アーサー・マッケン「Opening the Door」試訳
あれやこれやで文フリ東京がなくなってしまいましたね(かなしみ)。ぼくは進捗がだめなので出展する予定はなかったのですが、買いに行く気満々だったのでかなりがっくりきています。
というわけで、その悲しみを癒すという名目の下、エア文フリに便乗して英国の怪奇幻想作家アーサー・マッケンの短篇の試訳を載せておきます。
扉を開けて
アーサー・マッケン
渦巻栗 訳
Cover Photo by David Clode on Unsplash
新聞記者というのは、その職務の性質上、たいていは生活の日常茶飯事を扱わねばならない。全力を挙げて日常の風景に奇妙で目を惹く何かを探し求めるが、そうしてはいても、たいていは外面の下に何があるにせよ、外面そのものは退屈だと言わざるをえないのである。
わたしはしかし、認めざるをえないが、フリート街に十年かそこら務めるなかで、怪異の痕跡がなくはない事件に出くわしたことがある。カンポ・トストの事件はその一例だ。これは結局、紙面には載らなかった。カンポ・トストというのは、説明を要するが、ベルギー人で、何年もイングランドに住んでおり、面倒を見てくれた男に資産のすべてを残して死んだのだった。
編集長は朝刊に出た短い記事にどこか妙な印象を受けたので、わたしを調査にあたらせた。わたしはライギット(*1)で列車を降り、次のことを知った。カンポ・トスト氏が住んでいたのは〈焼け野原〉という土地――氏の名前を英語に訳したものだ――であり、彼は不法侵入者を弓矢で迎え撃ったというのだ。わたしは氏の屋敷へ車を走らせ、ガラスの扉を透かして彼が召使いに遺譲した品物をいくつか目にした。くすんでいるが豪勢で金色に輝く十五世紀の三連祭壇画、聖人たちの彫像、そそり立つ祭壇の燭台、幾重にも重なった、くすんだ銀の香炉。そして何よりも教会の古い宝物。相続人は、名をタークといい、わたしを屋敷に入れようとしなかったが、巧妙に、新聞をわたしのポケットから抜き取って逆さまに読んだ。それも誤りなく、いともたやすく、である。わたしはこの極めておかしな話について書いたが、フリート街は許そうとしなかった。あまりに奇妙でまじめなコラムには合わないと感じたのだろう。
それからJHVSシンジケートの事件があった。この結社はカバラの暗号や、あの驚くべき事象、旧約聖書が言及している〈主の栄光〉や、エルサレム神殿跡地におけるある物体の発見を研究していた。あの物語は半分しか知られておらず、わたしは結末については聞いたこともない。また、オールドバラ近郊のサフォークの砂浜で大量の硬貨が嵐のあとで見つかった事件もさっぱり理解できない。沖仲仕たちの話では、砂丘で見張りに立っていたら、大波が打ち寄せて眼下の砂の壁を一部洗い流したように見えたという。海が退くと光る物体が見えたので、彼らは手に入るだけ拾い集めた。わたしはこの宝物を検分したが――それは硬貨のコレクションだった。いちばん古いものは十二世紀、最新のものはペニー銅貨で、三枚か四枚はエドワード七世の硬貨であり、チャールズ・スポルジョン(*2)の銅メダルも一枚あった。無論、このパズルの説明にはいろいろあったが、どれも解釈に無理があった。たとえば、どう考えてもこの集積は硬貨のコレクターによるものではない。二十世紀のペニー硬貨にしても偉大なバプテスト派説教師のメダルにしても硬貨愛好家が欲しがる代物ではないからである。
だが、新聞社とのつながりで出くわしたいちばん奇妙な物語はおそらく、セクレタン・ジョーンズ師、見出しが呼ぶところの〝キャノンベリーの牧師〟の事件だ。
はじめに言っておくと、それは蒸発事件だった。思うにあらゆるタイプの人間が毎年、数十人単位で蒸発しているが、そうした人たちや消失について耳にした者は誰もいない。彼らは後でひょっこり現れたかもしれないし、現れていないかもしれない。何にせよ、こうした事件は紙面に載せるほどのものではないし、最後には決着がつく。たとえば、燃える車にいたあの素性不明の男がそうで、彼は好色な販売外交員に命をささげてしまった。ある意味では、わたしたちはみな彼のことを知っている。が、彼は宇宙のどこかから消滅したに違いなく、彼が世界を去ったことを知る者は誰もいないのだ。こういうわけで消滅はしばしば起きる。だが、ときおり目を引く事件というのも起きる。A氏だかB氏だかが月曜日には自宅にいて、火曜日と水曜日にそれぞれ消えた、といったものだ。それから捜査が行われてたいていは行方不明の人間が、生きているにしても死んでいるにしても発見されるし、事情がかなり単純であることもしばしばだ。
しかしセクレタン・ジョーンズの事件はどうか。この教養ある男は、先ほど述べたように牧師であるが、神聖な仕事場で働くのはごく稀だったようで、霧深い、一八三〇年代から四〇年代にできた、キャノンベリーの奥まった一角に隠居していた。何かしら学者じみた研究をしていることで知られていて、大英博物館図書室ではなじみの顔であり、見た目は五十歳ないしは六十歳といったところだった。おそらくそれまでの業績で満足していれば彼は気が済むまで何度も消失できただろうし、そのことで頭を悩ませる者もいなかっただろう。が、ある晩、深更に椅子で本を読みながらその奥まった一角の静寂に浸っていると、トラックが一台、トリット・スクエアから遠くない道を通り、低い轟音で静けさを破って地響きを立て、セクレタン・ジョーンズの書斎まで揺らした。小卓のティーカップと受け皿がかすかに震え、セクレタン・ジョーンズは出典元とノートから注意を逸らされた。
ときに一九〇七年の二月か三月のことであり、自動車産業はまだ黎明期にあった。乗合馬車に乗りたければ、街路にごまんと走っていた。長距離バスは生まれておらず、ハンサムキャブがまだ元気よくごとごと走っていて、大きな自動車はほとんど使われていなかった。しかしセクレタン・ジョーンズは、カタカタ鳴るカップと受け皿に動揺して、ひどく誇張された未来のヴィジョンを賜り、原稿をしたためはじめた。彼が見たロンドンの街路は今日わたしたちが知っているそれと大差なかった。そこでは馬車が子供に見せて古い時代を覚えてもらうものと化しており、巨大な乗り合いバスが五十人、七十人、百人も乗せて長い列をなし、ひっきりなしに行き交い、トラックやトレイラーが馬が束になっても敵わない量の荷物を積んで絶え間なく地面を震わせているのだ。
隠遁しているこの学者は、陸にあがった魚の感をときどき奇妙に際立たせるめでたい仕事をこなしつつ、労を惜しまず執筆をつづけた。ニュートンは林檎が落ちるのを見て、数学の宇宙を築いた。ジョーンズはティーカップが鳴るのを聞いて、ロンドンという宇宙を灰燼に帰せしめた。彼は車道にしてもそばに立つ家にしても来たるべき自動車の重荷や振動に耐えるようにはつくられていないと指摘した。オックスフォード・ストリートやピカデリーのあらゆる店を粉砕し、セント・ポール大聖堂のドームにひびを入れ、ウェストミンスター寺院を引き倒し、王立裁判所を塵にしてしまった。耐え抜いたわずかなものも火や洪水や疫病に飲まれた。予言者ジョーンズは道路が崩れ落ちて、すべての経済活動をもその下に埋めてしまうと論証してみせた。こちらでは水道管と排水路が溢れて道を浸す。あちらでは膨大な量のガスが噴出し、電線が融け落ちる。大地は爆発に引き裂かれ、ロンドンの無数の街路は巨大な炎に包まれるだろう。誰も本気でそんなことが起きるとは思わなかったが、読む分にはおもしろく、セクレタン・ジョーンズは取材に応じ、議論をはじめ、心の底から楽しんだ。こうして彼は「キャノンベリーの牧師」、「キャノンベリーの牧師、破滅は避けられないと主張」、「ロンドンは滅亡する。キャノンベリーの牧師が断言」、「キャノンベリーの牧師の予言。ロンドンは洪水、火事、地震のお祭りと化す」――こうした類の人物になった。
そんなわけでセクレタン・ジョーンズは、その本分は礼拝だったのだが、蒸発したときはいくつかの新聞に寸評を載せていた――紙面上の大々的な活動から一年以上経っており、すっかり忘れられたわけではないが、はっきり記憶されているともいえなかった。
わずかな記事のみが、先ほども述べたように、大半は新聞の目立たない隅っこに押しやられて掲載された。どうやらこういうことらしい。セッジャー夫人という女性が夫とともにセクレタン・ジョーンズの世話にあたっており、彼女はいつも通り四時になるとお茶を盆に載せて書斎へ運び、これまたいつも通り、五時にそれを下げた。そして、ひどく驚いたことに、書斎には誰もいなかったのだ。主人は散歩に出かけたのだと考えたが、彼がお茶と夕食の間の時間に散歩したことはいままでなかった。彼は夕食時になっても帰ってこなかった。セッジャーは、玄関ホールを調べて、主人の帽子も外套もステッキも傘もすべて釘にかかって定位置にあると指摘した。セッジャー夫妻はああでもないこうでもないと憶測を重ね、一週間待ってから警察に行き、一連の出来事が教育のあるわずかな友人や知人の間で広まって彼らをうろたえさせた。その友人たちとは、『三世紀におけるローマ・カトリックのミサ典文』の著者である大聖堂参事会員リンカーン、マラバールの儀式の専門家ブライトウェル博士、モサラベのストークスであった。ほかの大衆はこの出来事にたいして注意を払わず、そして六週目の終わりになって一行か二行の記述が載った。「セクレタン・ジョーンズ師は、先月の末にキャノンベリーはトリット・スクエアの自宅から姿を消し、友人たちを心配させていたが、昨日帰宅した」とあり、そこには熱意も好奇心もなかった。段落の最後の行にはこの一件は行き違いによるものだとあった。それが何を言わんとしているのかわざわざ訊く者などいなかった。
あるいはこれで一件落着となっていたかもしれない――セッジャーが〈プロイセン王〉(*3)の内輪のバーで仲間にしゃべり歩かなかったならば。ある謎めいた私人が、この仲間たちとかかわりを持っていて、うちの編集長に取り入って、セッジャーの話を伝えた。セッジャー夫人は、用心深い女性で、常にすべての部屋を整えて、きれいにしていた。火曜の午後に彼女が書斎の扉を開けると、驚き、またよろこんだことに、主人がテーブルについて大判の本をそばで開き、鉛筆を握っているのを目にした。彼女は叫んだ。
「ああ、旦那さま、お帰りになられてとっても嬉しいですわ!」
「お帰りに?」牧師は言った。「どういうことですかな? わしはもうちょっとお茶をいただきたいのですが」
「いったいぜんたいわけがわからんよ」と編集長は言った。「きみ、セクレタン・ジョーンズに会いに行って、ちょっと話してきてくれんか。きっとネタがあるぞ」たしかにネタはあったが、うちの新聞向けではなかったし、どこの新聞にも載せられないネタだった。
わたしはトリット・スクエアに立つその家の敷居をまたいだ。セクレタン・ジョーンズが昨年書いた自動車の恐怖にまつわる見え透いた言い訳を述べた。彼は最初、心ここにあらずといった、間の抜けた様子でこちらを見た――召使いの話にあった「大判の本」や、そのほかの本、大量の黒い四ツ折り判のノートが周りに置いてあった――が、わたしが目論見通りに「マンモストラック」について話しはじめると、彼はしゃっきりして熱心にしゃべり出し、わたしにとって自明のことであるかのように、新たな機械仕掛けの乗り物が深刻な害をなすと話した。
「しかし、お話ししたところで何になりましょう」彼はそう締めくくった。「わしは人々がすぐそこにあるたしかな危険に目を開くようがんばりました。数週間はうまくいったみたいでした。それからみなは何もかも忘れてしまいました。大衆は夢見る者、夢遊病者のようなものだとおっしゃるかもしれません。その通りなのです。夢のなかで歩いている人間のようなものなのです。あらゆる事実、人生の現実を締め出しているのです。大衆は、事実、自分が崖の縁を歩いていると自覚していますが、それでも崖が庭の小道であると信じることができるようですし、あたかも庭の小道であるかのように行動するのです。あなたがご覧になっているあそこの道、庭の端の扉まで続いている道と同じくらい安全であるかのように、ね」
書斎は家の裏手にあり、長い庭に臨んでいた。庭では伸び放題の灌木が鬱蒼と生い茂り、絡み合い、なかには花を鮮やかに咲かせているものもあって、ありがたいことに隙間なく、各家の庭を仕切る不愛想な灰色の壁を覆って、隠している。背の高い灌木を抜いて、さらに高く楡やプラタナスやトネリコが伸び、剪定もされず、寛大に放置されていた。厚い緑の大枝に隠れて小道が緑の扉へ続いている。扉は白薔薇の雲の下にかろうじて見えた。
「ご覧の道と同じくらい安全であるかのように」セクレタン・ジョーンズはそう繰り返した。彼の方に目をやると、表情が少し変化したように思われた。とてもわずかな変化だが、物問いたげな、疑わしげに熟考しているとでもいえそうな表情になった。彼は議論に没頭しているある男のことを持ち出し、その男が自らの見解を強い調子で断定するように述べるということを話した。そして男は以前はあり得なかった考えが浮かんで一瞬だけためらったという。その思いつきは考察したこともなく、評価したこともない、ぼんやり存在しているが、かたちがあるというよりは影に近いものだった。
新聞記者には蛇の知恵と同様にその仕草も必要だ。わたしはどうやって乗り物の災厄という無難な話題から、探検に送りこまれた目的である怪しげな領域へ移ったのか忘れてしまった。何にせよ、わたしの離れ業は思いつくかぎり最も見事なものだったが、それもまったくの無駄であった。セクレタン・ジョーンズの親切で、細く、きれいに髭を剃った顔は苦しみ悶えていたのだ。彼は途方に暮れた人間のようにこちらを見た。頭のなかを探っているように思えた。わたしへの答えではなく、自分自身への答えを探しているように。
「本当に申し訳ないのですが、お役に立てそうなことはお話しできません」しばらく黙った後で、彼はそう言った。「本当にこれ以上は詳しく言えないのです。それどころか、そんなことは不可能です。おたくの編集長には――それとも副編集長ですかな?――この事件は誤解、思い違いによるもので、わしはお話しできる立場にないとお伝えしていただくほかありません。しかし、はるばる無駄足を踏ませてしまったことについては本当に申し訳なく思っています」
心の底から悲しみ、申し訳なく思っていた。言葉だけでなく、声の調子や表情にもそれが表れていた。だから、帽子をひっつかみ、肩を落として、いくぶんうんざりした特使にふさわしい捨て台詞を吐いて家を出るなんてできなかった。こうしてわたしたちはあたりさわりのない話に落ち着き、やがてどちらもウェールズの国境の出身で、大昔は同じ山々を歩き、同じ井戸の水を飲んでいたことがわかった。それどころか、わたしたちは親戚同士で、七親等かそこらの関係だと証明したと記憶している。お茶が出され、まもなくセクレタン・ジョーンズは礼拝にまつわる話題に深く分け入った。わたしの知識では聞き手にまわるのがやっとだった。事実、わたしがウェールズのメソジスト教徒のヒュィル、すなわちリズムをつけた説教はローマ・ミサ典礼書の序唱だと述べると、彼はものすごい興味ではちきれんばかりで、本にメモを取り、その指摘は非常に風変わりで意味深いと言った。心地よい夕べだったので、わたしたちはフランス窓を抜けて緑に蔭り、花が咲き誇る庭を散策した。話をしているとやがて時間になり――楽しい時間だった――わたしは帰らねばならなくなった。わたしは書斎を出るときに帽子を取っておいたし、いまは庭の壁についた緑の扉のそばにいたので、それを使ってもよいか訊いてみた。
「申し訳ありませんが」とセクレタン・ジョーンズは言った。少し心配しているように思えた。「それは開かないんじゃないかと思うんです。前から開きにくい扉でしてね、わしもあんまり使ってないんですよ」
というわけでわたしたちは家を通り抜け、戸口で彼はまた来るよう念を押し、わたしはその心のこもった様子に打たれて来週の土曜日の招待に応じることにした。こうしてついにはわが新聞社が託したそもそもの疑問に対する答えを引き出したが、新聞に載せられる答えではなかった。そのつくり話だか、体験談だか、思い出話だかは、ほんの少しずつ、途切れとぎれに語られ、そのためらいがちにほのめかす話し方ははじめに会ったときの会話をしばしば思い出させた。あたかもジョーンズは繰り返しくりかえし話す内容を自身に問うているかのようで、夢として話すべきではないのか、もったいぶらずにたわごととして忘れてしまうべきではないのかと訝しんでいるようだった。
彼は一度、こう言ったことがある。「みんな夢を語りますよね。でもたいていは中身のない話に思えますでしょう? それが心配なんですよ」
わたしはこう言った。もっと多くの夢が語られるようになれば、ひどく暗い領域にもたっぷり光を当てられますよ、と。
「ですが、それには」とわたしは言った。「問題があります。頭に浮かべている夢というのは言葉にできるものなのか疑わしく思っているんです。はじめから終わりまで完璧にはっきりしていながら、完璧に無意味な夢というのがあるでしょう。ほかにも、一点だけ記憶が食い違っているせいで、だめになってしまう夢もあります。死んだはずの人間が生きているかのような夢ですね。加えて予知夢というのがあります。これは、ほとんどの場合、疑う余地が無いように思えるのです。やたらと濃厚なナンセンスも見たことがあるかもしれませんね。わたしも前にジュリアス・シーザーをロンドン中追いかけまわして、カレー卵のレシピを教えてもらおうとしましたよ。しかし、こうした夢に加えて、異なる種類の夢というのがあります。起きる瞬間まで明晰で、言語表現を絶していると感じられる夢です。意味があるとかないとかという問題ではありません。この手の夢には、きっと、ふさわしい表記法があるのでしょうが……その、ユークリッド幾何学をヴァイオリンで弾くことはできないじゃないですか」
セクレタン・ジョーンズは首を振った。「わしの体験はそういうものじゃないかと心配しているんですよ」そう言った。それどころか、明らかに、彼は自身の冒険を多少なりとも伝えられる表現をひねり出そうと苦闘していた。
しかし、それはもっと後の話だ。はじめのうち、話はとても平明だった。とはいっても、充分に奇妙で、彼はわたしがそれと理解する前にもう話しはじめていた。わたしがそのとき話していたのは人間の記憶がときどき仕掛ける妙ないたずらについてだった。こんな話だ。数日前ですがね、やっていた仕事を中断するはめになったんです。急いで机を片付けねばなりませんでした。散らばった大量の書類をかき集めて押しやり、まっさらなメモ帳を置いて待ちました。客が入ってきました。わたしはその男が気にかけていた用件を片付けてやり、相手が帰ると先ほどの仕事にもどりました。しかし、あの書類の束が見つからなかったのです。引き出しに入れたものと思っていました。書類はどの引き出しにもなく、取引日計表にも、常識で考えて見つかりそうなどの場所にもなかったのです。書類は次の日の朝、部屋を掃除していた使用人が見つけました。肘かけ椅子の座面と背もたれの隙間にぎゅっと押しこんであって、念入りに座布団で隠してあったんです。
「しかもですよ」わたしは締めくくった。「そんなことをした覚えはちっともないんです。そのときは頭が空っぽになっていたんですよ」
「ふむ」セクレタン・ジョーンズは言った。「誰でもそういったことは何度も経験してますでしょうな。一年ほど前ですが、わしも似たような変な体験をしました。そのときはかなり不安になりましたよ。あれは例の新しい乗り物とそのありうべき――疑う余地のない――結末について問題提起したすぐ後のことでした。おわかりでしょうが、わしは人生の大半を自分の特別な研究に費やしてきました。昨今の活動や関心から遠く隔たった研究です。筆を執ってロンドンには犬が多すぎると主張したり、路上音楽家を非難したりするのはまったく性に合わなかったのです。が、いまの道路のまま自動車を使うというものすごい危険については書かざるをえませんでした。道路はそのために設計されていないということがとても強く印象に残っていたんです。ですから、あえて申しあげるならば、わしは深入りしすぎて興奮しすぎていました。
「あの使徒の金言は含蓄に富んでいますよね。『つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れなさい(*4)』ってね。わしは一切合切に熱をあげて、自分の仕事をおろそかにしてしまったのではないかと思うのです。そのときの仕事というのは、記憶が正しければ、非常に珍しい問題に関する調査でした――聖杯を聖別する式文が妥当であるか否かを調べていました。『Car chou est li sanc di ma nouviele loy, li miens meismes』という文です。これまでの仕事をこなさずに、わしは自分がはじめた議論にのめりこんでしまい、一週間か二週間はそれ以外ほとんど何も考えられませんでした。大英博物館に専門家を訪ねているときでさえ、貨物トラックのとどろきを頭から追い出せなかったほどです。こうして、その、わしは自分が苦しみ、悩み、注意を散らすに任せ、経験したあらゆる厄介事や神経の高ぶりが過ぎ去った後に起きたことを書き留めました。先日、あなたが仕事を途中で切りあげて別の何かをはじめなければならなかったときも、きっと頭にきていらついたでしょうし、それで自分が何をしているかよく考えもせずに書類を押しのけたんですよ。わしの身にも似たようなことが起きたんです。まあ、わしの方が奇妙だとは思いますがね」
彼は言葉を切り、疑わしそうに考えこんでいたが、やがて不意に口を開き、すまなそうな笑みを浮かべた。「まったく気違い沙汰に思えますよ!」それから、「どこに住んでいたか忘れてしまったんです」
「記憶喪失ですか、過労と興奮が祟ったんでしょう」
「ええ、でもよくある記憶喪失ではなかったんです。名前も自分が誰であるかもちゃんと覚えていました。住所も完璧でした。キャノンベリー、トリット・スクエア、三十九番地です」
「しかしどこに住んでいたか忘れたとおっしゃいましたが」
「そうなんです。けれど、まさにそれこそが先日お話しした表現の問題なんです。わしはあなたがおっしゃった表記法を探しているんですよ。ともかく、その出来事をお話ししましょう。わしは大英博物館の図書室に朝まで籠って、自動車の危機を頭の片隅に置きながら作業していまして、博物館を出たときは気だるく、頭のなかが散らかっているみたいでしたので、家まで歩くことにしました。たぶん外の空気が少ししゃっきりさせてくれたのでしょう。軽やかに歩いていきました。前からたまに散歩していたおかげで、街路については隅々まで知っていましたから、うわの空で進んでいきました。頭のなかは本業にまつわる重要な問題でいっぱいでした。実を言うと、まったく思いもかけないところでケルト教会の儀礼について新たな解釈を示唆する記述を見つけてまして、重大な発見の瀬戸際に立っているかもしれないと思ったんです。推論の迷路をさまよっていまして、ふと目をあげてみるとイズリントンのエンジェルにほど近い歩道に立っていました。次の目的地なんてまったく考えていませんでした。
「ええ、おっしゃる通りで、目をあげたときにエンジェルだとわかりましたし、自分がトリット・スクエアに住んでいるということも同様でしたが、その二か所がどうしても頭のなかでつながらないのです。もはや方位は存在しませんでした。方角なんてものはなく、南も北も、右も左もない、異常な感覚で、これをわかりやすく説明できるとはまったく思えないのです。わしはかなり動揺して、どこかへ移らなければと思い、足を進め――そしてキングズ・クロス駅にいることに気づきました。で、なすべきただひとつのことをやりました。ハンサムキャブを呼び止めて家に帰ったんですよ、自分が信じられなくなってね」
思うに、これこそが、教養豊かで優しいこの牧師に降りかかった、一連のおかしな経験で最初の重大事件だったのではなかろうか。記憶がまったく信頼できないものとなったか、もしくははじめてそんなことを考えたのだ。
彼は大事な書類が書斎のテーブルからなくなっていることに気づくようになった。覚え書きの綴り、つまりA、B、Cと記した三枚の紙を、ある夜、自らの手でテーブルに置いて文鎮を載せ、それからベッドに入った。翌朝、書斎に入ってみると綴りはなくなっていたのだ。間違いなく綴りを定位置に置き、淡紅の薔薇を封じこめた球根のようなガラスの重しを載せたはずなのに、そこになかった。やがてセッジャー夫人が扉をノックして、綴りを手にして入ってきた。彼女は綴りが主人の寝室のベッドとマットレスの間にあるのを見つけ、必要な物だろうと思ったのだという。
セクレタン・ジョーンズにはわけがわからなかった。きっと綴りをそれが発見された場所に置いたきり忘れてしまったのだと考え、神経衰弱にかかりかけているのではないかと不安になった。また、蔵書でも困ったことがあった。彼は本をとても大切にしていて、一冊ずつ定位置があった。ある朝、『アーバスノット典礼書』という大きな赤い四ツ折り本を参照しようと、定位置である窓辺に置いた棚の最下段の端を覗いた。本はなかった。げんなりして寝室に行き、ベッドを隈なく探ったり箪笥の引き出しをひっくり返してシャツの下を見てみたりしたが無駄だった。しかし、本を必ず手にしてやるぞと決心して大英博物館の図書室に向かい、引用箇所を確かめ、キャノンベリーにもどってみると、赤い四ツ折り本は定位置に収まっていた。今回は記憶を失う余裕などなかったように思えたので、セクレタン・ジョーンズは召使いが蔵書にいたずらしているのではないかと疑いはじめ、その愚行だか悪行だかのわけを見つけようとした――こうした行為を何と呼ぶのかわからなかった。だがそんなことは問題ではなかった。書類や本が消えては現れ、しばしば消えたきりになった。ある日の午後のこと、彼が語るところによれば、募りゆく混乱や戸惑いと戦いつつ、ひどく骨を折りながら、罫線を引いた二ツ折り判の紙に執筆中の主題に用いる引用章句を記していた。作業が済むと、とまどいが雲のようにあたりに立ちこめるのを感じた。「それは、物質的にも精神的にも、まるで部屋にあるものがぼやけていくように、揺らめく霧ないしは闇として現れたのです」彼は心細くなって立ちあがり、庭に出た。二枚の書類はテーブルに残してきたのだが、いまは庭の扉のそばにある小道に落ちていた。
わたしは彼がこの箇所で口をつぐんだことを覚えている。本音を言えば、こうした事例はむしろ精神科医の耳に入れた方がいいのではないかと思っていた。悪性の神経衰弱である証拠は揃っているし、わたしにしてみれば、すべて妄想ではないかと思われた。ただちに知っているなかで一番の医者にかかりなさいと助言すべきだろうかと思案した。やがてセクレタン・ジョーンズはまた話しはじめた。
「もう馬鹿げた話はよしましょう。わしだってわかってるんですよ、何もかもくだらない、馬鹿らしいいたずらだか悪ふざけで、子供だましの手品だってね。
「それでもわしは怖くなりました。暗闇を歩いている人のような気がしました。途方もない深淵から湧きあがって来るような正体不明の音と自分の足音のこだまにつきまとわれて、しまいには恐ろしい絶壁の縁を歩いているのではないかと怖くなるのです。得体の知れない何かがありました。なじみ深いものに必死でつかまって、自分は持ちこたえられるのだろうかと思いました。
「ある日の午後、わしはひどくみじめな気分で取り乱していました。仕事も手につかなかったんです。庭に出て、心を落ち着けようと歩きまわりました。庭の扉を開けてその先の狭い通路を覗きこみました。通路はこの地区のこちら側にあるすべての庭に面しているのです。そこには誰もいませんでした――三人の子供が何かして遊んでいたほかは。その三人は気味の悪い、生育不良の小さな生き物でしたので、わしは踵をかえして庭にもどり、書斎に入りました。腰を落ち着け、仕事を再開して心を鎮めようとした途端に、セッジャー夫人が、これは召使いですがね、部屋に入って来まして、感極まった様子で、わしがまたもどってきて嬉しいと叫んだんです。
「わしは適当に話をでっちあげました。彼女が信じたかどうかはわかりませんがね。何かしらいかがわしい事件に巻きこまれたとか、そんな風に考えているんでしょう」
「それで何が起こったんです?」
「見当もつきませんよ」
わたしたちはしばし互いをじっと見た。
「わたしが思うにこういうからくりではないでしょうか」わたしはようやく言った。「神経機構の調子が悪くなっていたんですよ。完膚なきまでに壊れてしまった。それで記憶も、自分が何者であるかという感覚も――すべてを失ってしまった。きっと六週間ずっとシティ・ロード(*5)で封筒に宛名を書いていたんですよ」
彼はテーブルに載せた一冊の本に向きなおってそれを開いた。ページの間に色褪せた赤と白の花びらが挟まっている。見たところアネモネのようだった。
「この花を摘んだんですよ」彼は言った。「あの日の午後、小道を歩いているときにね。これはいちばん早く咲く種類でしてね――とても早咲きなんです。手に持ったままこの部屋にもどってきたんです。六週間後のことだと、みなは言いますがね。でもこれは本当に摘みたてだったんですよ」
言うべきことはなかった。わたしは五分間黙っていたと思うが、その後で知人が彼を見かけなかった六週間の記憶はまったくないのかと訊いてみた。ぼんやりとでもいいから、何か思い出せることはないのか、と。
「はじめのうちは、何にも。庭の扉を開けてから閉めるまで数秒以上経ったとは思えなかったんです。それから一日か二日経って、何となくすべてがこの上なく好ましい場所にいたような気がしてきました。これ以上はうまく言えません。妖精郷のよろこびではないし、至福の東屋(*6)みたいなものでもない。不思議だとかなじみがないとか、そういう感覚でもないのです。が、そこにはどんな心配事もありませんでした。『Est enim magnum chaos』というわけです」
だがその言葉は「大いなる虚無であるがゆえに」とか「大いなる深淵であるために」という意味だ。
この話題はそれっきりだった。二か月後、彼は神経症にかかったので、一か月か六週間ほど、生家から数マイル離れたブラック山地のスランソニ(*7)で過ごすつもりだと語った。三週間後、手紙が一通届いた。セクレタン・ジョーンズの手で住所がしたためてあった。なかには紙切れが一枚入っており、こう記してあった。
Est enim magnum chaos.
この手紙を投函した日、彼は午後も遅くなってから、秋の嵐のなかへ出かけ、そして二度ともどってこなかった。いまに至るまで彼の行方は杳として知れない。
――訳注――
*1 イングランド、サリー州東部の街。
*2 チャールズ・スポルジョン(一八三四~一八九二)。イギリスのバプテスト派の牧師。
*3 イギリスの旅籠に使われている屋号。
*4 新約聖書、パウロ書簡中の「テサロニケ人への第一の手紙」第四章。
*5 ロンドン中心部を走る道路。
*6 十六世紀のイギリスの詩人エドマンド・スペンサーの長詩『妖精の女王』二巻に登場する。
*7 ウェールズ南東、モンマスシャーにある村。作者のマッケンもモンマスシャーの出身。
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