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私がクリスチャンになった訳[第5章:帰国後の試練]

  3年間のヨーロッパ滞在後の日本帰国は大変辛いものとなった。初めて日本を長期間離れ、ヨーロッパへ渡った時のカルチャーショックを上回る衝撃で、所謂、逆カルチャーショックに悩まされた。特に決して近代的な家族とは言えない我が家であったからかもしれないが、ヨーロッパで修士号を取得して自分では一回り大きくなったつもりでいたけれど、28歳で恋人と結婚せずに戻ってきた私は、まるで出戻り娘のように扱わられ、一番最初の試練として私を待っていたのは、お見合い結婚を強いられということだった。その母の決断にはもちろん理由もある。二度目にヨーロッパへ渡った時、私は地元の教員採用試験に合格していたが、現地の恋人が結婚してくれるかもしれないという期待を持って、苦手な母から離れたい一心で、採用を辞退し、駆け落ち同然で渡欧した。その採用試験に3年のヨーロッパ滞在後再度臨んだが、一次試験は通過したものの二次試験で不合格となった。恐らくそれは採用を一度辞退していたからであると思うが、そこで母は私を所詮能力もなく、30近い女で職もなく美人でもないのだから、結婚しても良いと言ってくださる方に拾ってもらうより道はないと力説したのだ。28歳で、たった一つの就職試験に通らなかっただけで、顔が醜いから結婚するしか道がなく、ヨーロッパで語学を培ったことも修士号を取ったことも全て結婚という未来の選択肢に吸い取られてしまうのかと思うとあまりにも理不尽な母の考えに潰されそうになり、私はどんどん精神的に病んでいった。
   いくら私の母の言うことが理不尽であると思っていても、お前のせいで地獄に堕とされたとまで母に言われた私は、たった一度の自分の人生選択のために、自分と他人の人生を滅茶苦茶にしてしまった自分の罪は深すぎると考え、路頭に迷う日々だった。あの時の自分を思い出すだけでもぞーっとし居ても立っても居られなくなる。そんな時、私は旧約聖書続編の一つである「マナセの祈り」を読み、神に助けを求め、あの時の自分に向き合おうとするのだ。「マナセの祈り」とはカトリック教会では第二聖典とされているが、ユダの王であったマナセの自己の偶像崇拝の罪を悔恨した祈りであり、罪の告白と神の赦しを請う祈りとして広く知られているものだ。

「全能の主よ、 我らの先祖 アブラハム、イサク、ヤコブの神、 彼らに連なり正しく歩んだ者たちの神よ、 あなたは天と地と そのすべての装いを造られました。 あなたは命じて海に境を設け、 栄光ある恐るべき御名によって 淵を閉ざし、封印を押されました。 万物はあなたの力に震えおののいています。 人はあなたの栄光の威厳に耐えられず、 罪人への仮借なき御怒りは、 人には忍びきれないのです。 しかし、あなたの約束された慈しみは、 計り知れず、究めることができません。 あなたは、いと高き主、 情けあつく、寛大で、慈愛にあふれ、 人に下した災いを悔やまれる方。 主よ、あなたは正しい者の神。 しかしあなたは、正しい人々、 罪を犯さなかったアブラハム、イサク、 ヤコブにではなく、 罪人のこのわたしに、回心の恵みを 与えてくださいました。 わたしの犯した罪は海辺の砂より多く、 とがは増しました。主よ、増し加わりました。 わたしは天の高みを仰ぎ見るには ふさわしくありません。 多くの悪事を行ったからです。 わたしは多くの鉄の枷で引き据えられ、 罪のゆえに、頭を上げることができません。 わたしには、安らぎがありません。 あなたを怒らせ、 御前に悪しきことを行い、 忌まわしき像を立て、とがを重ねたからです。 今、わたしは心のひざをかがめて あなたの憐れみを求めます。 罪を犯しました。主よ、罪を犯しました。 犯したとがを、わたしは認めます。 あなたに乞い求めます。 お赦しください。 主よ、お赦しください。 とがもろともにわたしを滅ぼさないでください。 いつまでも怒り続けて わたしに災いを下すことなく、 罪に定めて、地の奥底に捨てないでください。 主よ、あなたは悔い改める者の神だからです。 あなたは善き御心を示してくださいます。 ふさわしくないわたしを、深い慈しみをもって 救ってくださるからです。 わたしは生涯、絶えずあなたをたたえます。 天のすべての軍勢は、あなたを賛美し、 栄光はとこしえにあなたのものだからです。 アーメン。」
‭‭(マナセの祈り‬ ‭1‬:‭1‬-‭15‬ )

 「今、わたしは心のひざをかがめて あなたの憐れみを求めます。 罪を犯しました。主よ、罪を犯しました。 犯したとがを、わたしは認めます。」特にこの箇所を私はとても気に入っている。そして、心の膝を屈めながら、過去の自分と決別し、主と共に前進する決意を新たにして、縋るような思いで、下記の言葉を思い出し、祈り続ける。
 「死んだ過去の上に未来を築いてはならない。どんなに苦しくても過去を否定してこそ新しい未来が開けるのだ。そこに希望を置いて出発しよう」
   これは私の古いクリスチャンの知り合いの家に「復活」と題して詩のように綴られ、綺麗に清書され、壁に貼ってあったものである。彼女はある神父の著書の中からこの文書を見つけ、きっとこれは「復活」を意味するものだと思うと言ってそう題し、大切にしている言葉だと言った。
   罪人としての自覚は苦しいものである。しかし、そのきっかけがなければ救済はなく、新しい命を得ることもなく、イエスとの旅も始まらない。新宗教時代は、自分の力で自分の心を直す努力をすることを教えられた。キリスト教のような罪という概念はなく、心に溜まっていく「埃」が大きな染みにならないうちに日々、宗教儀式を怠らず、良い心遣いをしていったら良いというものであった。しかし日々の心遣いなどでは解決できないようなもっとドロドロした恐ろしい人間の奥深くにある「罪」というものの存在を自分の誤った人生選択から思い知らされた時、私はクリスチャンとしての第二の人生の序幕を既に歩み始めていたのかもしれないと思う。
   当時の私は、逆カルチャーショック、母との確執、二つのの宗教間の葛藤に悩み苦しんでいた。クリスチャンになる決意で日本に帰国したが、新宗教を信じる祖母や親戚や昔の仲間たちと又関係を持つ中で、新宗教とキリスト教の狭間に置かれ、悩み始めたのである。当時はプロテスタントに関心を抱いていたので、まずは三浦綾子の手記を読み、彼女がどのようにしてクリスチャンになっていったのかを学ぼうと思った。なんとなくこの手記を三回読んだらクリスチャンになる勇気が得られるかもしれないと思い、三度読んでみたが、どうもその気にはなれなかった。そこで以前日本で就職していた際お世話になっていたシスターTを訪ね相談をした。聖書をプレゼントしてくださったあのシスターである。「私、キリスト教にとても惹かれるのです。でも、多分クリスチャンにはならないと思います。やはり私が生まれた時から持っていた新宗教の信仰を棄てるのは難しいことです。」そういうと、シスターは仰った。「それはわからないわよ。神様がお決めになるから。」私は、そのシスターの言葉が深い悲しみの中にある私への命綱のように思た。神様が考えておられることは私の思っていることを超えている。自分の期待していないところで何かが始まろうとしているのかもしれないと思うと沈んだ心の中にもワクワクした気持ちが芽生えてきた。そしてあれこれしているうちにシスターとの聖書勉強会が始まることとなった。ただ、そのシスターはサバティカルイヤー(安息年)の長期休暇に入られるところだったので、代わりにシスターUが私に聖書を教えてくださることとなった。このシスターが後に私が東南アジアでカトリックの洗礼を受ける際にゴッドマザー(代母)となってくださり、彼女との出会いによって私の人生は大きく変わっていくこととなる。(続く)

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