架空世界の民主化について
前大戦、すなわち第2次大戦で局所的核戦争を経験し、人類滅亡の脅威を感じた各国は、他国と協調していくことを決めます。
これは民主化の幕開けであり、これまで帝国主義と社会主義に二分されていた世界に民主主義という第三の思想を誕生させました。
二度(厳密には三度)に渡る大戦で各国国民には厭戦気分が蔓延し、特に核の脅威を受けた一部国家では政府に対する不信感が募っていました。
こうした中、核攻撃を受けたオデイアッコーフの都市の一つである、ペルトから反帝国主義、反共産主義を掲げた民主主義勢力が大規模なデモを開始します。これに危機感を募らせたオデイアッコーフは速やかに警察を投入、鎮圧にあたりました。
しかしこの民主主義勢力によるデモの勢いは留まるところを知らず、数週間後には全国へとデモは拡大していきます。民主主義勢力のデモが大きく広まったことで、政府は国民の声に真剣に耳を傾ける必要があるとして議会の設立を約束。
ここに長く続いた帝政は終わりを迎え、オデイアッコーフ共和国として共和制へと移行することになります。
これに対し最も警戒を強めたのは社会主義国家であるアストーロフ人民共和国でした。
権威主義的な現在の政府を守るためにアストーロフ上層部は2241年の第334回全人民会議で「秩序の防衛」を名目に民主主義者をより厳しく弾圧すると声明を発表。
これにオデイアッコーフ共和国は人権の侵害であるとして非難。アストーロフ国内の民主主義者に蜂起を扇動します。
疑心暗鬼になったアストーロフは国内の民主主義者である可能性のある人物を一斉逮捕。厳しい尋問が行われました。
しかしこれには当然冤罪が含まれており、これは却って国内の反発を生む結果となりました。
遂に2242年1月27日に民主主義革命が勃発。これに呼応するように国家全体で革命が発生し、各地で政府軍に抵抗を開始。事の重大さを見た全人民会議は戒厳令を布告し、国軍の動員を決定。
しかしこれにアストーロフ軍の一部は反対し、反政府側へと回り、2月8日にアストーロフ人民共和国首都、ペトラドールを占領。
全人民会議はこれ以上の抵抗は無意味と判断、アストーロフ人民共和国の民主化を約束します。
これに強く反発したのが保守的な独立軍事機関、アストーロフ人民防衛評議会(APDC)です。
APDCはアストーロフ全人民会議が国民を裏切り、憲法に違反したとして即時の全人民会議の解散とAPDCによる暫定政府の設立を要求。
これをアストーロフ全人民会議が拒否したことで、APDCとの内戦が勃発します。
APDCは最精鋭の機械化師団を首都に投入、首都では激しい攻防戦が繰り広げられました。
最終的にAPDCは首都を制圧。亡命が間に合わなかった全人民会議のメンバーを逮捕し、目せしめに処刑を行いました。
第二の国軍とまで言わしめるAPDCの軍事力は強く、首都近郊を解放し、民主主義側アストーロフ軍と互角以上に渡り合う場面も見られました。
両軍の激しい攻防戦の末、かつて世界一の都市と評されたアストーロフ首都、ペトラドールは見る影もないほどに荒廃。
多くの市民が避難を余儀なくされました。
4月13日、1.5次大戦でアストーロフ人民共和国に占領されたアルゴン帝国がアルゴン共和国として独立を宣言。これによりアストーロフ人民共和国は事実上瓦解します。
戦線が増えたAPDCはしばらく持ちこたえていたものの、オデイアッコーフからの形式上の義勇兵(事実上のオデイアッコーフ軍)からの攻撃が決め手となり、APDCは敗北し、アストーロフ人民共和国はここに滅亡しました。
いかがでしたでしょうか。
個人的にはここの歴史が一番好きです。
それではまた次回お会いしましょう。