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【福井永平寺ブルーサンダー】落田駿兵選手 〜子供達の”もったいない時間”を無くしたい〜
今回、執筆に応じていただいた選手は、福井永平寺ブルーサンダーで主力ピヴォット(ポスト、以下PVと表記)として活躍される、落田駿兵選手です。
投稿第1弾は、類稀なるウェイトを生かして得点を量産する落田選手の学生時代を振り返っていただきました。
経歴
京都府京田辺市三山木小学校→田辺中学校→北陸高校→日本体育大学→北陸電力ブルーサンダー→福井永平寺ブルーサンダー
小中学校時代
僕の出身地は京都府の京田辺市で、全国的に見てもハンドボールが盛んな地域で、毎年小学生の全国大会の開催地になっています。
そんな地域でハンドボールを始めた僕ですが、高校に入学するまでのハンドボールレベルはとても低かったです。小学校は週に1回3時間という練習量で、9チーム中最下位を争う状況で圧倒的に練習量が足りませんでした。
僕自身は両親が一緒にハンドボールに取り組んでくれていた為、実家に父自作のハンドボールゴールがあり、4歳年下の弟と一緒にほぼ毎日自主練をしていました。今思い返すとシュートを打つ事しかしていませんでした(笑)
ちなみに小学校の時から周りに比べると体が大きく卒業時で身長が174cmあり、毎日3号球で自主練していました。
そして中学校に進むと、平日の2時間程度の部活動と土日の3時間といった練習量になりました。まずこの時点で小学校とのギャップがかなり大きく苦労したことを覚えています。
体が大きいだけの下手くそという残念なタイプでした。
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そして中学2年生の夏休み、ついに練習についていく事ができず、ハンドボールが面白くなくなってしまいました。
夏休みの後半は1ヶ月程度練習に行かず、夏休み明けの学校でチームメイトに会うのがとても気まずかったことを覚えています。
学校が始まると同時に練習に参加するようになりましたが、優しく受け入れてくれたチームメイトのおかげで戻る事ができました。
ただ、夏休み明けの新人戦はアップしてベンチに座るだけで「お前は一緒に夏を乗り越えていない」と監督に言われました。
当然ですね。僕が逆の立場でもそう言うと思います。
それから練習に励み、僕が3年生の時(その中学ハンドボール部は創部5年目でしたが、地域大会以上に出場した事がない弱小チームでした)
ついに地域大会3位になり、初の京都府大会出場を果たします。
府大会1回戦は別の地域1位の強豪校との試合でした。
下馬評では”勝てる訳が無い”
自分たちのチームからもそんな雰囲気が少しあり、思い出作りになるかと思っていました。
しかしこの試合が、僕のハンドボール人生において1つ目の大きなターニングポイントになります。
この試合、実は教員採用試験があった為、メインの監督がいませんでした。
後半の途中からスーツ姿でベンチ入りしてきて、普段は大声を出さないのにめっちゃ声を出しており、今も鮮明に覚えています(笑)
試合開始10分も経っていない時、キャプテン兼センター(以降CBと表記)の選手がかなり調子が悪かったんです。ベンチには副顧問の先生が2人、共にハンドボール経験はありません。(これが強くないチームのリアルですね)
そんな副顧問もキャプテンの調子が悪いことはすぐに理解しており、タイムアウトで交代したのが僕でした。
これまでは試合残り15分で交代出場というパターンばかり、それ以外での出場は公式戦で初めて、しかも練習した事のないダブルポストで。
ただ、その戦術がかなり上手く刺さった事と、僕自身の調子が良かった事もあり、かなりの接戦を繰り広げました。試合が終わるまでずっと僅差で、最終スコアは17-19で敗戦。僕自身は7点くらい得点した気がします。
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終わってみるとみんな泣いてました。
監督も選手も。
これで僕は引退のはずだったんですが、JOCの選考会がありました。
監督にどうすると聞かれ、思い出として参加しますと答えました。選考会が終わってみると、まさかの選抜入りで、自分が一番びっくりしました(笑)
選ばれたJOCも近畿予選は出場できたものの、本戦は出発当日の朝にインフルエンザに罹ってしまい帯同する事も叶いませんでした。ここで僕の中学校までのハンドボールは終わりになります。
小中学校時代を振り返って
小学3年生から始めて7年間という時間が過ぎましたが、振り返ると非常に勿体ない時間だったと思います。
自分自身の弱さも、ハンドボールをする環境も。
あと少しでもレベルを上げる事ができていたら、と後悔してしまいます。
今回のこのプロジェクトを通して、僕は自分と同じような環境の子供達がたくさんいる事を考え、その子供達にとって
本当に小さなものでいいから
ハンドボールに対する考え方や熱量が変わるきっかけを作りたい
という気持ちによるものです。
北陸高校時代
高校はJOCの関係から福井県の強豪、北陸高校に進学しました。
北陸高校は僕が入学する前までに全国優勝8回を誇る日本屈指の名門です。
最初に帯同した全国選抜大会で浦和学院との同校優勝し、チームの応援メガホンを持ちながら、「絶対ついていけない」と軽く絶望しました(笑)
北陸に進んでからまず始めにキツかったのは、
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