適応障害と僕の2209日 -75点のテスト-
自己紹介
こんにちは、「きゃん」といいます!
僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。
そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。
教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。
そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。
僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。
75点のテスト
僕は、自分で言うのもなんですが小学6年生の2月までは、できないことがなかったです。
学校のテストでは100点が当たり前、
習い事のサッカーではキャプテンを担い、
学校でも学級委員をこなしました。
老若男女問わず慕われ、自己有用感に満ち満ちていました。
そんな小学6年生の2月、異変に気づきました。
というより、気づいてもらいました。
読者の皆様の中にも、覚えている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
国語の聞き取りのテスト。
流れてくる音声をメモして、それを基に問題に答えていく形式のものです。
僕はそのテストで75点を取りました。
教員という仕事を始めた今、特にこの点数に驚くことはなくなりましたが、その当時の僕には大きな衝撃を与えました。
「僕が75点??」
当時の担任の先生は本当に素晴らしい先生で、
子どもの些細な変化も見逃しませんでした。
私の75点のテストたった1枚で私の変化に気づいてくれました。
教卓の前に出席番号順に並び、テストを受け取る時、
「なんかあった??」と声をかけてくださいました。
ただ、当時の僕は、「いや、なんでもないです」と
冷たく返すだけで自分の変化には何も気づかず、
「75」という数字にただ腹が立っていました。
ここから、それまで順風満帆だった僕が、段々と崩れていきます。
苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで