【小説】 オオカミ様の日常 第2話 「オオカミ様は説明する」
小鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
オオカミ様はパチリと目を覚ますと、寝た姿勢のまま大きく伸びをした。伸ばした自分の足先を見ると、慌てて飛び起きた。
「まだ ”この姿” のままか!」
寝室に置いてある鏡に近づくと、恐る恐る自分の映った姿を覗き込んだ。そこにはピンと耳を立てた真っ白なオオカミの姿があった。オオカミ様が自分の姿を確認すると、鏡の中のオオカミはしょんぼりと耳を垂らしていた。
どうしたものか、とその場をグルグルと回っていると遠くから声が聞こえていることに気づいた。
「すみませーん!オオカミ様はいらっしゃいますかー!」
礼儀正しく尋ねている声の方へと向かうオオカミ様のしっぽは、元気が無く大きく垂れ下がっている。声の主は社の入り口に佇んでいた。隣には、1匹の猫がすました顔でお座りしている。
「おお、お主たちか。」
オオカミ様は、見覚えのある1人と1匹を交互に見た後、中へ入りたまえへと促した。
「今日もオオカミの姿だね。」
「そうね。 ”オオカミ” 様だからかな。」
”オオカミ” ではなく ”オオガミ” だ!と否定する気力も無かったオオカミ様は、後ろをついてくる1人と1匹のやり取りを黙って聞いていた。
「そこの椅子にかけておくれ。」
社にある客間へと案内したオオカミ様は、自分も椅子に上がってその上に座ると、対面の方を差して1人と1匹にそこに座るように指示した。カナエとタマは言われた通り、カナエは椅子に腰掛け、タマはオオカミ様と同じように椅子に上がってちょこんと座った。
「今日はよく来てくれた。この姿だとお茶も碌に出せないで申し訳ないのう。そう緊張せずともよい。今日は、 ”こちら” の世界について説明をするだけだからのう。」
オオカミ様は、自分の身体を恨めしそうに見つめた。
「緊張しますよ。神様のお家なんて初めて来ました。でも、居心地良い場所ですね、神様の住む家ってもっと豪華絢爛で派手なところかと思っていました。」
カナエは、あたりをキョロキョロと見回しながら、オオカミ様の社に来た感想を伝えた。
「意外と何にも無いねー。」
タマはカナエよりも言葉を選ばずにストレートに言った。こら!と小声でタマを注意したカナエは、チラリとオオカミ様を見た。
「構わぬ。わしはどうも煌びやかなものが苦手でな。同じ大神の ”クチナワ” という者は、お主たちの想像を遥かに越える豪華絢爛な社に住んでおる。」
オオカミ様は ”クチナワ” という単語を発しただけで、昨日の出来事を思い出して苦い顔をした。
「でも、オオカミ様の社が好きです。とても落ち着くし、なんか時間がゆっくりと流れている気がします。 ”ミカちゃん” はここに来るの好きじゃないって言っていたけど、全然そんなことないよね、タマ。」
”ミカ” という単語を聞いた瞬間、オオカミ様はさらに苦い顔をした。ミカと会うたびにオオカミ様は何かしらのトラブルに巻き込まれる。そういえば、今日のこの面会も元はと言えばミカのせいではないか。そう思いながらも、オオカミ様はぐっと言葉を堪えて本題に切り出した。
「さて、ではそろそろ本題に入るとするか。そこにある紙と筆は自由に使ってよい、いつでも思い出せるように必要だと思う部分は書くといい。」
オオカミ様が姿勢を改めて話を始めようとすると、カナエとタマも姿勢を正して真剣に聞こうと集中した。カナエは、紙と筆を持ってオオカミ様の話を待ち構えている。
「まず、お主たちの仕事は、”神様” じゃ。お主たちが住んでいた街にて、”神様” として色々と働いてもらうぞ。”神様” には、各々が得意とする分野を司ってもらい、その街の ”神様” として人間をはじめとしたそこに住む者たちが幸せに暮らせるように努めてもらう。」
「どうやって幸せにするのでしょうか。」
カナエはオオカミ様に素朴な疑問をぶつけた。
「良い質問じゃ。我々は、”神力” という力をそれぞれ持っておる。この力を使うことによって、さまざまなことをすることができるのじゃ。恋愛であれば、告白する勇気を与えたり、好いている相手に対して自分の良いところを見出してあげたり…。勉学であれば、やる気を引き出してあげたり、その者が得意とするものと出会わせたり…。健康であれば、心を病んでおる者に気力を湧き上がらせたり、飢えに苦しむ者たちに食べ物の在処を導いたり…。」
「そんなにたくさんの仕事できるかなあ。ミカちゃんみたいに、私たちだけで街に暮らす生き物全部を幸せにする自信なんて無いよー。」
カナエは不安そうにタマと向き合った。
「心配するでない。ミカは特別じゃ。あやつは、わしと同格かそれ以上の ”神力” の持ち主じゃからのう。基本的には、一つの街に複数の ”神様” がいて、他の ”神様” たちと協力し合いながら、街を見守っていけばよい。それに、お主たちは右も左も分からぬだろうから、暫くは頼りになるものたちをお主たちの傍につくように考えてみる。」
「じゃあ、大丈夫そうだね。ミカちゃんとすぐ会えるかもね!」
嬉しそうにするカナエに対して、オオカミ様は少し気まずそうに話を続けた。
「ミカとすぐ会うのは厳しいかもしれぬ。我々の世界には、幾つかの守るべき決まりがある。」
「一つ目は、『力の均衡』じゃ。今のこの世界は、わしのような ”大神様” と呼ばれるものたちが各地方を治めており、その下でお主たちのような ”神様” と呼ばれるものたちがそれぞれの街を協力して治めておる。お主たち ”神様” がどこかの街に集中してしまい他の街が疎かになってしまうのはよろしくない。また、”神様” によっても持っている神力の大きさは違うため、ミカのように他の ”神様” が複数集まっても届かないような強い神力を持ったものは、均衡を保つために単独で街を治めてもらうことにしている。」
カナエは、ミカが1人で自由気ままに神様の仕事をやっていることに納得しながら、オオカミ様の話を聞いていた。
「『力の均衡』が崩れるとどうなるの?」
タマは、オオカミ様に質問をした。オオカミ様は重そうに口を開き、過去に起こった ”とある出来事” について話をした。
「『力の均衡』が崩れると、まず ”歪み” が生まれる。この ”歪み” と我々が呼んでいるものは、端的に言うと ”神力が弱くなった部分” のことじゃ。我々は、神力によって常に結界のようなものを張っており、邪気や災い、悪しきモノから生き物たちを守っておる。しかし、”歪み” が生まれてしまうと、そこから禍々しきモノたちが入り込んでしまい、瞬く間に街全体もしくは地方全体を闇に覆ってしまう。この闇から放たれる瘴気にあたると生き物たちは苦しみ、果てには死に至る場合もある。」
タマとカナエは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「とある地方で、仲の悪かった ”神様” 同士が諍いを起こしたことがあった。普段ならば、そこの地方の ”大神様” が間に入って仲裁をしておったのだが、その ”大神様” がある日を境にいきなり姿を消したため、諍いを止めるものが誰もいなくなったのじゃ。その諍いは解決することもなくどんどん悪い方向へと進んでいき、ちょっとした争いにまで発展してしまった。すると、その地方のあちらこちらから ”歪み” が次から次へと生まれてしまい、その地方全体が闇に覆われてしまったのじゃ。そこで生きているものたちは分からないが、我々から見るとその地方は常闇の世界の中にあった。そして、みるみるうちにそこに住んでいるものたちは生気を失い、その心は闇によって蝕まれ続けていった。」
オオカミ様は話を続けた。
「結局、わしを含めた他の ”大神様” たちで平定に向かい、長い年月をかけて悪しきモノたちを退かせた。そして、”タツミ” と呼ばれる大神がそこに留まることで、今は昔のように平穏な日々を取り戻しておる。よいか、『力の均衡』が一度崩れてしまえば、それを元通りにするのに大変な労力と年月を費やすことになってしまう。それ故に、我々の世界では協力し合うことが大切なのじゃ。」
カナエとタマは、見たこともない ”歪み” に対して恐ろしさを感じ、『力の均衡』の大切さを学んだ。
「では、次にもう一つ大切なことを教える。」
カナエは、筆を走らせる準備をした。
「『生き物たちと深く関わらない』ことを守るように。」
オオカミ様の頭の中にミカが浮かんだ。言葉には出さないが、カナエとタマの頭の中にもミカが浮かんだことだろう。
「強大な神力は、生き物の生死すら操ることができてしまう。しかし、この世界は神力だけでなく全てが ”均衡” によって保たれておる。つまり、神力によって誰かを生かしてしまえば、別の誰かが死ぬこととなる。そうやってこの世界は均衡を保っておる。だからこそ、お主たちも自分の神力を使うのは、あくまでも 《”きっかけ” を作り出すことだけ》と肝に命じよ。」
「それって…、ひょっとして今の私たちはオオカミ様の教えを破った結果、ここにいるってことですか。」
カナエはミカに申し訳ないと思いつつも、正直にオオカミ様に質問をした。オオカミ様も正直に答えることにした。
「そうじゃ。あやつは禁忌を破って、お主らに自らの神力を分け与えて、後任の神様に据えたのだ。こんなこと、本来であれば絶対にあってはならぬ事態なのだ。」
ここにいないミカへの怒りを露わにした。
「私たち大丈夫なんでしょうか。」
心配そうにカナエは尋ねた。
「今回の件は、不問とすることにした。わしだけでなく他の大神も承諾しておるから、お主たちは心配するでない。」
オオカミ様は、昨日のクチナワを思い出すと軽く身震いした。ここで何か下手なことを言って、クチナワの耳に入ってしまえば今度こそ本当に締め殺されるかもしれない。
「だが、これだけは言っておく。お主たちのように神と成ったものが、神力に溺れて堕落したことは過去に何度も見てきた。くれぐれも同じような過ちを犯さぬように。その時には、わしやお主たちを承諾した大神で、ミカも含めてそれ相応の罰を下す。」
鋭い眼光で睨みつけられたカナエとタマは、自分の身体中の毛穴からダラダラと冷や汗をかいているのが分かった。
「さて、とりあえず今日はこのくらいじゃな。また日を改めて詳しい仕事の説明をする機会を設けよう。そうじゃ、お主たちの社はミカが使っていた祠でいいだろうか。」
「はい、どこでも構いません!」
「僕も寝る場所さえあればどこでもいいやー。」
1人と1匹は、オオカミ様に答えた。
「よろしい。では、お主たちの新たな住処となる社へと案内しよう。ここへは今後もいつでも気軽に遊びに来て構わぬぞ。」
オオカミ様は椅子から下りると、客間の出入り口に移動した。カナエとタマも身支度を済ませて、オオカミ様の後を追うようについてきた。
社を出ると、オオカミ様はミカとタマに背中に乗るように指示した。言われた通りにオオカミ様の大きな背中に乗ると、オオカミ様はミカの住んでいた祠へと走り始めた。疾風のように速く移動しているが、オオカミ様の背中の上はゆったりとした心地良い空間だった。
ミカは、先ほどオオカミ様からの説明を聞いていた時に取ったメモを広げて内容を読み返した。
読み終わったメモを大切にしまうと、見慣れた光景が広がる街へと近づいていた。