VR作品をこれからつくりたい方へ
VRに初めて触れる方、VRに興味はあるものの開発経験がない方に向け、VRシステムや作品を制作するにあたっての考え方まとめてみました。
VR"を"教育研究からVR"で"教育研究へ
私は学内業務の一つとして、2018年2月に発足した部局間連携機構 東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター(VRセンター)の応用展開部門長を務めています。
VRはもはや商用化の段階であり、なんで今更大学でVRの研究?とお考えの方もいらっしゃるかと思います。このVRセンターは、VRについて教育したり研究することだけが目的でなく、VR"で"研究・教育を行うという点がポイントです。
1989年、VPLリサーチ社CEOのJaron Lanierがvirtual realityというコンセプトとともに世界初の商用VRシステム『RB2』を販売開始しました。1989年6月7日1時23分45秒(1:23:45 6/7/89)にサンフランシスコで最初にデモが行われ、大きな注目を集めたそうです。その後1990年3月4日にVRにかかわる世界の研究者が集って開催されたサンタバーバラ会議を経て、国内でも産官学が連携しVRの研究開発が行われました。これが第一次VRブームの始まりです。そんな熱気の中で大学に入学した私は居ても立っても居られずに、友人たちとVRデバイスを自作し始めました。
それから20年以上経た2012年、『Oculus Rift』の登場とともに再び注目を集めたVR、個人でも手の届く価格となったVR機器が支える第二次ブームは、もはやVRを作ることだけでなく、VRをいかに様々な分野で利活用するかという点に活動の重点がシフトしつつあります。
バーチャルは「カレー粉」ではない
私は学生VRコンテストIVRC、SIGGRAPH Emerging Technologies / VR TheaterやVRクリエイティブアワードなど各種審査員を務めてきましたが、毎年のように、「バーチャル野球」や「バーチャル丼」といった森羅万象に「バーチャル」を付けただけのように見える企画が散見されます。
かつて漫画家のしりあがり寿さんは”森羅万象を煮込んで最後にカレー味をつけたのが究極のカレー”と看破しました。原野で食材を調達する必要があるサバイバル訓練ではカレー粉は必携と聞いたことがあります。私も煮込み料理中にいまいちかな? と思ったときは、えいやッとカレーにしておいしくいただきます。カレー粉は確かにどんな食材もカレー化してしまう強力な調味料です。
どうやらバーチャルもカレー粉のように多用されがちで、なんでもディジタルとかバーチャルをつければそれっぽいVR企画に見えがちです。しかし、出される側からすると「またカレー?」「日本印度化計画の方ですか?」となってしまうのです。(ただしインドに滞在したときは毎日カレーでも、ベジタリアンになっても生きていけると思ったもので、味覚にも環境との相互作用があるようです)
これからVR制作にチャレンジする方は、まずは森羅万象のVR風味をいくつかトライした後に、やりたいことに「バーチャル」とつけなくても新たな体験を提供するものであるか検討してみてください。もちろんテーマがありきたりであっても、実現手法や適用フィールドに新規性があれば高く評価されます。偉そうに書いていますが、振り返ると私も学部生の頃は世界バーチャル化計画の人でしたので、VR初心者が陥りがちな魔境なのかもしれません。ぜひ後述する物理世界の不可能を可能とするVRにチャレンジしてほしいと願っています。
VRのゴールは物理世界の再現か?
ところで、究極のVR空間とはどういったものでしょうか? 映画『マトリックス』などで描かれたような、物理世界と区別のつかないphotorealisticな世界でしょうか? そんなSimulated Realityの構築はVR研究の大きなマイルストーンです。
ここで残念なお知らせがあるのですが、VPLのVRシステムが鳴り物入りで世に出た1989年、コーネル大学でコンピュータ科学を専攻する博士課程学生Richard S. Palmerによる学位論文が発表されます。その論文のタイトルは
『Computational Complexity of Motion and Stability of Polygons』
多くのVR世界はポリゴンと言われる多角形を組み合わせることで構築されています。そして物理世界と同様に物体を扱うにはポリゴン同士の干渉を正確に計算する必要があります。ところがその計算量は、条件によってNP完全ないしはNP困難であることが論文中で指摘されているのです。つまりVRで地球上のすべての物体の動きを完全に再現しようとする場合、現在一般的に用いられている原理のコンピュータでは宇宙の終わりまで計算が完了しないかもしれないわけです。
VRはそのデビューと時を同じくしてSimulated Realityとしての限界が明らかとなりました。私はこの論文の存在を長谷川晶一先生から伺ったとき、自分がいま生きている世界は『マトリックス』のようなVR世界でないことにホッとするとともに、自分が研究しているVRにガラスの天井があることを知り、『胡蝶の夢』から覚めたわけです。
物理世界の不可能を可能とするVR
実はVRにはもう一つ大きな可能性があります。それは我々が普段パソコンやスマホで利用しているような高度な検索能力、undoやcopy and paste、光速での転送など、物質では実現困難な機能です。VPLのJaron Lanierも、VRは重力や空腹など物理世界の制約を超えうる技術であると当初から指摘していました。
ちなみにVRの草分けの一つともいわれるのが、第二次世界大戦目前にEdwin Linkが開発したフライトシミュレータ『リンクトレーナー』です。
このフライトシミュレータの登場により、燃料代などを気にせず、命にかかわるような危険な状況を模した訓練を、安全に何度も行うことができるようになりました。つまり、フィクション作品『All You Need Is Kill』のように、物理世界ではたった1つしかない「ライフ」をいくらでも増やし、生死にかかわる失敗からも学ぶことができるようになったわけです。現在はパイロット養成課程の多くの時間がシミュレータでの訓練に割かれています。フライトシミュレータは物理世界ではできない経験を可能としている点で大きなメリットがありますが、その名の通り物理世界を模した一種のSimulated Realityでもあります。
現実のエッセンスとしてのVR
ここで私がSimulated Realityと異なるVRゴールの一つとしてよく挙げているのが航空写真と地図の関係性です。航空写真は物理世界の写実そのものです。しかし、航空写真のみで道案内をすることは困難です。地理情報を抽出し模式化した地図は、まさに物理世界をvirtual(実質・本質)化したものであり、物理世界の忠実な再現のみがゴールとは限らないことを示唆しています。
提供:国土地理院
これは写真と絵画・漫画の関係性にも近いかもしれません。写実主義の後に象徴主義や印象派が登場したように、CG研究の歴史も写実的な「photorealistic rendering」をある程度達成した後は「non-photorealistic rendering」が盛んに研究されました。漫画やアニメはそれ自体が表現のゴールにもなりうるわけです。
一方で逆転の発想もあります。VoxelKeiさんによる『日本列島VR』は抽象化された地図データを基に写実的な3D空間を合成する、いわば「realized virtuality」ともいえる極めて興味深い試みです。
危機感と存在感
VRならではの特徴として、命懸けのことが何度も安全にできるということがメリットの一つというのは先に述べたとおりです。一方でそのこと自体が体験のリアリティを下げる可能性も指摘しておきます。私が助手の頃、舘暲先生と相互テレイグジスタンスやRobotPHONEについて議論しました。その際「立体映像をいくら頑張って作っても、眼前に簡素なロボットがいる存在感にかなわないのはなぜだろうか?」ということが話題になりました。議論を通して出た仮説が「我々の存在感の認知は、対象の潜在的な危険性の認知と正の相関があるのではないか?」というものです。
遠隔講義を受けている時、画面の向こうの教員が投げたチョークがあなたにあたることは万が一にもありません。しかし対面講義の折は、(私は誓ってやりませんが)その可能性がゼロとは言い切れないわけです。どんなシンプルなロボットでもそれが自分に向かって暴走してくるかもしれない危険性がある点で、高精細なCGはかなわないのかもしれません。
その仮説に基づき作ったシステムが、CGの存在感をロボットが増強し、ロボットの機能や見た目をCGで増強することを目指した『Augmented Coliseum』になります。
積極的に「危険」を活用することでリアリティを高めようとした作品もあります。ドイツのメディアアーティストが作った『PainStation』です。見た目は懐かしのATARIのゲーム『Pong』ですが、負けるとプレイヤーに電気ショックが与えられるというものです。無人機を遠隔操作することにより攻撃側のリスクが無い現代の戦闘を批評した作品ともいわれています。
この電気ショックは相当乱暴な方法ですが、一歩引いて物理的な刺激を身体に与える触覚インタフェースによる存在感の向上や、経済的な危機感を用いるギャンブルとリアリティとの関係性について考察してみるのも興味深いかもしれません。
体験は、後戻りのできない一回限りの事象
ところで、VRの父とも称されるIvan E. Sutherlandが1968年開発したVR/ARシステムは、機械式のリンク機構ないしは超音波で頭部の位置・姿勢を計測していました。天井から吊り下げられたデバイスの姿から、『ダモクレスの剣』と名付けられました。
このダモクレスの剣とは、シュラクサの僭主ディオニュシオス2世が、天井から細い糸で剣を玉座の真上に吊るすことで臣下のダモクレスに王位の危うさと緊張を説いたという逸話がもとになっています。私の勝手な想像ですが、サザランドはシステムの見た目だけでなく、リアリティの本質は危機感と悟って名付けたのかもしれません。
とはいえリアリティを高めるために危険なシステムを作ってしまっては元も子もありません。怪我は後戻りのできない恐怖を体験者に与えてしまいます。シミュレーションにより、いくら現象を何度も正確に繰り返すことができても、体験は後戻りができない一回性の事象です。初めて映画を観た感動も、初めてVRを体験した驚きも、一生に一回しか得られないのです。悪い思い出でをトラウマにしてしまってはいけません。(トラウマを癒すVRセラピーもありますが…)安全性と適度な緊張感のバランスこそがリアリティの高いVRシステムの肝となるでしょう。
まとめ
以上VR作品やシステムを考えるうえで私が重要と考えるポイントを概説しました。今後VRをはじめとするICTの利活用を考えるうえでも、物理世界の不可能を可能とすることがキーとなると考えています。私が現在研究している人間拡張工学も、物理世界ならぬ物理身体の不可能を可能とすることを大きな目標としています。
この記事をご覧になり、より体系的かつ網羅的にVRについて学びたくなった方は、ぜひ日本バーチャルリアリティ学会編『バーチャルリアリティ学』を手に取ってみてください。ジェレミー・ベイレンソン著『VRは脳をどう変えるか?』もVRの応用を展望する上でお勧めです。
私が顧問をしている東大VRサークル『UT-virtual』学生によるこちらの記事も良くまとまっています。