身体情報学研究室(稲見・門内研) 研究方針
はじめに
進学先やポスドクとしての所属先を選ぶ方のために、稲見が考える研究室の研究方針を示したいと思います。
※ 研究方針に関しては、先端研 研究者紹介 フロントランナーやリケラボの記事もご覧ください。
※ 運営方針についてはこちらのnoteをご覧ください
Vision: 我々が目指していること
さて、こちらの絵をご覧ください。これは、ポール・ゴーギャンがタヒチ滞在時代に描いた『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』です。このタイトルは人間に関する研究領域の重要な3つのリサーチクエスチョンともとらえることができます。
身体情報学研究室では、うしろ2つの疑問、つまり「我々は何者か」そして「我々はどこへ行くのか」について、身体を手掛かりに情報学の手法を用いつつアプローチすることを目指しています。
その思いを込め、東大先端科学技術研究センターにおける研究分野名を『身体情報学 (Information Somatics)』と名付けました。
そして我々は身体情報学の研究を通し、「人類の選択肢を増やすこと」を目指したいと思っています。コロナ禍を大学が何とか乗り切ることができたのは、Zoomなどのオンラインミーティングや通信インフラが整っていたためです。コロナ禍以前も我々は海外の共同研究先との会議にZoomは使っていたのですが、学内の会議や講義ではほとんど使われていませんでした。しかし、いざというときに使える技術があったからこそ、我々はオンラインを選択できたのです。
ここ数年我々が経験してきたように、今後もパンデミックだけでなく大災害や社会変革など我々にとって「想定外」なことが突如として起きることでしょう。もっとも寺田寅彦が『津波と人間』で述べたように、想定外だからこそ災害なのですが。そして、災害とまでいかなくても、今後何か新しいことにチャレンジしたいときでも、必要な材料がそろっていないと、せっかくのチャンスを見逃すことになってしまいます。
「自由とは何か?」これは色々な考え方があると思います。エンジニアである私としては「選択肢の数の多さ」こそが、行動の自由を担保することになると思います。先端研の同僚の熊谷晋一郎先生も、まさに「自立は、依存先を増やすこと」と述べられています。そしていざというときに「こんなこともあろうかと」と人類にとっての選択肢を増やすことこそが我々エンジニアの貢献であると思っています。
インテルの創業者であるゴードン・ムーアは集積回路に実装されたトランジスタ数が指数関数的に増えると1965年の論文にて述べ、その後コンピュータやネットワークなど、情報技術の性能が毎年のように増大するということがまるで自然現象であるかのように語られています。
しかしながら、これは世界の科学者・技術者のひたむきな努力の結晶の賜物で決して他人事ではありません。今後の持続的発展可能な社会の実現のためにも、我々自身が当事者として、様々な選択肢を生み出し、提案することが重要であると考えます。
Mission:研究を通し我々が実現したいこと
上記ビジョンに基づき、我々の研究室は、バーチャルリアリティ(VR)、拡張現実感(AR)、ウェアラブル技術、ロボット、機械学習などを援用し、以下の項目の実現を目指し研究活動を行っています。
身体を「情報システム」として理解する
新たな身体像を獲得する「機序、トレードオフ、適用限界」を明らかにする
身体性に関する疑問・仮説を理論を、実装し体験化することで証明する
研究を通し社会に驚きとインパクトを与え、世界の見え方を変化させる
特にVRは、物理世界や生身の身体では困難な状況を、ダイナミックに変化させながら、高い再現性で提示することができ、さらにはオンライン上で社会実験を行うことも可能となりつつあります。つまり、VRは人を対象とした研究を行う上で理想的な実験環境ともいえます。そして我々の研究を通し、自らの能力があたかも拡張したかのようにテクノロジーを身にまとうことを可能とする、いわば「人間拡張」を実現することができます。2017年10月から2023年3月まで、JST ERATO 稲見自在化身体プロジェクトで様々な研究および社会連携活動を行ってきました。
現在上図のように、様々な身体性を自在に設計するため、内外の研究機関や企業と連携しながら研究を進めています。
我々はどうありたいか、何を大切にし、何を避けたいか
まず、我々は研究者として以下のようにありたいと思っています。
まだ多くの人が想像できない問いを立てる
まだ言葉になっていない未知の何かに挑戦する
未知の何かを具現化し広めるため、分野を超えたコミュニティを作る
そして、研究を進めるうえで我々は以下のことを大切にします。
設計でなく・設計論 (理論・モデルを意識)
サプライズ (補助線のように物事の見え方が変化するような研究)
食事・睡眠 (健康的な生活を維持)
手で考え、足で見る (実物を作って考え、現地に足を運んで見る)
隣のプロジェクトの研究を識る
仲間を増やす・コミュニティを作る
ステイクホルダーへの説明 (研究の関係者に加えて、一般社会の人たちも)
一方で以下のようなことは、私の性格的にできれば避けたいと思っています。
根性論・精神論
ワンアイディア・ワンソリューション
個人に閉じた研究
行為主体感の無い研究
トレンドを追いかけるだけの研究
業績のためだけの研究
我々がやらなくても、誰かがすぐやるであろう研究
実社会につながるサイエンスを
次に研究手法に関してもう少し説明させてください。下の写真は本学システム情報学専攻の原辰次名誉教授が最終講義で示されたスライドです。
この図の下半分は社会における個別の問題解決の領域、上半分はそれを抽象化した理論や法則の領域を示しています。我々が目指すのは、下半分の問題を解決しつつ、上半分の理論やモデルの確立につながる研究です。
研究では、直面する課題を一つずつ解決すること、ヒラメキを形にすることももちろん大切です。しかし我々は、応用科学でも課題解決でもなく、このスライドが示すような実社会に繋がる基盤理論やサイエンスを新たな工学の姿として目指してゆきたいと思います。
では、どのように研究を社会につなげれば良いのでしょうか。そのために、まず社会における大学の役割を改めて考えてみたいと思います。MIT MediaLabにいる私の旧友Ramesh Raskarと大学と社会との関係を議論したとき、このような興味深い図を描いてくれました。(その後にFacebookの記事として公開していました)
異論はあるかとは思いますが、大学や公的な研究機関の役割は、それまで知られていなかった問い自体を立てて、革新的な解決策を見出すことといえます(図の右上)。これに対して、既知の課題を解決する斬新な方法を探索し、その知財をもとに事業につなげるのが大企業の研究開発部門(左上)、既知の問題を既知の手法と創造的に組み合わせ、適切なタイミングで新たなサービスを提供するのがスタートアップ(左中〜下)という感じでしょうか。
こうした役割分担を背景に、我々の研究室では、多くの人が思ってもみなかった問いを設定し、それを解決するアイディアを模索します。アイディア止まりで終わらずに、実際に動くものをつくって妥当性を示すことも重視しています。具体的なものにすることで、アイディアの意義を企業や一般社会に納得してもらい、社会の変革を促せるからです。なお、実際の研究テーマの選び方や、ものづくりに使える機材などについては運営方針のnoteをお読みください。
起業を通して社会を変革する
上の図の分類は、進路を迷っている学生の参考にもなりそうですね。改めて考えてみると、職業研究者として生きていきたい学生より、論文を執筆するのはそこまで好きでなくても先端技術には関わっていたい学生のほうが多数派なのではないでしょうか。
我々研究者は「世の中の見え方を変える」ことはできても、世の中を直接変えることはできません、そのような活動は主に企業が担っていると考えます。研究者は「世界初」であることが大切なのですが、ビジネスは「タイミング」が命です。このように、大学と企業とでは文化もエコシステムも大きく異なります。
それでも、問いの設定からものづくりに至る当研究室での経験は、企業における問題解決にも大いに役立つと思います。我々の研究室では企業との共同研究も多く、それを通じて企業側の視点や研究の進め方に接することもできます。
研究室と社会を繋げる活動の一環として、株式会社ジザイエや株式会社commissure (コミシュア) など研究室発のスタートアップも誕生しつつあります。先端技術に関わりたい学生たちとともに、研究活動や企業との連携を通して得られた知見を、適切なタイミングで世に出すことにチャレンジしたいと思っています。近年話題となっているソーシャルなVRとしてのメタバースを用いることで、比較的容易に社会実験を行うことも可能となりつつあります。よって、起業やNPOなどの運営に興味のある学生も大いに歓迎します。
対話を通し、社会とつながる「リビングラボ」
社会に役立つ研究をするには、普段から世の中の課題に思いを巡らすことも大切です。研究成果が出てからその応用先を探すのでなく、社会の多様な構成メンバーとともに、「何をやるべきか」から議論し、プロジェクトと緩く連帯するコミュニティを作り共創活動を行う。そのような活動の枠組みが「リビングラボ」と呼ばれ注目されています。
我々がかつて日本科学未来館に設置した日本初のThe European Network of Living Labs (ENoLL)認定リビングラボ「リビングラボ東京」や、先端研に設置されている「地域共創リビングラボ」など、様々な試みが行われています。我々の研究スペースを「リビングラボ駒場(LLK)」と称しているのもこのような背景があるのです。
研究成果を社会に還元するためには、研究の意義を広く一般に理解してもらうことも重要だと考えています。大学など研究機関では「アウトリーチ活動」と呼ばれる社会との交流が推奨されています。しかし、従来の活動の多くは、「最先端の研究成果を分かりやすく一般の方に説明する」という広報面が重視されていたように見受けられます。
しかしながら、従来の大学の公開シンポジウムや科学館の展示・イベント等は、日頃から科学技術に関心を有する層にしか届いておらず、科学技術への興味を広く喚起するに至っていません。
このような研究者からの発信により社会の理解を得る形の活動の限界を突破するために、アート、デザイン、スポーツ、エンタテインメントなどの活動を通じ、幅広い層から共感的理解を得ることが重要と考えており、我々もメディア芸術祭、Ars Electronicaなど各種アートイベントへの出展や、「超人スポーツ」、「自在化コレクション」など様々な活動を行っています。
他の研究室との違い
入試説明会などの場で、他のHCI(ヒューマンインタフェース)やVR、人間拡張分野の研究室との違いを質問される機会が良くあります。
成果の実体はともかく、以下の点を意識的に志向している点が当研究室ならではの特徴かもしれません。
理論やモデルを意識した研究
コンピュータでなく、人そのものに興味がある
サイエンスから社会実装までの幅の広さ
構成員の多様性
もう少し具体的に説明しますと、思いついた個々のシステムの設計と評価でなく、身体性に関わる設計論を構築するため、理論・モデルを意識することを我々の研究室のアイデンティティとしたいと考えています。ここでいう理論とは、科学的なものだけでなく、デザイン理論をも含んだものです。
そして、スマートフォンやスマートスピーカーをもはや「コンピュータ」といちいち言わないように、コンピュータは当たり前のものとして世の中に広まっています。よって我々は、人とコンピュータを繋ぐ便利な道具としてのHCIを研究開発すること自体は付加的なものであり、
人を知ること
人を拡張すること
人を繋ぐこと
を主目標としています。その過程でVRを使ったり、様々な道具も開発します。また、志を共有できる企業の方々と連携して「JINS MEME」のように新たな商品やサービスを具現化したり、「超人スポーツ」のように世の中の方々の身体観を変えるような活動も行っています。
どうしても稲見が研究室主宰者として目立ってしまいますが、現在いる教員・研究員は様々な専門性をもち研究を行っています。2021年10月に着任した門内靖明准教授はテラヘルツ波を活用し身体内外の物理情報空間をつなぐ無線インターフェースに関する研究を行っています。これはまさに人を繋ぐための先端的な基盤技術であり、将来はケーブルまみれのVRデバイスを一掃する可能性を秘めています。また、圏論と身体情報学を繋げるための研究をしている学生もいます。
門内先生の研究の詳細はこちらのnoteをご覧ください。
そして我々の研究室は、先端研といういわば「ミニ東大」の中にあり、量子コンピュータから、環境、エネルギー、生物医科学、政治学、グローバルセキュリティーなど多様な研究を行っている先生方と、コンビニにふらりと立ち寄る感じで気軽に交流できるのも大きなメリットと考えています。
以上はあくまでも稲見の主観ですので、各研究室の特色はそれぞれの教員や学生に聞いてみるのが一番良いと思います。もしかすると当研究室の他のスタッフや学生に同じ質問をすると、私とは全く異なる回答があるかもしれません。
ちなみに、分野の近い研究室同士は、ライバルというよりは気軽に議論し連携できる仲間として、VRセンターやRIISEなど学内の連携研究機構や兼担組織、共同研究などで緩やかに連帯しています。学生同士でも色々つながりがあるようです。私も博士の学生の頃は、廣瀬研(現葛岡・雨宮・鳴海研)や原島研(現苗村研)によく遊びに行っていました。
個別の研究テーマに関してはラボのプロジェクトページをご覧ください。ただし、すでに終了したプロジェクト、終了間際のプロジェクト、現在進行中で未掲載のプロジェクトもありますので、詳しくはラボのメンバーに問い合わせてください。
なお、日本のVR系研究室に関してはこちらにとても良いまとめがあるので参考にしてみてください。