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「ごんぎつね」(新美南吉)では死体を煮ている

小学校4年生の学習で、「ごんぎつね」を勉強します。
兵十という青年と狐のゴンの話です。
(冒頭の写真は、半田市教育委員会の「南吉のふるさと」の物です)

 ゴンは一人ぼっちの狐ですが、村の家の軒下に干してある唐辛子をばら撒いたり、菜種の干してあるのに火をつけたりして悪戯をします。お母と二人暮らしの兵十が、ある雨上がりの日、川で魚を獲っていました。魚籠には鰻も入っていましたが、ゴンは魚を全部逃してしまい、鰻を取り出します。鰻はゴンの首に巻きつき、そのままゴンは逃げてしまいました。ところが兵十のお母は死んでしまいます。葬式の日、ゴンは、兵十の母は鰻を食べたいと思いながら死んでしまったと考え、深い後悔の念を持つのでした。

 それを契機として、ゴンは、兵十の家に栗や松茸を届けます。
 この話の中で、兵十の母の葬式のシーンが出てきます。ゴンが葬式だと気がつくのは、兵十の家の井戸で、近所のおかみさんたちが物を煮炊きしている様子からでした。ちょっとおめかししたおかみさんたち。時代背景としては、お歯黒をきちんとつけているという状況です。現代の4年生の子どもたちには少し難しいですよね。

 最初は、ゴンはお祭りかと思うのですが、神社に幟がたっていないこと、おかみさんたちが小綺麗にして集まっていることから、葬式だと気がつくのです。

 以前は、お葬式だと近所の人が集まって祭壇の用意をしたり、土葬する地域ですと穴を掘ったりしました。火葬する地域も、火葬場まで運んだり火の番をしたりしなければならんず、仕事が多かったものです。ですから、たくさんの人手が必要でした。

 人がたくさん集まると、飲み食いをする必要があります。
  そこで、葬式に参加する女たちは、竈で物を煮炊きして、食事を提供したのでした。
 現代のお葬式は、システム化されています。葬儀場で担当の方が仕切ってくれ、喪主やその家族は、言われるがままにしていれば、お葬式は滞りなく済ませることができます。
 また、火葬場できちんと火葬されますので、親戚などで何か特別な仕事をする必要はありません。
 飲み食いが必要な場合も、何人分の食事が必要だと伝えれば、葬儀場でその用意をしてくれるシステムになっています。

 以前、私の子供の頃は、もちろん、お料理屋さんから取り寄せもしていましたが、ご飯を炊いたりお汁を用意したりして、女たちが台所で食事の用意をしていたのでした。
 男女共同参画型の社会としては、それはどうだろうという問題が生じますが、この話は別として、以前は、台所で女たちが煮炊きしているのを子どもながらによく見かけましたが、現在は本当に少なくなっています。

 まあ、そんなわけで、「ごんぎつね」のお葬式の場面は、現在の子供たちにとって、あまり馴染みがありません。また年頃的に、自分たちの祖父母は健在ですし、親戚もそう行き来しなくなりましたから、お葬式自体に参加することが少なくなり、経験としても「葬式」の認知が低いです。

 さあ、そこで、「ごんぎつね」です。
 おかみさんたちは、葬式の日、竈で何かを煮ています。葬式の経験が少なく、親戚などが集まって家で食事をすることが少なくてそういう光景を目にしたことのない、最近の子供達は「死体を煮ているのだ」と言い出すのです。 

 もちろん間違いを正します。

 よく考えれば、そんなことはあり得ません。でも、文章を読むことも少なくなった現在、深く考えずに、書かれている事柄(煮炊きをしている+葬式)を合わせると、「死体を煮ている」という結果が導き出されることもあり得るとも思うのです。

 正しく読み取りができるようにもしていますが、経験があるかないかは、理解に大きく関わっていると思うこの頃です。







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