隠し子の叫びー半世紀後の父との再会物語#1プロローグ
私のこの自伝のメインテーマは奪われた父性を奪還するための半世紀の旅である。私は3年前に、2歳の時に生き別れた実父と50年ぶりに繋がった。この希有な体験は感動と喜びと怒りと切なさが入り混じったなんとも言葉にし難い出来事であり、自分の心の癒しのために書くことが何よりの先決課題であると思い、重苦しい心を抱えつつ早速書き始めたが、半世紀を振り返らけねばならないこの自伝作成は決して容易なことではなかった。50年の人生の一つ一つの出来事を心の中で紐解き、整理し、感情と闘いつつ冷静に見つめ直し、何度か書き直さなければならなかった。石の上にも三年。やっと一つの文書として収めることができるまで、やはり、3年かかってしまった。
そもそも、この父親との再会に纏わる想像を絶するような喜びと苦しみの感情は、単独親権社会の中で私と同じように不意に片一方の肉親や実子と引き離された体験をした人にしかなかなか伝わらない。この引き離される体験はまるで喪失体験と同様なのである。私は前夫を癌で失っているが、今回の父についての真相を知ったことは未亡人の苦しみに匹敵するものであった。父について半世紀の間、同居家族より、彼は私を棄てた悪者だと聞かされてきた。その父に実際に巡り会った際、自分のこれまでの目や耳を疑うほど素晴らしい人であることがわかり驚嘆した。父は私と姉の親権を自ら放棄したわけではなく、これまで父と母との間での秘密のやり取りがあり、私は母一人の決断によって父を失っていたのであり、それを母が50年間も隠し続けてきたことを最近知った。この父に関する真相を実の娘でありながら知ることができず、私の知らないところで、私は父を失い、父は新しい家族を築くこととなり、父に巡り会うと同時に父を失ってしまったという意味で、この体験は私にとって大きな喪失なのである。この父に対する喪失の思いとは、このまま真相を知らないままの方が良かったかもしれない、父が見つかっても死んでくれていた方が、よっぽど心が楽であったかもしれないといったほどのもがき苦しむような心理状態なのだ。
この半世紀後の父との再会は、運命や神業としか思えず、もっと早く出会えていたらと悔しい思いに駆られながらも、父と別離した50年という月日は予め定められていたと納得せざるを得ない。私は現在海外に在住し、アメリカンスクールでスクールカウンセラーとして勤めている。肩書はカウンセリング心理学博士、ユング派志向心理士。50年前に生き別れた娘が、突如現れ、博士として成長し、国際舞台で奮闘していることを知った父は大変感動し、私に語った。「あなたは、こんな父の心を癒してくれた。世界一のカウンセラーだね」50年後に繋がった父から貰った「世界一のカウンセラー」という言葉は最高の勲章として私の心の真ん中にしっかり刻まれている。思えば、私のこれまでの波瀾万丈の人生はこの「世界一のカウンセラー」という父からの贈り物の言葉に凝縮されている。このように父に褒められる日まで私は無意識にも父という名の理想の「父性」を心に抱きながら上へ上へと登り詰めてきたように思う。何故か自分でもわからないままに、何かを求めて走り続けて来て、山頂に立ちやっと一息したところで父に巡り会ったのだ。心の旅はまだまだ続きそうだが、50代の今、ある程度、ユングのいう「個性化」の道の真ん中あたりまでは辿り着いたことができたような思いでいる。単独親権社会の犠牲者であり、父の隠し子のようになってしまった傷ついた1人の娘として、両親の離婚や不仲の中で苦しむ子供達の心の癒しに日々携わる1人の心理士として、私はこの半世紀を振り返る苦しい作業に着手した。50年を振り返ることは、これからの50年を作り上げることと信じ、一文一文書きながら、新たな人生の一歩一歩を切り拓いていこうと思う。(続く)