ドラマ:妻、小学生になる。感想1-d

★第一話(その4:ハバネロミートボールは幸せの衝撃!)

 会社帰りに圭介が買って来た二人分のコンビニ弁当を、圭介はリビングで、麻衣は2階で、別々に食べる…。

 貴恵がいなくなってからの10年で、すっかり定着したスタイルだ。

 今日も、物音で圭介の帰宅を察知した麻衣が無言で2階から降りて来て、机に置かれたコンビニ袋から1人分の弁当と箸を手に取り、また無言で2階に上がっていった。

 圭介も、そんな娘の態度を気にもせず、無言で弁当を開けて食べ始めようとした矢先、この10年、滅多に鳴る事がなかったインターホンが鳴った。

 インターホンのモニターに映っていたのは、さっき外で圭介を見つめていた小学生の少女だ。何か伝えたい事がありそうな表情(かお)をしている。

 「さっき俺をジロジロ見てた子だよな?何の用だ?」と不審に思いつつ、人の良い圭介は玄関の外まで応対に出て「何か?」と門扉を開けてしまう。

 すると、満面の笑みを浮かべた少女は「ただいま!」と言うなり、圭介の横をすり抜けて勝手に玄関から家に上がって行ってしまう。

 慌てて「違うよ、間違えてるよ!」と追いかける圭介。

 1-cの最後に書いたが、これは圭介達の思考や行動パターンを熟知していた貴恵の作戦だろう。ここからの高速コントのような展開は実に楽しい。

小学生「間違えてないわよ。ここは私の家!」
圭介「はい?」
小学生「私は新島貴恵!あんたの妻!麻衣の母親!」
圭介(に呆れる間も与えず)
小学生「あ、麻衣は?上?」
(止める間もなく勝手に2階への階段を上がって行ってしまう)

 原作漫画では、テーブルを挟んでの問答で、貴恵が確かに小学生に生まれ変わった事を圭介と麻衣はすぐ受け入れるのだが、このドラマは全く違う。

 正直、初見時は漫画とのあまりの違いに驚き『原作破壊だ』と炎上するんじゃないかとすら思ったが、結果的には、この設定変更は大正解だと思う。

 いや、このドラマで行われた全ての設定変更は大正解だったとさえ思う。
 (実際、全く炎上しなかった。それは本当に奇跡的な事だ…)

 例えば、原作には存在しなかった、貴恵の弟である友利君の存在、そして『寺カフェ』と、そこでインチキっぽい霊視占いをするマスターの存在…。

 これらの設定変更があったからこそ、ドラマ『妻、小学生になる。』は、より多くの視聴者にとって『忘れがたく愛しい』作品になったと思うのだ。

 さて、ゾンビのように暮らしていた父娘の前に『妻(母親)の生まれ変わり』だと主張する謎の小学生が現れ、ゾンビ父娘が小学生に振り回される日々が始まる。

 小学生は神出鬼没で、いつも嵐のように現れては、父娘の心をかき乱し、また嵐のように去って行く。ここで興味深いのが、圭介と麻衣の温度差だ。

 初めて会った日に、その話し方や、妻のお気に入りのお皿を迷いもせずに手に取った姿を見て「あり得ない」と思いつつも「もしかしたら」という思いが捨てきれず、迷惑がりながらも小学生を拒否できない圭介。

 一方麻衣の方は『ママのような振る舞い』をする小学生に対して「もしかしたら」より「あり得ない」という思いが強く、嫌悪感を隠さない。

 これは恐らく、『恋人~夫婦』と『母娘』という関係性の違いと、一緒に暮らした日々の長さの違い、そして、依存度の違いから来るのだろう。

 しかし、小学生は確かに貴恵の生まれ変わりだと分かっている視聴者からすれば、コメディ調に明るく描かれているとはいえ、圭介と麻衣が貴恵の生まれ変わりを信じられず、3人の心がすれ違い続けるのが実にもどかしい。

 ところで、放送中にあちこちで絶賛されていた毎田暖乃さんの演技力に関してだが、僕はそこまで凄いとは思わない。だが、このドラマの突飛な設定を成立させるのに必要十分以上だったとは思う。

 これがアニメなら簡単である。原作漫画の設定通り、生まれ変わって小学生になっても『どこか妻の面影を感じさせる外見』であるように描いて、声は1人の声優さんが年齢を演じ分ければ良いからだ。

 ところが、ドラマではそうはいかない。外見が違い、声も違えば、それは当然『別人』として認識されるのが普通だ。

 石田ゆり子さんと毎田暖乃さんには、外見上の共通点はないし、声質も似てはいない。そして、製作関係者が明かしているが、毎田さんに石田さんの演技の模倣をさせようともしなかったらしい。

 だから口調やしぐさも、よくよく見ればそこまでソックリではないのだ。

 では、どうしてドラマは成立したのか。そこに一つの秘密がある。それは『声のピッチ(音高)』だ。毎田さんが貴恵を演じる時は、意図してかは分からないが、常に石田さんと同じピッチで発声している。

 口調自体は、実はそこまで似てはいないのだが、ピッチが同じである事によって、視聴者は違和感なく『別の身体を持ち、年齢も違うが、同一人物』だと認識できるのだ。

 このピッチ(音高)というのは非常に重要で、たとえばポピュラー音楽家は楽曲を『コピー』する事があるが、この時、もしピッチ(キー)が違ったら、あるいはテンポが違ったら、それは即コピーとしては通用しなくなる。

 ピッチやテンポが違うと、それだけで人間は『別物』だと感じてしまうからだ。それでは到底『コピー』にはなり得ない。

 石田ゆり子さんの発声ピッチを聞き取って、ごく自然に同じピッチで発声できたのは、まさしく毎田さんの持つ『才能』である。毎田さんが存在しなかったら、このドラマは成立しなかっただろう。

 さて、3人の想いがすれ違い続ける日々が描かれる中に、8ミリフィルムのような質感の謎の映像が挿入される。

 初見時には、まだ貴恵さんが生きていた頃の『思い出の映像』かと思ったが、よく見ると麻衣が大人になっている。つまり、亡くなったはずの貴恵さんが元気でいて、今の圭介や麻衣と楽し気に暮らしている映像なのだ。

 実は当初、この映像の意味が全く分からなかった。それは僕が、8ミリフィルムのリアルタイム世代(1962年生まれ)だからだろう…。

 僕らリアルタイム世代にとっては、8ミリフィルムの映像は『古いもの』『子供の頃』の象徴であり、実際に、8ミリで撮った自分の子供の頃の映像を目にしたりしているからだ。だから、まず時系列的に混乱した。

 なぜ、亡くなった貴恵さんと、今の麻衣ちゃんが一緒にいるのだろうか?それが分からなかった。

 かなり経ってから、それが『貴恵さんが死ななかった世界線の3人の姿』なのだと分かったが(圭介が老け込んでおらず、若々しいため)僕はこの設定にはあまり感心していない。

 いや『違う世界線』自体は良いのだが、それを『8ミリ風の映像』で表現しようとしたのは間違いだったと思っているということだ(※)。

 何度も言うが、ドラマ版『妻、小学生になる。』は決して完全無欠な作品ではない。実は突っ込み所も沢山ある。だが、それを補ってあまりある素敵な作品である所に意味があるのだ。

 再びドラマ本編に戻ろう。現在のすれ違いに、過去の回想シーンをうまく挟みこむ事で、バラバラだった3人の想いが少しずつ近づいて行く過程の描写は実に見事である。

 特に、これはロケーションの素晴らしさだが、小学生の貴恵に「顔を上げなさいよ」と気合を入れられた圭介が、あの長い階段のてっぺんで顔を上げ、久しぶりに見た街の美しさには、何度見ても溜め息が出てしまう。

 広がる街のパノラマが、本当に生き生きとして、輝いて見えるのだ。

 だが、貴恵がどんなに頑張っても、圭介や麻衣の頑なな心の鍵を開く事は出来ず、ついに圭介は3人で住んだ家を手放すとまで言い出してしまう。

 最後のチャンスに賭けて、小学生の貴恵は大切な500円貯金箱を抱えて夜の道に一歩を踏み出す。目指す先はドラマ冒頭にも出て来た、あの『にいじまファーム』だ。

 電車からバスへと乗り継ぎ、山道を登る。小学生の身体にはキツい。降り出した雨に心を折られそうになりながらも、夜明け前にようやく到着した先で目にしたのは、10年間放置され、荒れ果てた家庭農場の姿だった。

 「なんでよ?なんでよ?」思わず崩れ落ちた貴恵。だが、夜明けの薄明りの中で、地面に赤い色が見えた。枯草をよけてみると、あのハバネロが一株だけ生え、そこに実が一つだけなっていた。奇跡である。

 昇って来た太陽の光が小さなハバネロの実を照らし、赤く力強く輝く。
(こういうちょっとした映像表現が実に素晴らしい!)

 「インチキでも何でも、信じるものがある人は、幸せなのかも知れないですね」なぜそうなったのか、インチキ占い師だと軽蔑していた『寺カフェ』のマスターに、麻衣は今まで誰にも話さずにいた心の内を明かしていた。

 「あんたとお父さんにね、お届け物を預かってるわよ。あんたのはこれ」 

 綺麗なリボンで飾られた箱の上に『新島麻衣さま』の文字。小学生にはとても書けないその達筆は、間違いなく麻衣の母親の筆跡だった。

 箱を開けると、『まい、おたんじょうびおめでとう』の文字。忘れもしない、10才の誕生日に母が作ってくれた世界に一つだけのケーキ。それが大幅にバージョンアップされた『20才版』がそこにはあった。

 同じ頃、会社の外のベンチで昼を食べようとしていた圭介の所に『寺カフェ』の他に、自転車デリバリーのバイトもしている弥子がやって来る。

 「麻衣パパ久しぶり」
 「ああ…どうも…」
 「お届け物です。はい、どうぞ!」
 「え…僕に…?」

 どうやら、弁当らしい。包まれた布を解くと『新島啓介さま これで最後です』と書かれたカードが入っていた。その筆跡は、圭介が何度も目にしてきた、あの妻のものに酷似している。いや、これはどう見ても妻の字だ!

 そこに、守屋さんが現れる。「ご一緒しても良いですか?」と横に座る守屋さん、だが、圭介の心は既に目の前の弁当に集中していた。

 恐る恐る弁当箱の蓋を開ける圭介。上にパセリが散らされたミートボールが目に入った。まさか…こんな事が…。フォークで刺し、口に運ぶ。

 舌が甘いソースの懐かしい味を感じた直後、その衝撃はやって来た!

 かつて、洋食屋のシェフだった貴恵と出会ったばかりの頃、圭介の会社の商品開発を手伝ってもらった事があった。閉店後の洋食屋で、二人は毎日のように顔を突き合わせてメニュー作りをした。それが二人の馴れ初めだ。

 そんなある日、残業後で疲れていた圭介がうっかり居眠りをしてしまい、圭介の眠気を覚まそうとした貴恵がイタズラ半分で試食させたのが、強烈に辛い『ハバネロミートボール』だったのだ。

 10年振りの貴恵の弁当、想い出のハバネロミートボールにむさぼりつく圭介。『美味い!辛い!美味いっ!辛いっ!』

 となりで驚き、心配する守屋さんの声も存在も、もう圭介には届かない。

 ドラマ冒頭のハバネロのエピソードが、このような形で伏線回収されるとは思わなかった。これは原作漫画をも超える素晴らしいシーンである。

 お恥ずかしい事に、これを書いているだけでもう、涙ボロボロだ。

 ただ、このハバネロミートボールのエピソードが素晴らし過ぎるせいで、その後、小学校の前で「北朝霞駅のホーム!」と始めるシーンが(原作では冒頭である)冗長に感じてしまうのは少々残念だったりする。

 また、原作の貴恵は、自分と圭介が『小学生女子と中高年男性という最悪な組み合わせ』である事を良く分かっていて「事案になるわよ!」と常に警戒しているのに、ドラマ版の貴恵は、その辺の認識がだいぶ甘い。

 いくら小学生とは言え、衆人環視の中で「あなたが私にプロポーズした場所!」と大声での会話は、ちょっと現実離れし過ぎていると思う。

 それだけでなく、下校時間でごった返している小学生達の中で小学生女子と中高年男性が思い切り抱き合ってしまい、警報ブザーが一斉に鳴る事態となって、学校の先生が飛び出して来る。(完全に『事案』になっている!)

 貴恵が「この人は親戚のオジサンです!」と叫んで3人が手に手を取って(圭介の薬指の結婚指輪が一瞬キラリと映る!)走り出すシーンも映像的には素晴らしいが、果たして「親戚のオジサン」で胡麻化せるのだろうか?

 とはいえ、そういった欠点も、このドラマの素晴らしさの前では、取るに足らないものでしかない。そこにこだわるのは野暮というものだろう。

 第一話の、ここから先のシーンはもう全てが素晴らしいが、特筆すべきシーンがいくつかある。

 まずは、ベタと言えばベタなのだが、ようやく貴恵が本当のママだと理解した麻衣が「おかえり、ママ」と言い、続けて圭介が「おかえり…貴恵…」と言った瞬間に「♪どこへも行かないで…」と初めて流れる主題歌!

 これは、あまりにも完璧すぎるタイミングである。これで泣くなという方が無理だろう。かつて、ドラマの『主題歌』がこれ程の威力をもって流れた瞬間があっただろうか?

 僕などは初見時、ここまで来て初めて「そういえばこのドラマ、冒頭にタイトルバックも主題歌もなかった…」とようやく気付いて唖然とした位だ。

 そして、僕が一番好きな、小学生の貴恵が圭介の白髪交じりの髪を触りながら、「ごめんね圭介、私のせいで、こんなに老け込んじゃって」と言い、圭介が「君は…若返り過ぎだ…」と返して3人で笑うシーンに繋がる。

 さらにそこから、圭介が「ママを送って来る」と自転車の前かごにランドセルを、後ろには貴恵を乗せての二人乗りのシーンに繋がる。逆光の土手の上を走る二人の映像が実に美しい。

 特に、カメラの前を障害物が遮った直後、小学生の貴恵の姿から、大人の貴恵に入れ替わる演出は、日本ドラマ史に残る名シーンではないだろうか?

 「いつもんとこ集合」のバスの回想シーンで、若き日の貴恵の後ろ姿から「びよよ~ん!」と、ちんちくりんの小学生に変わってしまう演出で笑わせておきなながら、その逆バージョンで泣かせに来るのだから恐ろしい…。

 貴恵さんのスカートがスローで風に揺れるのが、夢のように美しい!

 ところが、凡百のドラマなら大喜びで初回のエンディングに使いそうなシーンのままで終わらないのが、このドラマの並じゃない所である。

 ロマンティックな二人乗りのシーンは「ちょっと!そこの自転車!」という不粋な警官の声に止められてしまう。

 よく見たら『寺カフェ』で毎回インチキ占いに騙されてた人だ。あの人、警官だったのか…。警官が騙されてちゃダメじゃんw

 ところで、この警官の役柄に『3年B組金八先生』の大森巡査を思い出してしまうのは僕だけだろうか?

 原作にはない『土手』というロケーションといい、製作スタッフの中に『金八好き』がいるのでは???

 ともあれ、前にも書いた通り、このドラマはシリアスとコメディのバランスが抜群に良く、こんなに泣かされるのに後味がベタベタしないのが良い。

 さて、ハッピーに終わるかと思った第一回だが、万理華が弁当を作っているのを不審な目で見る性格のキツそうな母親が登場し、圭介が小学生にプロポーズする現場を目撃する謎の男…と波乱の予感を含みつつ終わる。

 なんという終わり方!これじゃ次回が気になってしょうがないだろ!w


(※とはいえ、番組中には一切普通のCMを流さず、この8ミリ風映像の中に、スポンサーの社名だけを表示する…というやり方には非常に関心した。スポンサー各社さんの英断も含めて、本当に素晴らしい事だと思う!)

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