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【親友回顧録】幸運なり我が人生 ⑥
写真を眺めていると、そこに写る親友の姿がまるで昨日の姿のように見えてくる。親友が抱いているのは我が家の娘ーー今年10歳になった。つまり、この写真も10年前のものだ。
あの日、娘を連れてジヨンを迎えに駅まで行った。勝手知ったるもので、韓国はソウルから兵庫県にある我が家の最寄り駅までジヨンは少しも迷わずやってくる。宿はある、風呂もある、Wi-Fiもあるし、何より友がいる、ということで訪日の際の目的地はもっぱら関西になったという。無論、関西圏には朝鮮語の通じるコミュニティも少なくない。不安材料が少ないそうだ。またある時の訪問に際し、ジヨンはマンゴーと甲殻類のアレルギーがあると知った。学生の頃は何も気にせず体調だけを頼りに食べたり飲んだりしていたが、子どもが生まれ、食事とアレルギーが懸念材料として意識に上るようになって、ようやくわたしは親友のアレルギー事情を知ることとなった。
付き合いが長いというのはそういうものかもしれない。つまり年々、関係の深さに変化があり成長がある。若いころは観光地を巡って食べ歩き、仏像をバックに記念写真を撮り、スターバックスに入り浸り、記憶に残らないほどしゃべったものだ。それから10年が過ぎ、15年が過ぎて、わたしたちはそれぞれ年齢を重ねた。経験を積んだ。苦しいこともあり楽しいこともあり、日本では大地震があり韓国では大きな客船の沈没事故があった。二人の間にはそれらを経てなお、好きなことを分かち合い、価値観を確かめ合い、議論し、笑い、慰め、励まし合える、唯一無二の友情が育まれた。
ジヨンはわたしのソウルメイト。同時期に同じ本を読んでいたし、同じ映画に涙を流していた。良いなと思って手に取るものが驚くほど似通っていた。わたしたちは誰かにお膳立てされたり、意図して出会ったのではなく、まったく偶然に出会ったのに。
わたしたちはドイツ語を使ったセミナーに参加するために山形県の合宿所で出会った(【親友回顧録】幸運なり我が人生 ①にて一部言及)。セミナー内ではアシスタントのような立ち位置だったわたしはジヨンから設備の使い方やセミナーの進行について色々と質問を受けることも多かった。最終日の飲み会では先輩も交えて大いに語り合い、その合宿後さらに数日滞在するというジヨンの都内巡りに、わたしが同行するよう任命された。この訪問はジヨンの初来日だったと聞いている。
都庁へ行き、紀伊国屋へ行き、カフェを巡ってジヨンを羽田へと見送った。まだ、その先20年近く続く友情の予感はぼんやりとしたものだった。