見出し画像

適応障害と僕の2209日 -6年間で得たもの-

自己紹介

こんにちは、「きゃん」といいます!

僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。

そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。

教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。 

そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。 

僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。


6年間で得たもの

ふと、通院するまでの僕の過程を書きながら、これを見た、今、心が疲れてしまっている人たちは、自分の将来が不安になってしまうのではないかと思いました。

僕自身も、通院し始めた時は、「適応障害 いつ治る」「適応障害 治らない」などと検索しては、一人一人違うはずの症状に感化されすぎて不安になっていました。

みなさんの苦しみを少しでも軽くするためにと思って始めたのに、不安にさせては、元も子もない!!

そこで、今回は、小学6年生の2月から高校3年生までの6年間を心の病気とともにした中で、得たことについて書き記してみようと思います。

6年間、まるまる立ち止まってしまいましたが、意外と人生何とかなるものみたいです。

苦しんでいる時は先が見えなくて、不安で仕方がないと思います。ただ、それを乗り越えた先には、あなたにしかできないことが生まれているはずです。

今では、適応障害、強迫性障害の経験があるからこそ、人として大きく成長できたと感じています。



僕は今、ある自治体で小学校の先生をしています。

実家を数ヶ月前に離れ、一人暮らしも始めました。

毎朝5時半に起きて、コーヒーを淹れ、簡単な朝ごはんを食べて、学校に向かいます。

朝、7時半ごろに学校に到着し、17時ごろ退勤。17時半過ぎには帰宅します。

帰宅してからは、だらだらと夜ご飯を作ったり、筋トレをしたり、ネットフリックスを見たりしています。

朝が早いので10時半くらいには寝ます。

「ブラック」だの、「定額働かせ放題」など言われていますが、個人的にはこの仕事に就いてよかったと思っています。

実は、大学3年生の3月までは一般企業に就職する予定でした。ありがたいことに数社から内定もいただいていたので、大学を卒業したら、その中のどこかで働くつもりでいました。

ただ、中学2年生の頃からの夢である、小学校の先生にならないことに未練がありました。

「自分の心が躍る方はどっちだろう」

自分に問いかけると、次の日にはすべての企業に内定辞退の連絡を入れて、教員採用試験の対策を始めました。

教員不人気な世の中のおかげで、なんとか教員になることができました。

実際に働く中で、ここまで感情が動く仕事は他にないのではないかと、狭い視野なりに感じています。

日々、自分の人間力の低さに悩まされているところではありますが、何の利害も気にせず、一人一人に真剣に向き合い、自分にあるもの、自分にできること、全てを無条件に与えることができる。そんな瞬間に日々、喜びを感じています。

働き始めて、僕の6年間が役に立つと何度も感じています。

日々の生活の中で心が疲れてしまっている子どもがたくさんいます。そんな子どもの気持ちを汲むことができるのは、実際に同じ経験をしたことがある人だけだと思います。

そういった子どもと話す時には、まず、僕の6年間について話します。すると、子どもたちは僕に安心感を覚え、何を感じ、何を思い、何に悩んでいるのか話してくれるようになります。

また、その子どもたちの保護者様は子ども以上に不安を感じていることが多いです。保護者様には、僕の経験、また両親や周りがしてくれて役に立ったと思うことを具体的に話します。そのことが保護者様の心を少し軽くできているみたいです。

この行動は、学校の中で僕にしかできないことだと自信をもって言うことができます。

経験したからこそ、できるだけ近い距離で寄り添うことができています。


また、この6年間があったから、「受け入れる」ことができるようになりました。

小学6年生の僕は、自分はできると思っていたがゆえに、「できない人」を受け入れることができず、障がいがある人に対しても否定をしていました。

ピラミッドの上の方にいると思っていた僕は、6年の間、転がり落ちていく中で異なることを受け入れることができるようになりました。

僕が人を否定することができない状況にいたからこそ、小学6年生まで関わらなかった多様な人が関わりに来てくれました。その人たちは「できない」が多い人たちなのかもしれません。ただ、「できる」が少なくなった僕に、多くの優しさをくれました。

その優しさをもらうたび、人を「できる」「できない」という表面上だけで判断していた自分が恥ずかしくなりました。

あの6年間がなかったら、今でも、人を表面上で評価し、見下していた心貧しい大人になっていたと思います。


僕も、苦しんでいた時は不安でした。いつ終わるかもわからないし、終わるのかすらわからない。そんな中、周りはどんどん進んでいく。その背中を見るたびに焦っていました。

ただ、その時間が今では僕にしかない宝物になっています。

みなさんの苦しみも、きっといつか、みなさんを豊かにしてくれると思います。


苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで


スキ、コメント、アドバイス、よろしくお願いします!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?