2024年8月29日

あっという間に8月も終わってしまいそうだ。
今年の8月は自分史上においても激動の季節でございました。

まず、今の会社に入社したことについて本格的に思い悩む事件が起きた。
でも、それらの出来事は全てこれまでの些末な出来事の川上にある不始末が可視化されただけのことだった。令和の世にあってこんな光景を見ることがあるんだ、、、と思うようなことではあったが、起こらないでもないな、という状況はずっとあった。ヒヤリハットの法則の感じだ。

考えれば考えるほど、こういう未来を選ばない方法もあったな、と思ってしまい、これが後悔か?と思わんでもなかったが、考え続けているとある言葉に出会った。
 

「天職」は、人を「呼ぶ」んです。でも、その「ちょっと手を貸して」という「救難信号」が聴こえる人と、聴こえない人がいる。ほとんどの人には聴こえません。だから、それが聴こえてしまったということがある種の「宿命」なんです。

内田樹著「勇気論」

自分の生きてきた道のりはそんなに特別なものでもないし、誇れるようなことや珍しいことなんてほとんどないけど、でも、ふとしたきっかけで今の環境に身を置くことになり、そこで自分しか感じられない誰かの救難信号を受け取ることが少なからずあった。同じ環境にいるのに他の人にとって気付けてないことや、見過ごされていることがたくさんあったし、それは自分にとっては看過できるものではなかった。自分がしてきたいろんな経験の果てに、それなりにいろんなことを考え感じてきたことの集積が、結局この山陰に自分を運んできて、何かやるべきことによばれてここにいるような気持ちになっている。そう考えると全て自分が招いた結果なのだろう。

去年山陰に帰ってきてから、一両編成のメンバーでずっと対話をしてきた。結論が出ない話を永遠にできるメンバーなので、いつの間にか、自分の思考もザクザクと耕されて、いろんなコンプレックスとか、感じていた苦しさ、どんなことに喜びを感じるか、結局何がそんなに不満なのか(笑)など、掘り返されまくった思考の根っこが社会という地中に出てきた。
そして、いろんな風雨にさらされて、やっとやっと最近、自分がやりたいことがわかってきた。8月は仕事もプライベートも本当に色々あったけど、おかげで自分が探していた答えがほんの少しだけ見えた。

9月から、これが形になるように頑張ってみる。


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