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適応障害と僕の2209日 -手紙を届けてくれる友達-


自己紹介

こんにちは、「きゃん」といいます!

僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。

そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。

教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。 

そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。 

僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。

手紙を届くてくれる友達

学校に段々と行けなくなっていく中で、初めて気づいたこともありました。

人前に出ることが好きだったこともあり、物心ついたときから、人間関係には恵まれて育ってきました。

孤独に対する恐怖感を感じたこともありませんでしたし、自分が嫌われるという不安もありませんでした。

しかし、自分の症状や、友達と関わる時間が減っていく中で、1人になってしまうという恐怖感が生まれました。

これはきっと、自分の周りには人がいるのは当たり前ということを無意識に信じていたからだと思います。

そんな当たり前が壊れました。

ただ、壊れたことで初めて、支えてくれていた人、側にいてくれた人の大切さ、かけがえのなさに気づくことができました。


「ピンポーン・・・、きゃんいる??」
唐突な来訪でした。

「うん、いるよ」

「手紙届けに来たから、玄関まで行っていい?」

「うん」

小学校1年生からの中の親友が学校の配布物を届けに来てくれました。

玄関の前で少し、話しました。

とてもよそよそしく、いつもの親友ではありませんでした。

玄関の前に来ることに許可を取ったり、よそよそしかったり、色々配慮してくれていたんだと思います。

玄関のドアが閉まってから、僕を嬉しい気持ちと安堵の気持ちが包み込みました。

当たり前だと思っていたことの温かさに、初めて気づくことができました。


先生という仕事について思いますが、きっと先生も、大変お忙しい中で、誰に手紙を渡させようか、何を持たせようかと、たくさんたくさん考えてくれたのだと思います。

10年ほど経っても、新たな人の温かさに気づくことができる時間でした。


苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで


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