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好きという感情の不思議

私は結婚した人とは一生添い遂げ、命を終えた後も、一緒のお墓に入らなければならないと思い込んでいた。

だから元夫と結婚することになった時、嬉しいというより、エ~💦いいの!?この人で後悔しない?一生が決まっちゃうんだよ!!と必死で止めようとするもう一人の私がいた。

でも私は初恋のO君に失恋して以来、それを越える恋に出会えず、常に虚しさを抱えていた。

もう社会人として労働するのにも疲れ(今思えば結構ブラック企業だった)、唯一の望みである専業主婦になれるのは、この人と結婚することだ!と覚悟を決めた。

この時、元夫が私の期待通りの優しい愛情深い人だったなら、私は離婚なんてせず、元夫に感謝して最後まで寄り添うことを選んだだろう。

でも、元夫は闇を抱えた冷酷な性質で、特に金銭面では欠落した厄介な人物だった。

今は全てが自作自演の一人芝居で、元夫も私の一面を表してくれていたと分かり、もう彼に対して恨みや憎しみは無い。

むしろ沢山の学びを与える為に、敢えて悪役を引き受けてくれた勇気ある彼に感謝している。

そして何よりも、離婚して私から去ってくれたおかげで、私は魂が求める究極の大好きな人を見つけることができた。

私が今言いたいことは“その事”なのだ!

時々私はこれまでの半生を思い返し、完璧に組み込まれたシナリオを分析している(それが私の趣味でもある)。

じつによく出来ていると感心する。

元夫との壮絶な結婚生活が無ければ、私は茅子俊さんに本気で恋なんてしない。

あの試練を乗り越えた私だから、天使のような王子様のような美しい茅子俊さんを見て、荒んだ心が洗われ、急速に癒され、
そしてときめきへと繋がったのだ。

この展開は絶大な威力があり、私は恥じも外聞も捨てて、noteに茅子俊さんへの恋の記事を書き発信することを実行に移せた。

noteにありのままの心情を文章で表現すると、どんどん潜在意識に働きかけることになり、私の意識の深くまで浸透して、私は茅子俊さんが大好き♡という恋一色に塗り替えられる。

だから今の私は、自分の恋心をnoteに投稿することに、ほとんど抵抗が無くなってきている。

茅子俊さんのことを記事に書こう!とした段階で、私の精神年齢は若返り、恋する乙女に変身して、心も目もハート♡になりながら、ニッコリ笑顔でスマホの画面に文章を綴る。

世間体を気にしてばかりだった私は何処にもいない。

ここにいる私は、真剣に茅子俊さんだけを愛する純粋な光を放つ私なのだ。

それにしても、何度考えても不思議で仕方ない。

私は茅子俊さんのことを実際には全く知らない。

Googleで検索して出てきた情報により、生年月日や本名や血液型や身長体重や少しの経歴は分かっている、でもそれが正しい情報なのかどうかは分からない。

あくまでも私は茅子俊さんの出演されたドラマや、Instagramに届く動画や画像から、勝手にイメージして、きっと彼はこんな感じだと捉えているに過ぎない。

そのイメージは私の願望を大いに含んでいる為、茅子俊さんがどんどん美化され、聖人君子のように神様のように、私には到底手の届かない遥か彼方の人として、映ってしまう。

でも宇宙の法則の視点で見れば、真実は茅子俊さんは私だとも言えるのだ。

その視点で捉えれば全てが納得できる。

あの離婚が成立した時、この世のものとは思えない光景が目の前に広がった。

あんなに美しく神々しい光の世界を見たのは初めてだった。

あの時、私の第2の人生が始まったのかもしれない。

まだ茅子俊さんの存在すら知らなかったけれど、何かしらの素敵な予感は確かに感じた。

私はあの不思議な体験がある限り、絶対に揺るがず宇宙を信頼して進む。

ただ純粋に今ここで茅子俊さんを想う。

それが今の私にできる精一杯のことだから。



ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️








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