なんにもならないセルフラブ
わたしの「成果」ってなんだろう
「自分を愛する」をテーマに、もっとたくさん記事を書こうとするたび、
いつも自問する。
わたしは、いわゆる「成果」のようなものをあげているだろうか?
よくインスタのフィードで流れてくるような
「自愛を極めて現実が思い通り♡」になんてなっていないし、
「自分を愛してラクラク月収7桁!」にもなっていない。
「認定スーパーハイクラスウルトラセルフラブコーチ」とかでもない。(そんなのあるんだろうか)
趣味でイラストや文章を書いていて、ふしぎで嬉しいことに、インスタのフォロワーは1万人を超えている。
インスタでは、セルフラブやスピリチュアリティに関する自分の考えを投稿していて、もしかすると、見る人によってはいかにもな「生きづらさを解消する秘密を知って、今はすっかり元気になった人」に思われるかもしれない。
でも、わたしは別に人生の辛いフェーズを完全に攻略しているわけじゃないし、毎日ハッピーでポジティブでマインドフルなわけでもない。
いわゆる「ふつうの会社員」で、月の大半はリモートワークではあるけれど、オフィス出社の日には、乗車率150%を超える東京の超満員電車に、ぎゅうぎゅうに押し込められて出勤している。
人が羨む何かを持っているわけでもないし、これだけは絶対に負けません!みたいなこともない。
人生の使命みたいな、大それたことも考えていない。
だから、自分を愛することについて書くとき、「成果」や「効果」や
「ビフォーアフターのアフター」のようなものが思い浮かばないのだ。
うーん、これはまずい、と思って、ここ数年を振り返り、なんとか、成果らしいものを考えてみようとする。
それっぽくて、かつ定量的なものは、「インスタのフォロワーが1万人を超えました!」くらいしかない。…まあ、事実ではあるけれど、こんなふうに言ってまわるのは、なんだか違和感があるのだ。
違和感の正体
「自分を愛したら願いが叶ったよ!」
「自分を愛すれば現実は思い通りだよ!」
「自分を愛することができれば、過去のトラウマもぜ〜んぶ癒されるよ!」
世間ではこういう言葉で、「自分を愛する」が売りに出されている。
わたしも、ずいぶんお金と時間を使ったように思う。
その頃のスマホの検索履歴は、
「自分を愛する 具体的に」「自分を愛する できない」
「自分を愛する 潜在意識」「自分を愛する 引き寄せ」
「自分を愛する 甘やかす 違い」「自分を愛する 本 おすすめ」
「自分を愛する 変化」みたいなものが並んでいた。(壮観!)
結局、わたしが “狙って”いたのは「自分を、愛する」ことではなく、
その先で得られるとされる、あらゆる副産物だったのだ。
今、SNSで流れてくる広告をぼーっと眺めていても、
自分を愛することのメリットや効果、それによって手に入れられるモノに焦点が当てられていることが多いように感じる。
広告というものは、その商品やサービスによって、具体的に何が得られるのかを提示するのが普通だから、まあ仕方のないことではある。
でも、みんな無意識のうちに気づいているはずだ。
自分を愛するってそういうことなの?
なんか違くない?
成果や結果が出なきゃ、「十分に自分を愛している」ことにはならないの?
そういうモヤモヤを抱えつつも、
ほとんどの人がかかっている「生産性」という呪いの力が、
その違和感を、いつの間にかきれいに消し去ってしまう。
「実益にならないんだったら、自分を愛したって無駄。何らかの効果を出さないと」という思考に、ナチュラルに逆戻りだ。
なんにもならなくたって、愛してる
だから私は、「なんにもならないセルフラブ」が広まってほしい。
「無条件に自分を愛そう」とはよく言われるけれど、
わたしも含めてみんな、本当の意味で無条件になれているだろうか?
成果や結果やメリットを期待せずに、それでも自分を愛する覚悟ができるだろうか?
「自分を愛する」のイメージにも、変わってほしい。
ピンクや白や優しいニュートラルカラーで彩られた「特別なもの」から、
「日常に溶け込んでいて、当たり前で、別にキレイでもオシャレでも難しくも高尚でもない、ふつうのこと」に。
もっと、ふつうに、自分を愛そう。
効果や成果が何ひとつなかったとしても、自分を愛そう。
「もう、愛さないのは疲れた。だから、愛してしまおう。」
それくらいの感覚がちょうどいいかもしれない。
これから、「自分を愛する」をテーマに、noteの更新を頑張っていこうと思います。楽しんでいただけたら嬉しいです。
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いつもわたしとわたしの投稿を、面白がって見守ってくれて、ありがとうございます。
ドリゼラ