士は己を知る者のために死す
まともな人間であれば自分の真価を認めてくれるような知遇を得れば、
その人のために命も惜しまないという気になるものです。
「史記・刺客伝」によれば、戦国時代に晋の予譲という人がいました。
子譲がかつて仕えていた恩人である知伯の仇を討つときにいった言葉は、
「士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者のために容つくる、
今、智伯は我を知る」でした。
その意味は「立派な男子であれば、自分の真価をよく知ってくれて、
認めてくれた人のためなら死んでもよいと思うものだ。
女性は、自分がそばにいると喜んでくれるような人がいれば、
その人のためにお化粧をするものだ」です。
(故事百選より)
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo76.htm
日経新聞夕刊の元警察庁長官・弁護士 佐藤英彦氏のコラムに
ここ故事が掲載されている。
前略
~「人が好まない仕事をやり抜け、捜査は本来地味なもの、目立とうと思うな」。
プロの凄みを感じた。こういう人だから、へそ曲がりの腕利き(刑事)を
「士は己を知る者のために死す」という心境にさせるのだろう
中略
今日、それにつけても、ある分野であまりにも素人っぽい集団が
目にとまるのはどういうことだろう。
上に立つ者が綺麗事に終始するとか目立ちたがる人物だとそうなりがちだ。
後略
まさに「己を知る者」がいなくなった。
「死す」どころか「いつ寝首をかいてやろうか」と思う者ばかり。
そういえば、以前読んだ調査に、
大企業の社長に「どういう人を次の社長にするか」と質問したところ
「自分を追い落とさない人、寝首をかかない人」だそうだ。
人間とは、そんなものだと考えた方がいい。
「上に立つ者が綺麗事に終始するとか目立ちたがる人物」
ばかりだ。
シリアで亡くなったジャーナリストの山本美香さんの本より。
「目をそらしても現実が変わるわけではない。そうであるなら、
目を凝らして、耳を澄ませば、今まで見えなかったこと、
聞こえなかったことに気づくだろう。」
もっと、現実に、目を凝らし、耳を澄まそう。
時代は、猛スピードで変わっているよ。