専門的学習と趣味

自分の趣味は何だろう。

自分は趣味には悩んだ人間というより、学ぶことに悩んだ人間だ。

だが改めて趣味と言われてみると難しい。

シャドバはやっているし、読書だってするし、アニメだってみるし、音楽だって聞く。創作活動だってやっている。
読者は人よりしてる。アニメだって人より見てるんだから趣味といえるだろう。

これらは好きなことではあるけど、信念というと何か違う。じゃあ趣味を仕事にするという考え方となれば、自分のなかで1ランク下がる。

どうも趣味を低く考えてしまっているらしい。趣味にはリラックスを求める方がいいだろう。

自分の学んだことはなんだろう。

専門として学ぶことは、定義上はどうも趣味と対を成す存在であるらしい。
好きを学んでいるつもりの自分にとっては些か納得のいかない定義ではある。

しかしこの学びは定着に至っていない。授業もしっかり聞いていたわけじゃないし、今それを説明できるかと言われたら怪しい。

なるほど、自分が学んだことを説明できないことにも理屈がついた。なんせ学べていなかったわけだから。

卒論は学びを活かすものであるらしい。卒論のテーマは『今から学びたいこと』そうした選択をするのだろう。

『米澤穂信と九マイル論』は言うなれば、自分の趣味を学ぶことである。
『電子図書館の展望』は言うなれば、自分の信念を学ぶことである。

切るべき舵は、『専門的学習』か『趣味』か。

自分という船を最も進める選択肢をしたい。

そのための選択は『電子図書館の展望』なのではないだろうか。