バカもナイフも〇〇も使いよう
今回はリクエストがあったので、私がSNSで書いたことに少し加筆修正をして、こちらにも投稿してみようと思います。
私にとって、がんばるは努力至上主義を助長するような言葉ではありません。
努力至上主義に仕立て上げているのは、言葉の使い手です。
学生時代にある本に掲載されたエピソードで知ってから、この記事に啓発言葉としてあげられている「顔晴る」を割と使っていた時期があります。
その時分は「頑張る」という言葉は、字面から
『頑(かたく)なに突っ張ること』
と捉えられている節が多いと思っていました。
当時は人の相談に乗ることも少なくなく、その中で
「必死に頑張ってるけれど、苦しい。」
という風に言われたこともありました。
そんな人の話を聞くと、こちらまで苦しくなってしまって、
そんなときには
「それがやりたいことなら、それで報われるなら、幸せになれるなら頑なに突っ張ることにも意味があるのかもしれない。でも、今あなたが向き合って苦しいんで居るその先にそういう想いはあるの?そのことはそんなに苦しい想いをしてまで追い求めるものなの?私はあなたのことが大切だからあなたには笑っていて欲しい。表情は気持ちの表れだから晴れやかな気持ちで居られたら、きっとその時は笑顔だと思うから。だから、逃げても良いんだよ。投げ出しても良いんだよ。頑張らなくていいんだよ。」
こんな風に伝えてきました。
仕事を志事に置き換えることも、私にとっては違和感がないわけではありません。
しかし、実際にそうなっている人は一定数居るのです。
それを他人に押しつけるのは良くないと思いますが、本人がそう思う分には、事実としてそうなっている以上そうなのだと思うのです。
私は、看護師を志して看護師になったわけではありません。
こういうと批判されることもあると承知していますが、実際に私はその時に選べた選択肢の中で、最も合理的だと思ったから看護師になりました。そして10年が経ちます。
看護師をしている中で看護師を志していなかったことが、コンプレックスで自分を見失ってしまうこともありました。
でも、今は看護師としてできる仕事の中に志を見つけることができたのです。
つまり、看護師という仕事が私にとって志事になろうとしているとも言えます。。
今はまだ志半ばというか、スタートラインにも立てていないですが、その為にやれることをやろうと足掻いています。
頑張るの語源の一説の「我を張る」を頑張るだとすると、そうなるまでに頑張る必要もでてくると思うし、その為には顔張ることも必要で…
だから、どうとでも受け取れる『がんばる』を使うようにしていますし、人に『がんばって』とは極力言わないようにしています。
バカもナイフも言葉も使い方次第。 だからこそ『よく』使っていきたいですね。
元になった記事のリンクも貼っておきますので、気になる方はどうぞ。
見出し画像には、奥山まめ様の画像素材を使用させていただきました。 Facebookで無料素材を公開されていますのでリンクを載せておきます。
https://www.facebook.com/groups/2998151283748563/