場面緘黙症だった時代の話

こんにちは。このページを開いてくださってありがとうございます。
今回は場面緘黙症だった時代の話を書いていこうと思います。
まずは場面緘黙症とは何なのかを紹介します。

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)、選択性緘黙(せんたくせいかんもく、英: Selective Mutism,SM)とは、家庭などでは話すことが出来るのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、ある特定の場面・状況では話すことができなくなる疾患である。 幼児期に発症するケースが多い。

場面緘黙症 - Wikipedia


私はまさに場面緘黙症でした。
幼稚園時代、母親と一緒に帰っていると、同じクラスの子が「バイバイ!」と手を振ってくれました。しかし、私は手を振り返すことはありませんでした。今思うと本当にひどいなと思います。だけど、あのときの私は声を出すことも体を動かすこともできず、全てが停止した状態でした。
しかし、家に帰れば一変し、流暢に笑顔でしゃべっていました。
これが場面緘黙症の症状です。

また、小学生時代も高学年になるまではずっとひどい状態が続いていました。
あまりにも喋らないもので、よく場面緘黙症の子が言われがちな「“あ”って言ってみて」と何回も言われたものでした。

小学校6年生のときにはこんなことがありました。その年のクラスでは、日直の人は朝のHRで、最近あった出来事をみんなの前に立って話すという決まりがありました。今、そのようなことがあっても、適当なことを話してさっさと終わらせようとしますが、当時の私にはそれができませんでした。朝のHRで何も思い浮かばなくて、完全に思考停止してしまっていました。そのときは何も言えず、帰りのHRで言うことになりましたが、そこでも何も言葉が出なくて、クラスメイトの帰りを遅らせてしまいました。

このように、場面緘黙症は、本人の意思に反して、話したり動いたりすることができなくなってしまいます。

大人になるにつれて、症状は治っていくケースが多いようです。
私も今は後遺症は残っていますが、ほぼ改善されたと思っています。
しかし、大人の場面緘黙症というのも存在します。

場面緘黙症の人口の割合について調べたら、500人に1人だそうです。
つまり、一つの学校に1人か2人いるかいないかという感じです。

このデータを知って驚きました。そして、悲しくなりました。
場面緘黙症の子は、多くの場合、学校に他に同じ症状を持つ子がいないから、ただ大人しいだけだと思われ、なかなか周囲に理解されないはずです。
理解されないまま学校生活を送ることはかなりの苦痛を感じることです。
だから、少しでも広まればいいなと思って今回このnoteを書きました。


ここまで読んでくださってありがとうございます。
嫌な思いをする子どもが一人でも減りますように。


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