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シンプルな自分になっていく時


ずっと何かを成し遂げなければ、生きる価値はないと思っていた。

離婚してから、本格的に自分探しの旅が始まり、ひとつひとつ自分の思い込みに気づき、本来の自分を見つけられそうなところまで、たどり着くことが出来た。

冬至が近づいている今、やっとわかった真実がある。

それは何も出来ない自分、それこそが本来の自分だと認めること。

何も出来ない自分でいい!ということに気づくことが大切だったのだ。

私は何かを習得する為に、生まれて来たのだと信じていた、でも真実はその真逆だったのだ。

人と比べて何か優れたものがあるから、愛されるのではなく、素の何も持たないありのままの自分、それは魂とも言える部分、それこそが自分そのものであり、存在自体が素晴らしいことに気づきなさい、と宇宙から伝えてきている気がする。

だからもう無理に頑張らなくていい、シンプルな自分の素晴らしさに気づき、誰よりも自分が愛すること、それが学びだったのではないか?とわかってきたのだ。

誰かと比べて一番になろうとすること、優位な立場でいようとすること、私はそれらにこだわって、必死だった。

自分以外の人の素晴らしい才能や容姿に、嫉妬して、私は何もかも劣っていると、絶望して、どんどん世間から遠ざかり、家に閉じ籠るようになってしまった。

その劣等感が、現実の世界にも顕著に現れて、コンプレックスが強調され、誰にも相手にされず孤立していくような事態を引き起こしていた。

私にとって、何もしない自分、何も出来ない自分を認めることが、一番怖かったのだと最近気づいた。

才能を磨く為に努力する人間だけが、この世に存在を許されていると信じていたからだ。

私の見ている世界は、みんな努力していて、努力していない人は自滅していたから、でも努力している人達は幸せそうには見えなかった、みんな暗い表情で無理に頑張っているように見えた。

あんなに暗い表情になるくらいなら、努力しない方がましだと、それでも自滅したくはなくて、自分も暗い表情で努力する道を選んできたように思う。

noteの世界で、やっとこのままの自分でいても誰にも非難されないことに気づき、自分が好きなことを勇気を出して発信出来るようになった。

でも根底には、もっと成長しなければ、もっと学んで到達しなければ、立派な考えを持って責任を持って発信出来るようにしなければ、noteの世界にもいられなくなる!と怖れていた。

才能を開花させて、優れた自分で発信出来ることが、私の最大の目標になっていたのだ。

まだダメだ、もっともっと自分を高めなければ!と焦ると、記事を書くこと自体が苦痛になってくる、どうして楽しいはずのnoteがこんなに苦しいのか?わからず 矛盾していて、憂鬱だった頃を思い出す。

今もまだ、何かの才能を求めてしまう自分がいる、それでもあの頃よりずっと心が軽くなってきたのを実感している。

特別な才能を持たない、多くのことを器用にこなせない、難しいことを理解出来ない人間、それが私。

その自分を受け入れよう、そして厳しい私の要求によく耐えて頑張ってくれた自分に感謝しよう。

これからは誰よりも優れた才能を見つけようと必死になるのを止める。

誰とも比べず、ただ 今の自分を受け入れる、そして好きなところを沢山見つけて褒めてあげたいと思う。

もっと根本的な部分に気がつく私でいようと思う。

例えば、夕陽をキレイだと思える私素敵だね!とか、今日も起きて食事を用意して食べてくれて、生きようと活動してくれているのが素晴らしいことだよ!とか。

比較するのを止め、自分をシンプルに見つめる、このことに集中しようと思えるようになって、ようやく最大の苦しみから解き放たれる時が来たと感じている。

幸せをありがとう♡


ここまで読んでくださって感謝します。

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