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AIの本の紹介と、その本を読んだ私の感想

この前、「あきない世伝 金と銀」全13巻を読み終わって、この「note」にその感想をちょっと書いてみた。
全ては書ききれなかったが、思ことや心を動かされた事は多々あった。

「あきない世伝」は作者の高田郁さんの構成力が素晴らしく、楽しめる作品だった。そのおかげで、主人公の幸の生き様やそこに登場する人々が常にそばにいる気がして、読んでいる間中、楽しい時間だった。

私はどちらかというと、夢中になるとその世界に入り込んでしまう方である。

小学生の頃、「アルプスのハイジ」を読んで、自分がアルプスの山に中で暮らしている気になったことがある。給食でパンとチーズが出た時は、おじいさんとハイジが食事をしているのを思い浮かべながら食べた。至福の時であった。

今でも、その時の幸せな気持ちは奥底にある。

「あきない世伝」は私にとって「アルプスのハイジ」的な世界だった。

例えば「まいまいつぶろ」(村木 嵐作)は、江戸時代の、徳川家重が登場する感動する一冊ではあったが、ちょっと精神的な負荷が大きく、その世界で暮らすことは難しかった。

閑話休題。

つまり、感想を持つということは、もちろん内容についての感想ではあるのですが、本を読んでいる時の時間の感覚や心情も大いに関わってくる、ということが言いたかったのです。

だから私は、拙い感想であっても、それを表現している間、それを読んだ時の心持ちや感覚が、空気感となって漂っている気がする。

さて、この「あきない世伝」のAIの紹介文をチラリと見た。
ICTに疎いので、それがどういったものかよくわかっていないのだが、そこにはきちんと、登場人物の名や内容が書かれてあった。
ただ、話が13巻にも及ぶものだからか、あらすじ的なことは、結末に近い部分のことであった。
主人公の幸の、子どもから大人、成人しても大阪から江戸と活躍する場所や苦悩の形が違ってくる物語だから、一言で言うのは難しいし、読む人によって、心に残る場面は違う。

私は思わず、あらすじってそれかいな、と心の中でつぶやいてしまった。
13巻目の話をまとめただけですやん。

でもその割には、破綻なくまとめてあった。
AIを信じてその文を読んだ人は、「あきない世伝」はそんな話か、と思うであろう。

AIを丸呑みしてはいけない、という一つの証拠がつかめて、ちょっとほっともしたのだけれど。

AIの本についての紹介と、実際にそれを読んだ私の感想とは、大きな開きがあったと言えるだろう。

喜ばしいんだか、残念なんだか。



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