適応障害と僕の2209日 -僕は障がい者じゃない-
自己紹介
こんにちは、「きゃん」といいます!
僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。
そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。
教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。
そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。
僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。
僕は障がい者じゃない
僕は子ども専門の心療内科に母親に連れていかれました。
(当時の僕の心境としては連れていかれたという感覚でした…)
決して素直に行ったわけではなく玄関で崩れ落ちた後、ごねました。「病院に行きたくない、俺は障がい者じゃない」と
大学で発達障害等の教養を少し身に着けた今は決して思いませんが、当時の僕は心から思っていました。
少し知識が豊富だった僕は、僕がこの後どんな病院に行くのか、そこにはどんな人がいるのかを推察していました。
僕は、同じクラスにいた、ある問題児を理解することができませんでした。すぐキれるし、立ち歩くし、協調性がないし。
なぜ、「普通」にできないのか?と思っていました。
その子の保護者から「この子はみんなと違うところがあるの、だから分かってあげてほしいの」と言われたときに、健常者じゃなくて障がい者なのかと理解し、下に見るようになった記憶があります。
今、思うとADHD(注意欠如・多動症)の傾向が高かったのかと思います。
大学4年間の学びの中で障がいがある人に対して
そのような気持ちを抱くことはなくなりましたが、
未熟だった当時の僕は忌み嫌っていました。
心療内科には発達障がいの人が行くと勘違いしていたこともあり、
「あいつと同じなんて嫌だ」
そう思って病院に行くことを強く拒みました。
ただ、12歳の力では両親の力にはかなわず心療内科に行くことになります。
苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで