ちりとり

1

首つりをしようと思って、椅子に足の裏をつけたとき。

不意に昔、自分が見た実家での何気ない日常の一コマがフラッシュバックした。

夕食を食べながらテレビを見ているといじめを苦に自殺をした中学生のニュースが流れてきた。

「弱いよなあ。死ぬ前に嫌な奴全員に報復してから死ねばいいのに」

父がぼんやりとそう呟いた。
たしかに理にかなっていると思った。
もう死ぬと決めたら何をしても変わらない。
例えば、殺人をしでかしたとしても自分は死んだ瞬間、この世界とも無関係になり、逮捕されることもない。

当時、自分も自殺した少年と同じように14歳だった。
その日は新しい中学校に行く、冬休み明けの日で自分も自殺した少年のような運命をたどるのではないかという不安があった。

そうだ。もしいじめられて死にたくなったら、嫌な奴も全員道連れにしよう。

そんな狂気のような勇気のような感情を持ちながら新しいクラスメイトに自己紹介をした記憶がある。

しかし、ニュースの少年のような不幸は自分には起きなかった。

自分を転校生だからっていじめる奴はクラスにはいなかったし、居心地の良い中学校生活を送ることができた。

当時は自分はいじめや自殺とは無縁の人生を送ることができると確信しているようなとこがあったが、そこから10年も経つとそうもいかなくなってきた。

大人はなぜ自殺するのか?と考えていくと、子どもの自殺と似たような要因にたどり着く。”いじめられる”のだ。クラスメイトじゃないくて、今後は、同僚に、いや社会全体から。

「弱いよなあ。別に死ぬ前に嫌な奴全員に報復してから死ねばいいのに」

「そうだ!殺してやる!俺が自殺しなければいけない理由を全部!ははは!殺してやる!殺してやる!」

その日は遠足の前日の子どものように胸が高鳴りなかなか寝付けなかった。

2

自分は中学校の教員をしている。一体、自分なんかがなぜ教員になったのか。その理由はごく簡単だ。特にやりたいこともなくてとりあえず無職にならないように大学でなにかしらの免許を取ろうと考えていた。だからといって医師や薬剤師になれるほど成績が良い生徒でもなかった。そこで給料が安定しかつ簡単にとれる教員免許を取ることにした。

もうひとつは中学校が楽しかったということだ。中学校の教員にさえなれば、人生の大半を中学生のときのように楽しく過ごすことができるのではないかと考えていた。

だが、そんな簡単にうまくいくはずもなかった。
自分の指導力がないせいで、クラスがどんどん荒れていく。そのせいで職員室では居場所がない。気付くと同僚からあいさつを返されなくなった。

今更、教員をやめて一般企業に転職する気力もなかった。
何をするにしてもやる気が起きず、機械のような人間になっていた。

しかし、邪魔者を殺せると分かったら体の隅々から力が沸いてきた。

ストーブ用の灯油を2Lと布を用意した。

職員室は2階の一番角にあり、入り口でこの灯油の染みこんだ布を燃やしてしまえば、憎き同僚たちを逃がすことなく一網打尽にできる。

いつもより5キロだけ飛ばして、気分良く朝の学校に着いた。

3

職員室全体を見て、全員の同僚がいることを確認する。
皆、それぞれのパソコンに夢中で灯油の容器を重そうに持つ不審者に誰1人気付いていない。

高鳴る鼓動を感じながら容器を置き、蓋をあけると灯油がしみた布が見えた。その布目がけてライターの火を近づけたそのときである。

「ちょっと!!柏木先生何してるんですか!」

と同僚の悲鳴が聞こえた。それから一秒も経たないうちに火柱は天井まで達し、悲鳴は数百倍になった。

「ハハハ!!!!!ざまあみろ!!!苦しんで死ね!!!」

全速力で車まで走ると、いつもより15キロ飛ばしてアパートに帰った。

駐車場に着くとそこに若い男性警察官が待ち構えていた。

「柏木勇気さんですね。同行願います。」

「あはははは!仕事早いですね!!ご苦労様です!」

狂気あふれる放火魔が目の前にいるというのに彼は少しの動揺もせず、自分に手錠をかけた。

4

4時間ほどパトカーに乗っていただろうか?
全く知らない町に着いた。

パトカーが停まった先は、警察署ではなく小綺麗なカフェだった。

「このカフェは去年、警察を退職された佐竹さんが1人で切り盛りしているんです。佐竹さんはずっと料理オタクで昔から休日にずっと料理の研究をしてたんですよ。警察だったときはいつも暗い顔をしていた佐竹さんですが、カフェの中ではずっと幸せそうな顔をしているんです。それがうれしくてうれしくて毎度行くのが楽しみなんです。もちろん柏木さんにも同行してもらいます。そのために今日は貸し切りにしておきましたから。」

彼は僕の手錠を外しながら言った。

「あはは。一体何のつもりです?」

「おいしい料理を一緒に食べながらお話したいのでね。それに逃げようとするあなたを撃ち殺すぐらいの腕はあります。」

カフェは昭和レトロな感じの雰囲気で、天井にカメラがぶら下がっていた。

「お昼のニュースです。本日朝の八時に○○中学校で火災がありました。少なくとも15人の以上と連絡が取れない状況です。」

ぼんやりとテレビを眺めていると警察官がこちらをにやりと見た。

「放火魔になった気分はどう?」

「あはは。ざまあみろって感じですかね。」

「あなたは職員室の入り口で火をつけましたね。恨みがあったのは同僚ですか?」

「あはは。そうですよ。」

「しかし、今回の放火で子どもも巻き添えを食らう可能性がありました。それに関しては?」

「どうでもいいって感じですね。」

「はい。合格です。佐竹さん!カルボナーラを2つ!」

「はーい!」

「どういうことです?」

「え?カルボナーラ嫌いですか?」

「あはは。そういうことじゃなくて。」

「あー知らないんですね。あなた今”ちりとり”に合格したんですよ。」

「”ちりとり”?」

「ええ。最近刑法が変わってね。部分的に人殺しが合法になったんですよ。ほら。今でもAIが我々の行動や心理を見張っているでしょう。警察署には秒単位でAIからこの人間は近い将来、大きな犯罪犯すよ。とかこの人間は生き続けても社会にネガティブな影響しか及ぼさないよ。とかデータが送られてきます。今となってはこのような邪魔者たちを殺しても罪に問われないどころか、このような人殺しは称賛される行為になっています。ただいくらそうだと言っても実際、簡単に人間は人殺しができません。そこには高い心理的なハードルがあります。例え相手が邪魔者であってもです。そこで、すでにハードルを越えた人たちに罪を見逃す代わりに、邪魔者を殺す”ちりとり”として働いてもらおうということになりました。」

「もし断ったら。」

「逮捕します。これだけ殺してると間違いなく死刑になると思います。」

「あはは。実は放火が終わったら死のうと思ってたんですよ。でも必要とされているなら生きてみようと思います。”ちりとり”として。でもなんで自分なんです?人殺しに慣れている人間なんて探せば見つかるでしょう?」

「柏木さんを選んだのはAIです。もちろん人殺しを実行するというハードルを乗り越えたことも評価の要因でしょうけど、あなたが真面目であるということも大きいです。これまで真面目に仕事をしていたところを同僚は見ていなかったようですが、AIは見ていたんですね。」

「はい!カルボナーラです!」
店主がカルボナーラを2つテーブルに置いた。

「これおいしいんですよ!」

若い警察官と自分は夢中でカルボナーラを食べた。
ニュースの膨らんでいく死者数をぼんやりと聞いていた。

5

翌週の昼間、自分はホームレスが集まる河川敷で豚汁を作っていた。
これが”ちりとり”としての初仕事だった。
これは毒入りの豚汁である。河川敷で豚汁を作っていれば、まんまとホームレスが並び、豚汁を食べる。直接、殺し合うことなく1度に大勢のホームレスを殺せるというからくりだ。

いかにホームレスと言えども、教会やNPOのマークをつけていない得たいのしれない若者の炊き出しを食べようとするだろうか?

そんな懸念は一瞬にしてなくなった。
まず野菜を炒め始めた段階で、3人ほどのホームレスが近寄ってきた。

「あんちゃん。炊き出しかい?」

「はい。」

「何食分ある?」

「50人分はあります。」

「じゃあ。みんなに声かけてくるよ。」

「どうしてですか?」

「ははは。貧しいもんは助け合わねーと生きていけねーからな。ははは!」

そのホームレスの表情は今までに見たどの人間よりも幸せそうだった。

あっという間に大勢のホームレスが列をつくり、豚汁をむさぶるように食べていった。

6

鍋が空っぽになると新しく住むことになった部屋に帰った。

自分も学校での火災で死んだことになっているので、元のアパートに帰るわけにもいかなくなった。

そこで佐竹さんが空き物件になっていた、カフェと同じビルにある2階の一室を貸し出してくれた。

「柏木さんお帰りなさい。お腹がすいたでしょう。部屋に荷物を置いたらここで何か食べていってください。またカルボナーラでいいですか?」

「はい!お願いします!」

もう午後の2時になっていたが、テーブル席に2組ほど客が残っていた。
カウンター席で河川敷で30人以上の変死体が見つかったというニュースをぼんやりと眺めていた。

「称賛される勇気ある行動に市民は沸いています!!!」

とアナウンサーは声を高鳴らせた。

自分の知らないうちに世界が変わってしまうという経験は多くの人間が体験することだろうと思う。

それは仕事ばかりで視野が狭くなったり、ただ単に自分以外のことに無関心になったり。

知らないうちに人殺しが許容される世界になっていて、それに加え自分がそのような新しい世界をつくる仕事をしているとは少し前の自分には想像も付かなかったことだろう。

ぼんやりとしているうちに午後四時になり、客は全員帰った。

それと入れ替わるようにして、あの若い男性警察官がカフェに入ってきた。

「柏木さん!本日もありがとうございました。」

「ええ。まさか毒入りの豚汁を作るのに1週間も練習が必要だとは思いませんでしたけど。」

「あはは。そりゃ毒をいれるだけならすぐにできます。でもすこぶるおいしい豚汁を作った上で毒を盛らないと、全部食べてくれませんからね。味のせいで死者が減ったらもったいないことですから。」

「でも1週間、佐竹さんと一緒に料理作れて楽しかったです。こうやって熱心に丁寧に仕事教えてくれる人がいたら、どんな仕事でもやっていけるんだと思います。」

「ははは。佐竹さんに後で伝えてあげてください!喜ぶと思いますよ!」

佐竹さんは予約の電話を取っているようだった。

「柏木さん。早速今夜任務があるんですが、大丈夫でしょうか。」

「はい。どのような任務ですか?」

「ここから歩いて10分ほどの家に寝たきりの子どもがいます。1階の玄関の左の部屋で寝かされています。深夜に家に忍び込んでその子から人工呼吸器を外してください。それだけです。」

「準備はいらないって感じですか?」

「ははは。不安ならナイフでも鈍器でも持っていっていいですよ。あっこちら。その家の鍵です。」

「ははは。すごいですね。」

「AIにできないことないみたいですね。あはは。今日もよろしくお願いします!」


7

午前三時。指定の住所に着くとそこには2階立てのきれいな家があった。

なんの躊躇もなく合鍵で玄関に侵入すると左の部屋に入った。

そこには人工呼吸器などの医療器具に覆われた、小さな子どもがいた。

子どもの口元の人工呼吸器に手を伸ばそうとすると後ろから男の悲鳴のような叫びを聞いた。

「お前は”ちりとり”か!!!頼む!!うちの子を殺さないでくれ!!!」 

中年の男は今にも自分に襲い掛かろうとするような勢いで近付いて来た。

「うるさい!!それ以上近づいたら、子どもを殺すぞ!!いいだろう少し話をしてやる。だからそれ以上近づくな。」

中年の男は今にも襲いかかろうとする目を自分に向けたまま、座り込んだ。

「お前は父親だな。この子どもはもう社会にはなんの良い影響も及ぼさないことが決まっている。もう一生歩くこともなければ、意思疎通をすることもない。ただ寝て、家庭の金をむさぼり食っているだけの存在だ。それなのにどうして、この子の命に執着する?実は”ちりとり”を待っていたのではないか?うっとしい子どもを消してくれる存在を待って、1階にこの子を寝せていたのではないか?」

「1階に寝せていたのは、なにかあったらすぐに病院にこの子を送れるようにするためだ。頼む!殺さないでくれ!!歩けないのも意思疎通ができないのも僕ら夫婦にとっては大切なことだ。だからこそこの子のお世話をしてあげる喜びがある。たまに目を合わせてくれたときの幸せがある。この子がいるからこそ僕と妻は協力し合いながら、生きる喜びを見つけることができるんだ。」

「確かにこの子は何もできない。今もこれからも。でもこの子が存在しているだけで、夫婦は幸せでいられる。そういうことか?」

「そうだ。」

「お前の言うとおり俺は”ちりとり”だ。だから人斬り用のナイフを持っている。いつでもお前を殺すことができる。お前が代わりに死ねば、子どもの命は助けてやると言ったらどうする?」

「もちろん。自分が代わりになるさ。」

「お前がそこまで言うなら、そうしてやろう。」

僕が男にロープを渡すと、男は喜んで自分の手を拘束した。
ナイフをポケットから取り出し、男に向かって切りかかり、ナイフが男の首筋にあと3センチと迫ったところで動きを止めた。

「お前?本気か?」

「ははは。本気さ。」

ナイフをポケットにしまい、男の拘束を解いた。

「もうひとつ聞きたいことがある。今日の昼間、ホームレスに炊き出しをしていたんだが、ホームレスたちは自分で豚汁を食べるだけでなく、他のホームレスにも連絡を回していた。しかも、その行為に喜びを感じているようだった。なんで他人にそこまで干渉する?なぜ他人にそこまで関心を持てる?なぜそうすることが喜びになる?」

「そう聞かれると難しいな。でも人間って誰かのお世話すること好きなんじゃないかって思うんだ。ほらお世話してあげてるときって孤独が紛れるでしょ?最近は”ちりとり”が社会にとっての邪魔者たちをどんどん殺していく。寝たきりの老人も、ホームレスもそうだ。でも邪魔者がいないと人間は誰かをお世話する機会を失う。それは結構、苦しいことなんじゃないかって思う。必ずしも介護している人がずっと苦しいわけではないと思う。ホームレスに炊き出しをする人もそれを喜びに感じているかもしれない。そう考えると邪魔者も必要なんじゃないか?って思う。」

「ははは。お前は分かってないよ。実は俺、”ちりとり”になる前は中学校の教員だったんだ。俺はすこぶる仕事ができなくて、あいさつも返されないような邪魔者だったよ。でも誰も自分のお世話をしようとする同僚なんていなかったよ。だからね。放火して同僚を皆殺しにしたんだ。」

「そんなことがあったんだね。でも人間、邪魔者になることはしょうがないけど、孤独になるってことはおかしいと思う。あいさつを返されないとかもってのほかだと思う。この子ですら、孤独じゃない状況で生きていけるわけだからね。だからときには環境を変える必要もあるんだと思う。そういうことになる前にね。」

はあーと僕は大きなため息をついた。

「ははは。久しぶりに説教を聞きましたよ。じゃあ。俺はもう帰ります。」

8

玄関を出て一本道を歩いていると、あの若い男性警官が待っていた。

僕はもっていたナイフであの若い警官に切りかかった。

ナイフが警官の首に当たると、金属音がした。

「やはり、あなた人間じゃなかったんですね。」

「あはは。残念です。人間に勘違いされてこそ、最新のAIなのにばれてしまいましたね。」

警官は自分に銃口を突きつけた。

「あなたは任務に背いた時点で、ただの放火犯です。どうせ死刑なのでここで殺してあげますよ。」

「ははは。AIっぽいね。」

「ははは。もう人間を演じてもしょうがないですから。」

銃声が深夜の住宅街で響き渡った。

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