20200829 (普及版)夏に見たい映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」批評5番勝負+1 副将 美しい夢の正体は「永遠の今」だった
ビューティフルドリーマーの本編でいえば、この批評はクライマックス向けて静かに語りかけていく、サクラ、面堂、夢邪鬼の会談のあたりでしょうか。さぁ、いよいよ第4弾です。
夢は見るものでなく作られるもの
さて、ビューティフルドリーマーの特徴と言えば、「夢」の解釈にあると思います。この映画では、夢は自分が見るものではなく何者かによって作られた作品であると設定していることです。
この世界観は、エトジュンがライフタイムベストで挙げている『パプリカ』にも通じるものがあると思います。
そして、ビューティフルドリーマーにおいて、夢を作るのは夢邪鬼の仕事です。その夢の世界はまさに、「誰か」のために都合よく作り上げられる世界であり、その「誰か」は夢邪鬼の選択によって決められるわけです。
このあたりは、中堅戦でも簡単に述べた点です。
夢邪鬼の夢の行く末
本編中、サクラが夢邪鬼を追い詰める際、夢邪鬼の紹介的な独白を行います。
夢邪鬼とサクラのやり取りを少し省略を交えながら引用しましょう。
サクラ「そなた夢邪鬼とみたがいかにっ!?」
夢邪鬼「へェ。確かに夢邪鬼だす。お初にども」「しかし、ねェさん、ようワイのコト知っとりまんなァ」
サクラ 「知らいでか!」「夢の邪鬼と書いて夢邪鬼!その名の示すとおり、夢をあやつり、人々に邪鬼の種を植え込んでは悦にいる悪しき鬼!」
「血塗られた歴史の暗部・・・・そこには、常に闇の中にうごめくオヌシの姿があった!内気な画学生をして狂気の独裁者たらしめたのはだれか!」
「詩を愛し、善政をもって知られた帝が、血の専制の果てに己が都に火を放ったのはなぜか!!」
(中略)
「ラムの夢を使ってなにをたくらんでおるかは知らぬが、こうして正体を暴かれた上はオヌシのもくろみもついえた!」
「我らをすみやかに、この夢の世界より解き放ち、どこへなりと立ち去れいっ!」
夢邪鬼「このねェさんのいうこと聞いとったらなんや、ワテ悪魔みたいやなァ」
サクラ「そのとおりであろう!」
夢邪鬼「冗談やおまへんで!そらまァあんさんがた生身のお方たちより多少の術は心得とるし、だいぶ長う生きてはおりまっけどな!」
「・・・・そやなァ・・・これがくせもんなんやなァ。長ごう生きとるいうのんが」
「ホラ、ずいぶんいろんな人たちに夢を見させてきましたわ。ねェさんが、今いわはった人の中にも確かに、ワテが夢をつむいだげた人がおりま。けど、かんちがいしてもろたら困りまっせ」
「ワテが創るんは、そのお人が見たいと思とる夢だけや。そやから、夢が邪悪なもんになったんやったら、それは、そのお人に邪悪な願いがあるからや」
サクラ「善悪はそれを用いる者の心の中にあり。科学者がよく使う詭弁じゃ」
夢邪鬼「ええ夢かてぎょうさんおましたんやでェ!」
「・・・・・せやけど、みんな長続きしまへんねん。みんな、ワテを追い越して悪夢になって最後は、我心たれに食われてしまいますねん」
「そのたんびに、ワテは、また別の夢のカケラ捜してあっちゃからこっちゃへ・・・こっちゃからあっちゃへ同じことのくり返しや・・・わて、もう疲れてしまいましてえ」
この時点で、夢邪鬼は諸悪の根源のような扱いをされており、科学者が原子力やダイナマイトを開発してしまったときにするお決まりの言い訳を言っているようにも聞こえます。
しかし、この後、あたるに弱みを握られたため、引き換えにあたるの夢をかなえた無邪鬼は、ありきたりすぎる酒池肉林をもとめたあたるの夢に対してこう語ります。
無邪鬼「ま、これで丸う治まるならええけど」「ワテのシュミやないなァ・・しかし、考えてみたら結局はこうなるんやんけ。なんやようわからん取り引きやんけ。アホらしいやんけ」
このセリフから伺えるのは、夢邪鬼にも趣味や好みがあるということ。ただの夢を生成するマシーンではなく、意思を持った一人のクリエーターであることが伺えます。
クリエーターとしての夢邪鬼の報酬
夢邪鬼はそういう意味でクリエーターなのです。誰かのために、その方が求める夢を創り続ける。夢邪鬼のセリフを引用しましょう。
夢邪鬼「オノレなんぞにわかってたまるかい。ワテの創る夢と現実がどうちがうちゅうねん。生まれた時から他人の夢に住んで、他人の夢こさえ続けて・・・一つくらいワテの夢があってもええやないか!なんでそれをこわさなならんのやァ!」
これはとても、厳しい条件です。他人の夢を創る報酬は自分の住む場所であるということ。誰かの夢が彼にとっての生きる場所なのです。
ならば、「悪夢に変わらない永遠に続く美しい夢」を求めるのもわかる気がします。
「ビューティフルドリーマー」ラムの夢
この映画のタイトルは、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」であります。物語のプロット上、ビューティフルドリーマーはラムにあたります。そのラムの夢は美しく、夢と現実の違いがわからなくなるほど精巧な夢をつくりだせる夢邪鬼が終の住処としたくなるほどでした。
では、夢邪鬼の求めた世界をラムに教えてもらいましょう。
ラム「ウチの夢はね・・ダーリンと・・お母さまやお父さまや、テンちゃんや、終太郎や、メガネさんたちと、ずーっと、ずーっと楽しく暮らしていきたいっちゃ」「それがウチの夢だっちゃ」
このセリフは物語冒頭とクライマックス直前に2度も繰り返し伝えられます。
質問される相手、場所、シチュエーションが違えども同じ答えをしていることから、ラムが本当にその世界を望んでいたことが強調されるわけでもあります。
ラムの夢は、「永遠に続く日常」と置き換えてみましょう。
時間の進むことのないラムが永遠の日常を求める矛盾
アニメというのはいつまでも年を取らない、時間が進まないという皮肉はあります。コナンと野原しんのすけと私は同い年だったはずですが、いつの間にか、私はその年代の子どもがいてもおかしくない年代となりました。
メタ構造で見ると、アニメのキャラクターであるラムが、「皆がずっと平和に暮らしていける世界」を幸せと思うことの滑稽さはあるでしょう。
しかし、現実世界において、ラムほど過ぎていく刹那に思いを馳せている人物がどれほどいるでしょうか。
西田幾多郎の言葉に、「永遠の今」というものがあります。これは、過去の自分と未来の自分は、現在の自分を通じて結ばれているが故に、私たちは、「永遠に続く今」を生きているとする言葉です。
しかし、私たちはいかに今をないがしろにしているでしょうか。その一方で、永遠に続く今を生きているラムが「この時間が続くことが幸せ」と言っているのは、目の前の今を一生懸命に生きることの重要性をたとえているようにも思います。
夢は必ず醒めるもの
ビューティフルドリーマーは約100分。その間、私たちはまるで、永遠に続く友引高校文化祭前夜の喧騒に生き続けられるような感触を味わえます。
しかし、最後、「責任取ってね」の一言で、現実に引き戻される私たち。
私たちは、「今」を生き続けるしかないのに、過去の記憶や経験は蓄積され、未来は刻一刻と今への変化していく。そうした現実に、100分の旅が終われば、映画館の白熱灯の明かりとともに連れ戻されます。
そこにあるメッセージは「夢は必ず醒めるもの」
そして、私たちは決して「うる星やつら」にはなれないということ。
いざ、大将戦!
「僕たちは決して『うる星やつら』にはなれない」
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