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実験・実習のIT導入3段階を考えてみた

VRをはじめとするITの導入は、理工系の実験・実習にどう貢献しどう変えるのかをカジュアルに考えてみました。今回は主に学生を含む教育関係者向けになります。毎度の言い訳ですが、教育の専門家ではないのですが、教育には思い入れがあり、雑駁かつ当初の想定以上の長文となってしまいました。

学生の9割近くが座学のオンライン受講を希望

オンラインで講義や会議を行う日々が続いています。先日二か月ぶりに対面会議に出席したところ、どっと疲れてしまいました。どうやら物理世界への復帰にもリハビリが必要なようです。

ところで、まだ非常事態宣言下の5月26日、twitterで学部生の方を対象として今後数か月の授業形態についてアンケートを取ってみました。

驚くべきことに9割弱の方が、座学であればオンラインの方が良いとの回答でした。同様のインフォーマルな調査を本学計数工学科の学生対象に学科Slack内で行ったところ、70名近い回答中9割の学生が座学を希望し、従来の対面講義への完全復帰を望む声は1割しかありませんでした。これは、「オンラインツールを用いたオンライン講義に関するアンケート」というバイアスを考慮したとしても無視できない比率であると考えます。

前回書いたnote『VR作品をこれからつくりたい方へ』の中で体験は後戻りのできない一回限りの事象と書いたように、緊急事態による半ば強制的なオンライン講義体験も、後戻りのできない思考の変化を学生に与えたのかもしれません。

オンライン講義ならではのメリット

私もこの数か月間、講義や会議、そしていくつかのイベントをオンラインで行い、その中でZoomやWebEx、Slack、Remo以外にも様々なオンラインツールを使ってきました。例えばcomment screenやニコ生を用いた双方向授業、clusterを用いた身体性を伴う講義や研究室紹介セミナー、SpatialChatを用いた学部学生とのワークショップなど経験値を積んできました。DiscordMozilla Hubsにもチャレンジしてみたのですが、残念ながらまだうまく活用できていません。

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これらのオンラインツールは色々便利な点もあるのですが、なかなか従来の対面講義と全く同様とはいきません。学生からも、自宅だと集中しにくい、生活のリズムが崩れやすく講義時間中も寝てしまう、ちょっとわからないことがあっても隣の友人に聞けない、筆記試験の代わりに膨大なレポートが課せられる、などの声が寄せられ、課題は山積しているようです。

一方で『オンライン講義に疲弊しつつある先生方へ』でも一部触れましたが、ソーシャルメディアを眺めていても

・気楽に質問できる
・講義資料が見やすい
・通学時間がかからない
・通学に伴うトラブルがない
・空調を自分好みに設定できる
・他キャンパスの講義を受講しやすい
・録画の場合、自分の理解速度に合わせて受講できる

などの声もあり、オンライン講義ならではのメリットを感じている学生も確かにいるようです。そして多くの利点が認識された以上、いつか社会の状況がかつてのように戻ったとしても、オンライン講義が皆無になることはなさそうですし、大講義室での授業よりはオンラインでの受講を希望する学生も増えそうです。「学割り」という言葉も、かつての通学定期券の話から通信料の学生プランをイメージすることが普通になるかもしれません。

しかしながら、先のアンケートからもわかるように、実験・実習に関しては対面での受講を希望している学生も多くいます。今後はVR等を活用した教育プログラムも続々と登場することでしょう。これを機にVR化をどんどん推し進めるのが東大VRセンター応用展開部門長としてのミッションでもあるのですが、「実験・実習を本当にVRでできるのか? VRでやって意味があるのか?」と過去の私からの問いかけが聞こえてくるのです。

VRで化学実験の面白さは伝わるか?

実は私は中学・高校は化学部に所属し、化学・生物発光や定番の化学マジックを楽しんでいました。初めてA/Dコンバータやオペアンプに触れたのも、YBCO系酸化物超伝導体冷却時の抵抗変化を測定するためでした。

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ウミホタル・ルシフェリンの青く透き通るような冷光、テルミット反応の熱く飛び散る火花と焼けた金属の臭気、低温の液体窒素とマイスナー効果による空中浮遊。これらの実験に科学少年だった私が心惹かれたのは、身近な物体の性状が劇的に変化する様子を、五感を通して体験できた点です。

当時はPC黎明期でもあり、プログラムで好きな絵やモーションを8色で描画できるパソコンはまさに魔法の箱でした。しかし、現在の一般的なVR技術で化学実験を視聴覚のみで再現したところで、光って変色して宙に浮くのはCGでは当たり前、というかむしろ得意とするところ。そこに映像としての美しさや迫力があっても、非日常的な現象を目の当たりにした驚きも、感動も限られたものとなることでしょう。

私がいつも楽しみにしているサイト『デイリーポータルZ』編集長の林雄司さんは、フォトレタッチソフトを使えばすぐできることを、あえて物理的に行うことが記事を面白くする秘訣とおっしゃっていました。物理空間にはVRでは及ばない潜在能力がまだまだあるようです。

もう一つ懸念があります。私見ですが、教育の目的の一つに安全な失敗経験を与えることが挙げられます。確かにVRは転倒等に注意すれば安全です。しかし安全すぎることが懸念点なのです。前回書いたように、危険性が皆無の経験は、その迫力も緊張感もそして記憶への定着も限定的なものとなってしまうことでしょう。

では、実験・実習をオンライン化・バーチャル化することは、今後も困難かつ意味がないことなのでしょうか? 

座学と実習とをつなぐシミュレーション

私はVRを用いた実験は、座学と実習との橋渡しとしての役割が大きいと考えています。講義で学んだ理論に基づき自らの手で現象をシミュレートし、さらに容易にパラメータを変えながら結果を眺めることで、構成的な理解を促すことができるかもしれません。

一例を挙げますと、ベロウソフ・ジャボチンスキー反応(BZ反応・振動反応)という比較的有名な化学実験があります。攪拌すると周期的に液体の色が変化し、シャーレに静置すると広がる縞模様に私も心惹かれたものです。最近東大のサイエンスコミュニケーションサークル『CAST』がなかなか良い出来のBZ反応の実験・解説動画を公開したようです。

このクオリティの実験・解説動画をオンラインで視聴した後に、講義で学んだ反応拡散方程式に基づき、例えばチューリング・パターンをシミュレーションで自ら生成し観察できるのであれば、それなりの感動を伴いつつ現象の背景にある原理の理解を助けてくれるかもしれません。

こちらのサイトでは、BZ反応などを支配している反応拡散系を、パラメータを変えながらリアルタイムに体験できます。美しく、生き物のような動的な構造に、かつてBZ反応にそれなりに親しんでいたはずの私もしばらく見とれてしまいました。

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現在の科学は物理空間での理論科学実験科学、および情報空間での計算科学データ科学の4種に分類されると言われ、シミュレーションは計算科学に分類されます。そしてこのような座学と実習とをつなぐシミュレータの教育応用は、MATLABなどを用いた演習など内外で広く行われています。

現状のVRは物理空間の実験・実習を代替するものではありません。しかし、VRとは主観と客観、物理空間と情報空間とを滑らかにつなげる技術と換言できます。このブリッジとしてのVRを実験・実習に用いることで、理論と現象とを情報空間を介して橋渡しすること、その過程を体験化することが期待できます。今後4種の科学のつながりを実習化する上で、VRは大きな役割を果たしうると考えています。

IT導入3段階

ここで少し話が変わりますが、IPA未踏事業のプロジェクトマネージャー(PM)としてご一緒している、さくらインターネット田中邦裕さんのnote『ITの導入段階を勝手に雑く3段階に分けてみた』を紹介させてください。

とても興味深い記事で、実はこのnoteをきっかけとして本稿の執筆を思い立ちました。記事中で田中さんは、IT導入はアナログ / デジタルの2段階でなく、デジタイゼーションデジタライゼーションデジタルトランスフォーメーション(DX)の3ステップを経て移行すると述べています。例えば「航空会社の運航管理」の場合、以下のように考えられるようです。

・アナログ
 紙で集計、手で計算
・デジタイゼーション
 エクセルのマクロで自動計算し、それを人が見て承認
・デジタライゼーション
 システムに入力すると、顧客の座席配置や燃料情報、貨物積載情報と紐づけて、自動的に運行情報を作成し共有
・デジタルトランスフォーメーション
 家でVRで旅行してる

航空会社のDXがVR旅行というと唐突に聞こえるかもしれませんが、こんな話があります。XPRIZE財団という非営利組織が、有人宇宙飛行や月面探査など、社会にブレークスルーをもたらす技術の各種コンペを行っています。その一つに『XPRIZE AVATAR』という賞金総額1千万ドルをかけたテレイグジスタンス技術のコンテストがあります。実はこのスポンサーがANAなのです。

テレイグジスタンス技術は、いわばバーチャルにテレポーテーションを実現する、航空会社にとっては破壊的イノベーションとなりうるものです。ANAはそんな技術を切磋琢磨するコンペのスポンサーとなるだけでなく、アバターを社会インフラとして立ち上げることを目指したスタートアップ企業『avatar-in』を2020年4月に設立しています。

そんなわけで、田中さんの分析は決して荒唐無稽なものではなさそうです。

実験・実習のDXとは?

それでは、田中さんに倣って理工系の実験・実習のIT導入過程を3段階に整理してみます。

・アナログ
 実験データを紙で集計、手で計算
・デジタイゼーション
 実験データをエクセルで集計してグラフをプロット
・デジタライゼーション
 理論に基づきシミュレーションし、実験データと照合

前述のシミュレーションを活用することで2段階目までは埋まりました。では、3段階目のデジタルトランスフォーメーションはどのように考えればよいのでしょうか?

改めて実験・実習をはじめとする理工系教育の目的を思い返しますと、その柱の一つは、学生たちが将来研究開発やビジネスの現場で扱う対象の知識を得て、理解を深めることにあるでしょう。(もちろん世界を知的解像度を高めて観察することで、生きる楽しみを得たり、人生を主体的に捉えることで心の自由を獲得するなど、学問は様々な価値を提供するものです)

そして従来の理工系の仕事の多くは、物理世界を対象とするものでした。この物理世界の理解を深めるために、初等教育では自然観察などが、中等教育では物理・化学・生物などの実験や技術の実習などが行われていました。

しかし今、社会は大きくそして加速度的に変わろうとしています。もし『Society 5.0』として展望されたサイバーフィジカル社会への変革、つまり社会のDXを目指すのであれば、その新たな社会を構築し、理解を深めるための学びが必要となるはずです。

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内閣府web『Society 5.0』より

よく「大学は社会で役に立つことを教えていない」とのお叱りを受けることがありますが、ここでいう社会とは現在の社会ではなく、学生たちが将来形作り活躍する社会であるはずです。

恐らく実験・実習のDXとは、物理世界の理解を促す従来の教育のIT化・VR化ではなく、情報空間と物理空間が高度に融合しDXがなされた未来の社会を展望し、そこで新たなサービスを作るための経験を積む場と位置付けられます。そのような意味では、ロボットコンテストやプログラミングコンテスト、そして手前味噌ですが『IVRC』『超人スポーツ』『未踏』などは、実験・実習のDXの先駆けだったのかもしれません。

なぜ私がこれらのイベントに心が動き、運営に汗を流してきたのか、今ようやく腑に落ちました。今ある社会を変革し、未来の社会に貢献できる学生を世に出したかったからです。

おわりに

というわけで、私自身がスッキリしてしまったので、本稿はここまでにしたいと思います。

まとめますと、

・講義のオンライン化の流れは恐らく不可逆であるが、座学はともかく現状の実験・実習をそのままバーチャル化するには困難が予想される
・理工系の実験・実習にITを導入する上で、理論と現象をつなぎ、客観を主観的な体験に変えるためにVRを活用可能
・今ある社会を変革し、未来社会を開拓する学生を育てるためには、新たな実験・実習を設計する必要がある

がとりあえずの結論となりそうです。

積み残しの議論として、ではSociety 5.0におけるリテラシーとは一体何なのか? それって本当にSTEMなの? があります。こちらは(私の時間と思考の)余白が狭すぎるので、是非皆さんからご意見をいただきながらゆっくり考えたいと思います。

2020年7月3日追記:
文科省がこのような試みを始めるようです。デジタライゼーションまで視野に入れているということですね。これでさらに積み残しが出ました。大学のDXとは?



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