじゃないか。」
さも当たり前といったような顔をして、亮くんは答えた。
光ちゃんは感心し、安心した。亮くんはきちんと考えて実験をしようとしたいたのだな、と。しかし、1つ気になることがあった。
「ミクロな状態で状態が変わる確率ってどれくらいなの?」
「重ね合わせっていうんだけど、2つの状態の重ね合わせであれば50%だね。
「それじゃ、50%の確率でベルが被害に遭うってことじゃない。」
光ちゃんは激怒した。
亮くんは急に申し訳なさそうな表情になった。どうやら、今頃になって事の重大さに気づいたようだ。何か話題を変えようと、亮くんが口を開いた。
「光ちゃん、ところで今日何しに来たの?」
「あ、明けましておめでとう。」