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適応障害と僕の2209日 -カタカナが読めない…-


自己紹介

こんにちは、「きゃん」といいます!

僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。

そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。

教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。 

そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。 

僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。


カタカナが読めない…

自分でもわからない、自分の行動によるストレスでしょうか、僕の親が心療内科に僕を連れていく決断をする出来事が起きます。

書き終わらないノート
2~3時間かかる学校の支度

そんな生活が1週間ほど続いたある日

僕は卒業式でアラジンの「ホール・ニュー・ワールド」を鍵盤ハーモニカで弾く予定でした。

何でもできる小学生だったと書きましたが、訂正します。楽器は全くできません。吹いているふりだけどんどんうまくなっていきました。

ただ、卒業式の演奏に関しては頑張りたい気持ちがあったようで、家に帰ってから練習することにしました。

吹き始めようと楽譜を開いた時、
「ホール・ニュー・ワールド」
その言葉が読めないことに気づきました。

発音できているのに、発音できていない気がしてしまっていた、という表現のほうが正しいのかもしれません。

「ホール・ニュー・ワールド、ホール・ニュー・ワールド…」と何度も何度も繰り返し呪文のようにつぶやきました。

「なんで読めないんだよ!!!」
机に思い切り拳を振り下ろしました。

その痛みで少し落ち着きました。

周りはすっかりと暗くなっていました。

滲んで読めなくなった楽譜。練習したかっただけなんだけどな。

そんな様子を見ていた両親は「大丈夫?」と声をかけてくれました。

「大丈夫じゃない」

両親は次の日、僕を心療内科に連れていくことを決意しました。

次の日、僕はいつも通り学校に行こうとランドセルを背負いましたが、「病院に行こう」という母親の言葉で崩れ落ちました。

僕が文字を読めなくなったのは、「不安」によるものだと思います。学校の支度に関しても、ノートに関しても同じです。

「読み方これであってるっけ?」
「あれっ、あの資料入れたっけ?」
「なんか他の字に見間違えられちゃう?」

皆さんも日々感じている「不安」が
心の不調により大きくなってしまうのだと思います。

ただ、それを理解することは難しいと思います。
経験した人にしか本当に理解することはできないと思うので。

経験した僕も、もう、その不安の感覚を覚えていません。

不安から遠ざける、それが周りができる大きな助けだと思います。

意外と本人より周りが焦り、無理に不安に立ち向かわせてしまいます

ただ、本当に辛い時は無理をしなくていいのではないでしょうか。

きっと、これまでに頑張りすぎてしまったのだと思います。

だから、今くらい、「がんばりすぎないで」と
声をかけてあげてはいかがでしょうか。

もし焦ってしまったら下を見てください。僕がいます。

6年間学校にろくに行かずともなんとかなっています。


苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで

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