ドラマ:妻、小学生になる。感想1-a

★第1話(その1:ママがいたから幸せだった)

 明るい陽射しが降り注ぐバルコニー。爽やかな秋風にクルクル回る風車。

 ドラマ『妻、小学生になる。』の冒頭は、そんな映像から始まる。

 これは原作の漫画とは全く違う。

 そこには、順風満帆で幸せに生きている家族3人の姿があった。

 太陽のように明るくて優しい貴恵ママ。ちょっと心配なほど天然でドジな圭介パパ。そんな二人が大好きな、よく笑う10才の麻衣ちゃん。

 …そうか、これはまだ貴恵さんが生きていた頃の風景なのだな。それにしても、よくもここまで大胆に設定を変えたものだ…と僕は思った。

 考えてみれば、ドラマを観る人全員が原作漫画を読んでいるわけもないし、何より原作漫画はかなりの長編だ。

 それを初回こそ60分とはいえ、45分×10回の枠で全てのエピソードを消化出来るはずがない。だから、ドラマ版の『妻、小学生になる。』では、大胆な設定変更が躊躇なく行われている。

 まず、住んでいる家が違う。マンガでは集合住宅の1室だが、ドラマでは素敵な一軒家になっている。ドラマの圭介はメガネをかけていないし、性格もちょっと違って、万事を妻に頼りっぱなしの情けない男になっている。

 写真を撮ろうとすればセルフタイマーになっており、車で出かけようとすれば小学生のように忘れ物だらけで、妻と娘から「置いてっちゃうよ!」と言われてしまう始末…。

 まあ、この極端な設定は後々じわじわと効いて来るのだが、初回の視聴では、漫画版と比べてだらしなさ過ぎる圭介にちょっとイライラした位だ。

 ドラマ本編に戻ろう。3人が出かけたのは山の中腹にある家庭農園だ。

 そこでも圭介の天然っぷりが炸裂する。土中から顔を出したミミズに、「ママ!ミミズ出た!」と小学生のように声を上げ、ハバネロを赤ピーマンと間違えて、貴恵の「味見してみたら?」というイタズラの犠牲になる。

 辛さに悲鳴を上げた圭介が、あわててジョウロから直接水を飲みのを見て呆れた麻衣が笑い、「ゴメンネ!」と謝りながらも貴恵も笑う。

 たっぷり収穫した野菜を早速味わう3人。「最高!」と声を上げる圭介。

 しかし、そんな幸せいっぱいの時間を過ごした帰り道、野菜でいっぱいの小さな車の中が、『3人で』過ごした最後の時間になってしまう。

 山道のカーブを曲がり切れずに膨らんだ大型トレーラーが、突然正面に立ちはだかったのだ。狭い山道には避けられる余地もなく、ハンドルを握る圭介は呆然としたまま全く反応できない、正面衝突だ!

 だが、最後の瞬間に何かを決意した貴恵が助手席から身を乗り出して渾身の力でハンドルを右に切り、3人を乗せた車は助手席側からトレーラーにぶつかった。

 横転して逆さになった車内を野菜が舞い、鳴り続けるクラクション(※)。

 貴恵ママが自分の命を犠牲にして、圭介と麻衣の命を救ったのだった…。

 この『貴恵の死因』の設定変更には驚いた。漫画版の貴恵は一人で出かけた時に亡くなっているが、それを読者が知るのはだいぶ後になってからだ。

 ところがドラマでは『3人で車に乗っていて事故に遭い、貴恵だけが助からなかった』設定にして、それをドラマ冒頭でハッキリ見せてしまうのだ。

 少し前に、やはり漫画原作のドラマの『原作とあまりに違う設定』が大問題になったが、下手をすれば、このドラマもそうなって不思議ではなかったと思う。

 しかし、SNSからYouTube、個人のブログまで、かなりの数の感想を見て回ったが、このドラマの『大胆な設定変更』を問題にした人はほぼいなかったと思う。これは凄い事ではないだろうか? 

 そのうえ、何より驚くべき事は、ドラマが始まってからこのシーンまで、まだたったの4分しか経っていないということだ。

 教える仕事とはいえドラマーを生業としている者として、こういう表現を使う事には抵抗があるが、まさしく『驚異的なテンポの早さ』である。

 たった4分で、10年前の家族の関係性や各キャラクターの性格までを見事に描き切っていて、僕はもうすっかりこのドラマの世界にハマっていた。

 ふう…。たった4分にこんな文字数を費やす事になるとは思わなかった。でも、それだけ語りたくなるドラマなんですよ!これは…。

(※)横転して逆さになった車内を野菜が舞い、鳴り続けるクラクション…という映像は、恐らく圭介が気を失う寸前に見た光景でしょう。次の瞬間にアラームが鳴って圭介が目覚めている事からすると、あるいは第1話冒頭の4分間は現実そのものではなく、圭介の見ていた『夢』なのかも知れません。(実際の台詞はないですが「また、あの夢か…」という台詞が、目覚めた後、うなだれてベッドに座っている場面にぴったりハマる)もし、貴恵の死後、こんな朝を何度も迎えていたのだとしたら、圭介の異常な憔悴っぷりも無理はないし、自分の不甲斐なさで最愛の妻を死なせてしまった…という罪の意識にも苛まれていたのかも…。皆さんは、どう思いますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?