生きていることが素晴らしい
私は今この瞬間の私を無条件で愛せるようになってきた。
例えば、お風呂の時間にスポットを当てる。
私は昨年ガス料金を支払えず止められた時期があった。
その時は水のシャワーを浴びて耐えていた。
この水シャワーのおかげで、とてもいいことがあった。
水シャワーを浴びると頭が痒くなりにくいことを実感した。
だからガスが復活してお湯シャワーが使えるようになった現在も、全部洗った後、仕上げに水に切り換えてシャワーを浴びるようにしている。
そしてお風呂を済ませた後からが、とてもやることが多くて充実している。
先ず、ローションを顔に塗り、その後美容液たっぷりのパックを顔に貼り付ける。
そして全身にボディクリームを塗る。
このボディクリームは、娘とドラッグストアで見つけたお気に入りで、紅茶の良い香りがするので、とても心地がいいのだ。
次に、顔に貼り付けていたパックを外し、美容液を絞って全身に塗る。
その後、髪の毛にトリートメントのクリームを塗って馴染ませる。
ドライヤーで髪を乾かす。
服を着て髪の毛を束ねてから、部屋全体にお掃除シートでモップ掛けして、最後にお風呂場と洗面の掃除だ。
お風呂の後に何故掃除をするのかと言うと、洗髪やドライヤーで乾かした後に抜け毛が発生する為、お風呂後の方が掃除しがいがあるからなのだ。
私はどうしても効率を重視してしまうので、お風呂前に掃除したところで、又髪の毛が抜けて二度手間の掃除をするなんて凄く納得できない。
掃除は一回にまとめたい性質なのだ。
お風呂場の排水口や、洗面の排水口に絡み付いた髪の毛を取り除き、全体的に拭き取れば、ピカピカに輝く、これが爽快で大満足できる。
私の見ている世界は、私の思い込みが映像化した鏡の世界なのだから、全部が私を表している。
つまり、お風呂も洗面も部屋全体も私だということだ。
だからお風呂で自分の身体をキレイにした後は、自分の身体に美容液等を塗り、自分をメンテナンスするのと同じで、お風呂場や洗面を掃除して、私そのものを輝かす為に愛を注ぐ。
ここまでする私を、どうして今まで貶して否定していたのだろう?
私はもっと褒められて当然だったのに。
私は今ここで できることを精一杯やって生きている。
それがどんなに素晴らしいことで、どんなに尊いことかを気づけずにいた。
今ようやくその素晴らしい奇跡を自覚できる私になれた。
左脳は思考する私を促す為に、あの手この手で幻想を見せて惑わしてくる。
でももう私は揺るがない。
私は今ここで生きている。
それが素晴らしいことだと確信できたから。
全身で今この瞬間の喜びを感じながら生きている私。
そこにスポットライトを当てて私を見つめる。
何も失ったものなんて無く、私はありのまま純粋な光を放ってここに存在している。
それでいい。
余計な思考は遠くに追いやり、光である自分を感じる。
そういう時間を増やして、更に私を愛していこう。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️