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苦しさを見つめ感じ切る
私はとても孤独だ。
幼い頃から家族の中にいても、私だけ異質な感覚があり、何故か溶け込めない雰囲気に寂しさを感じていた。
それは幼稚園、小学校へと持続して、私を苦しめた。
特に暗黒の小学生時代、私は誰よりも給食が苦痛でしかなかった。
唯一親友のMちゃんだけは、私の心境を理解してくれた。
私は肉も魚も苦手で食べられなかった。
Mちゃんはマヨネーズと牛乳が特に苦手で、毎月の始めに配布される給食献立表をチェックして、2人で嫌いなものが入ったメニューを見つけ蛍光ペンで印をつける、私たちの献立表はほとんどがカラフルに塗り潰された。
私は毎日が楽しくなかった。
生きること自体が苦しいことだと、もう既にネガティブ思考が主体になっていた。
生きることには食べるという行為が不可欠だ。
この重要な行為に支障をきたす私は、どこか欠陥していて、生まれてきたのは間違いなのでは?と思えた。
とにかく好きなものは極僅かの食品に限られ、歯も顎も弱く、硬い物も生臭い物も癖のある物も食べられない。
外食に行っても楽しめない。
そんな子ども時代を過ごし、大人になってもこんなに歯に苦しめられるとは!!
私は最近思い出したことがある。
子どもたちがまだ幼い頃、家族で外食をした。
その飲食店は郊外にあり お洒落な雰囲気で、私と元夫は穴場的お店を見つけたと喜んだ。
ところが、オーダーしたお料理が運ばれてきて、いざ食べようとしたら、めちゃめちゃ私の歯が激痛になり、全く噛めなくなったのだ。
子どもたちも元夫も、美味しい!美味しい!と喜んで食べている。
私は心の中で、この痛みが子どもたちではなく、私に降りかかって良かったと思った。
元夫も、車の運転をしてくれて、この素敵なお店に連れてきてくれたのだから、美味しく食べてくれれば、私はそれで良かった。
私だけが食べられなくても、自分が我慢すればいい、でも食べない私を家族に心配させないように、私は痛みを堪えて痛く無い方の歯でゆっくり噛みながら食べた、ニコニコ笑顔の裏側で 私は苦痛で泣いていた。
ほぼ丸飲み状態で、食べることがあんなにも苦しく思えた時間はなかった。
私にはこういうエピソードが結構沢山ある。
お正月に実家に帰り、お雑煮やお節料理をいただく時、私はそんな時に限って歯に不具合が生じ、お餅や硬いものが食べられなくなる。
家族が皆でワイワイと楽しく談笑しながら、お祝いの食事をしている最中、私だけが苦痛に耐え、一生懸命咀嚼に集中して、ひきつり笑いをしている、なんて孤独で虚しい体験だろうか?
5月に入って、私は非常にネガティブな状況に見舞われている。
それは過去の癒されていない経験を思い出し、しっかりその感情を感じ切る必要があるからなのだろう。
私は寂しかった。
私は虚しかった。
私は一人ぼっちで苦しかったのだ!!
それでも家族に心配をかけたくなくて、一人で苦痛に耐えていた。
そしてこの苦痛が私で良かったと思っていた。
私だから耐えられる、我慢してニコニコと笑顔でいられる、それにこんな苦痛を大切な家族に味わわせたく無い!だから私で良かったんだ!と頑張っていた私。
そんな私に今言ってあげたい。
もう頑張らなくていいよ。
よく耐えたね。
優しい私 我慢強い私 あの不快な苦痛に耐え抜いた私。
私は私に感謝を伝える。
ありがとう♡
これからの人生は、私だけが我慢することはない。
と言うか、私だけが存在するこの世界で、その私本人さえも、真実はここにはいないのだから。
まだ本当の答えに辿り着けてはいないけれど、私は自分が体得した宇宙の法則を信頼する。
歯の痛みも、脳がそうリアルに思わせているだけで、本当の私はダメージなんて受けていないのだろう。
だからもう嘆いたりしない。
私は今ここで生きている奇跡に感謝して安心する。
それが次の幸せな場面を創ると信じて。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️