茶の湯の魅力
この記事は、16年前の自分へのツッコミというスタイルで書いています。
一年ほど前から茶の湯に夢中になっている。茶の湯は日本文化の総合芸術と言われている。だがこの点も含めて、別の意味でも魅力を感じる。それを感覚的に表現すれば、単純に癒されるから。
茶室で時候の茶花や茶道具に囲まれ和菓子と抹茶を頂く。私の物覚えの悪さをありのまま受け入れた上でお稽古をしてくださる先生の寛容さに感謝しつつ、先輩の流れるように美しいお点前を拝見しながら催眠状態へと導かれる。最高の「癒し」である。
だが茶の湯に惹かれる理由を理屈で知りたい。そして感覚的ではなく歴史的に理解したい。ほとんど職業病である。そう思っていた折に、偶然、林原美術館館長の熊倉功夫氏の講演を拝聴する機会を得た。
講演の内容は、歴史的に茶の湯を概観するというもの、つまり中世以降の茶道史であった。おおまかに要約すれば、中世は「数寄 (すき)」、近世は「遊芸」、そして近代は「趣味」というふうに、各時代における茶の湯の特徴がまとめられていた。時代が激動するなかでも茶の湯が生き延びてきた詳細が理解できた。
なぜ茶の湯に惹かれるのか。結論的にいえば、遁世と還俗 (げんぞく)を気軽に繰り返す「プチ出家」であるという答えを得た。
中世の公家にとって、宮仕えから逃れたくて出家して仏に仕えるには覚悟が必要である。そこで茶の湯に夢中になり、数寄者 (すきしゃ)となった。本格的な出家ではなく、ひとときの遁世により世間のことを一切忘れる。茶名を称して俗世間とは別人になる。つかの間のプチ出家である。茶事が済んだら復飾して俗人に戻る。
近世になると、茶の湯は「遊芸」になる。茶の湯の大衆化、つまり素人が気軽に楽しむわけだ。平和で安定した江戸時代には茶の湯が家業化されて家元制度が誕生した。大都市江戸の繁栄がこれを支えた。
茶の湯の魅力は何か。それは遁世と還俗の往復運動である。ただし現実社会への帰り道で迷わないようほどほどに。
2007年11月28日
茶の湯のお稽古を始めたときの私は、かなり精神的に弱っていました。茶の湯に惹かれ、癒されていました。そして次第に茶の湯にハマっていきました。
16年後の今は、お稽古をしていません。ときどき主菓子を買い、キッチンシャカシャカをしています笑
キッチンシャカシャカというのは、私が勝手に呼んでいるネーミングで、お作法をゆるく守りながら、キッチンで、立ったまま、気楽に美味しいお抹茶を点てることです。使うお抹茶、お茶碗、茶センはまあまあ本格的なものですが、お茶杓はスプーンです^^; お棗はなく💦、お抹茶の缶から直接抹茶をスプーンですくいます。お抹茶がダマにならないよう、茶漉しでお抹茶をサラサラにします。
お抹茶を点てるときの私は、意識を研ぎ澄ませ、季節を感じ、五感をフル稼働させます。目を閉じれば、今まで経験したお茶会を思い出すことができます。瞬時に素敵なお茶室に行けます。バーチャルお茶室へのプチ出家ですが。
日本人でよかったなと感じる瞬間です。