父を弔う
1
父親の葬式で喪主をしない長男坊がいるだろうか?
弟からせめて葬式だけでも顔を出すようにとLINEで釘を刺された私は、弟が喪主をする父親の葬式に今タクシーで向かおうとしている。
私は、高校を卒業してから遠方の大学に行き、そのまま遠方の地に就職した。卑屈で陰湿だが、勉学だけは優れている私は学者となった。
仕事が忙しくもう15年ほど地元には帰らなかった。
私の仕事は給料がよく、更に結婚もしていないため常にお金には余裕があり、両親の通帳に月20万円を振り込んでいた。
今思えば、父親の願いなどひとつも叶えてあげることはできなかった。
孫の顔を見せることも、老後に一緒に旅をするという願いも叶えられなかった。
そういえば、私がまだ少年だった頃に父親から聞いた願いなどすっかり忘れていた。
父親は一切「給料の高い仕事について俺を養え」とは言わない人間であった。代わりに「実家から近いのが一番」というような親であった。
私は父親の願いを一切無視して生きてきたのだ。
弟は私とは対照的であった。弟は勉学の才能はなかったが、外交的で彼の回りにはいつも友人がいた。地元と両親を大切にすることを生業としていた。
彼は地元の大学を卒業し、地元の小学校で教員をして、同僚と結婚した。
9つと7つの子供と幸せに暮らし、父親が余命宣告を受けると夫婦そろって休職し、父親との最後の時間を過ごした。
半年前のことだったと思う。弟から
「兄さん。確認なんですが、お父さんのお金全部管理していいかな?母さんのこともあるからさ。」
と連絡があった。
「どうぞ。」
私はいつも通り簡素に要件だけを伝えた。
「あのさ。葬式だけは来てね。喪主は俺がやるからさ。」
「うん。」
2
「あんちゃん。喪服かい?誰の葬式?」
田舎特有の見ず知らずの人間の心に土足で踏み込むという通過儀礼に笑いがこみ上げそうになった。
時が経っても地元はまるで15年間冷凍保存されていたみたいに変わらないままだった。
「父の葬式に行くんです。自分は長男なんですけど、全部次男に任せてしまっている親不孝者でね。次男に葬式だけでも顔出せ馬鹿兄貴と釘を刺されて今こうして、タクシーに乗っているわけです。」
心に土足で踏み込まれた後の対応を急いで解凍して、タクシー運転手の前に広げた。
「親不孝者かー。ずいぶんと卑屈なお兄ちゃんだね。まだ到着まで時間あるし、父ちゃんとの思い出話でも聞かせてくれないかな?」
父との思い出話をタクシーから見える田園風景を見ながら私は少しずつ思い出していった。
「私は九州の大学で学者をしていて、なぜ私が学者になったかというと、、、」
私は話し始めると、鮮明に父親のことを思い出すのであった。
あれは、私が高校生の頃だった。
大学の志望校を決める際に
「ああ。やりたいことなんてなにもねー。」
とつぶやくと父親がふと声を発したのだ。
久しぶりの父との会話だった。
「なあ。お前。もし宝くじが当たったらなにする?」
私は何も答えず、父親がこの言葉を発した意図をひたすら考えるのだった。
「俺は、バイクで日本一周する。いちいち移動先で高い旅館に泊まって、高いご飯を食べる。」
「あははは。旅とご飯なんて、父さんも年取ったね。。。。」
「お前はどうするんだ?」
「俺はね。博士号をとりたい。自分は本を読むこととか新しいことを勉強することしか興味がないから。お金にも人間にも興味がなくてさ。自分には、知的好奇心しかないから。それに、、それぐらいしか認められてこなかったから。」
「あはは。やればいいさ。それぐらいのお金はあるよ。若い内はみんな自分の考えてることとか、自分が得た教養を誰かに知ってほしいという欲求が強い。お前はその極端な例だと思う。俺みたく中年になれば、そんなことどうでもよくなる。どこかに行ってうまい飯食いたいとしか思わなくなるよ。」
「本当に、大人ってつまらないね。。」
「そんなもんさ。そっちのほうが幸せだから。。。人間は勝手に幸せという概念がまるで旅とご飯だけであるかのように、人生を簡略化して生きていくようになるんだよ。」
父との思い出話を話し終えるとタクシー運転手は、不機嫌そうな顔をした。
「いやー。普通はね。父親との思い出を聞かれたら、幸せな幼少期の頃の話をするもんでしょ!一緒に野球したとか、虫取りしたとかさ!それを知的好奇心やら訳の分からない漢字ばっかり並べてさー!もっと幸せな話できないのかね!全く学者さんは頭が固いね!」
「あらら。それは申し訳ありません。」
気まずくなって、窓の外を眺めていると、広い土地の隅っこに大きな仏像が見えた。
「あっ!」
私は幼少期の父との思い出を思い出した。
3
私が、7つか8つぐらいの頃であった。
父が独立して小さな会社を建てる以前に務めていた会社の事務所にお茶をしに行ったことがある。
父は息子をお世話になった人たちに見せたかったのかもしれない。
父はコーヒーを入れてもらい、私はコーヒー用のミルクに大量のガムシロップが入った、白いコーヒー抜きのコーヒーを入れてもらった。
父親は元同僚と何かを話していた。
何を話していたかというのは一切記憶にない。
ただ父親は誇らしげだった。
私はただただ退屈で、テレビの野球中継をソファーに座って見ていた。
アナウンサーが、「2試合連続でイーグルスは初回に三点を先制して2連勝です!」と父と同じような声色で話していた。
帰り道に、車の窓から仏像が見えた。
広い草原に仏像がぽつんと建っていた。
「あれなに?」
「あれはね。社長さんが奥さんが亡くなったときに建てたんだよ。」
「へー!この仏像、あそこの社長さんが!」
タクシー運転手は甲高い声を上げた。
「運転手さんは死後の世界あると思いますか?」
「あると思うよ。社長さんもそう信じて仏像建てたんだろうね。」
「なんで、、、、そう思うんですか?」
「あはは。やっぱり頭が固いね。ただそう考えたほうが幸せってだけさ。」
4
弟から指定された葬式会場に付くと若い女が私に声をかけた。
「木村正輝様の長男の雄大さんですね。皆さん奥の部屋であなたをお待ちしています。」
若い女に連れられていくと、そこには古ぼけた親戚たちの顔があった。
私を見ると皆ぎょっとしたような顔をなり、ヒソヒソ話をはじめた。
「あいつが噂の親不孝者の長男ね!」
と言われている気がして、腹が立った。
すぐに引き返そうとした。
親戚たちに背を向けて一歩踏み出した瞬間に
「兄さん!」
と私を呼ぶ声がした。
「あはは。兄さんも老けたね。来てくれてありがとう!お父さんも喜んでるよ!葬式は俺が全部なんとかするから、ゆっくりしていって。」
「あ!パパにそっくりのおじさんだ!」
「似てる!パパに似てる!」
「こら!失礼でしょ!」
「あはは。兄貴はそんなんで怒ったりから大丈夫さ。」
「ごめんなさい。妻の祐子です。。旦那から話は聞いてました。息子たちが失礼致しました。」
「いえいえ。子供は元気なのが一番ですから!」
そう言葉では言ったものの、内心私の心はざわついていた。
私が研究室にこもっている間に、弟は非の打ち所がない、良い父親になっていたのだから。
自分だけが、青年のまま、顔だけ年をとって、社会の隅で蠢いているのだ。
「雄大、、、」
声の先にいたのは、以前より小さくなった母親であった。
「よく帰ってきたね、、、ご飯、、食べてるかい、、、」
私の心がガラスのように粉々に割れたと思うと、自分の目から雨が降って、不健康で痩せ細った乾いた手をぬらしていた。
5
式が始まった。喪服の人たちが行列をつくり、線香をあげて、父親の死に顔に一礼する。
父は母親同様に小さくなったていたが、しわだらけの顔には面影が残っていた。
「ここで故木村正輝様の遺書を代読させていただきます。」
私は食い入るように若い女の声に耳を澄ました。
次男坊の遼太。私にきれいなお嫁さんとかわいらしい孫を見せてくれてありがとう。そしてわざわざ休職して、私を看取ってくれてありがとう。
葬式が終わったら、ぜひ学校に戻ってください。
あなたを待っている子供たち、同僚たちがたくさんいることでしょう。
母さんのこと任せました。
簡素な内容となってしまうのは、もう十分話し込んだ証拠ですね。
私と母さんの元に産まれてきてくれてありがとう。
父さんは幸せでした。
長男坊の雄大。
ごめんなさい。小学校中学校と友人ができないあなたを叱ってごめんなさい。学校に行きたくないというあなたを無理矢理学校に行かせてごめんなさい。無口なことを叱ってごめんなさい。遼太とあなたを比べるような叱り方をしてしまってごめんなさい。
あなたを追い詰めたのは、私です。
あなたが実家に帰ってこない原因をつくったのは私です。
でも、あなたを愛しています。
友人がいなくても、社交性がなくても、学校に行きたくないと言っても、それを全てできてしまう次男坊がいても。
あなたを愛しています。
いつでも帰ってきてほしかった。
謝りたかった。
こちらから会いにいけばよかった。
でもあなたに拒絶されるのが怖くて行けなかった。
馬鹿親の自分を受け入れられなかった。
でもあなたは、そんな馬鹿親に毎月、大金を振り込んでくれましたね。
昔、宝くじがあたったらどうするかって話したのを覚えていますか?
あのときは、久しぶりにあなたと楽しく会話できて楽しかった。
いっそ、あなたからもらったお金で旅行に行って、高い飯でも食べてやろうと思いました。
でも自分が最低な父親であることを思い出すと、そんなことはできませんでした。遺産は全て遼太に管理を任せることにしておりますが、そのお金は雄大に返済致します。
ごめんなさい。
最低な父親ですが、本当に愛しています。
ずっとあなたが幸せになれるように
ずっと見守っています。
私と母さんの元に産まれてきてくれてありがとう。
6
父親の葬式から数年後、
私は、父のお墓の隣に翼のついた小さな仏像を建てた。
父がどこへでも旅へ行けるようにという願いを込めた。
仏像の中には私からの一通の手紙が入っている。
父さんへ
昔、あなたの勤め先に私を連れて行ってくれましたね。
覚えていますか?
自慢げに昔の同僚に自分を紹介していましたね。
自分の存在を喜んでくれてありがとう。
誇らしげに思ってくれてありがとう。
自分と向き合ってくれてありがとう。
それに応えられなくてごめんなさい。
昨年、私にもこどもができました。
いつか、その翼で私と妻の家まで遊びに来てください。
それから、、、、
お母さんには、言えたのですが、あなたに言い忘れたことがありました。
今更ですが、言わせてください。
「ただいま!」
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