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嫉妬の先を見つめる

私は今確かに嫉妬している。

大好きな人 茅子俊さんを想うあまり、彼の恋人役の美しい女優さんに、羨ましい~!と思い、いいなあ!美しい茅子俊さんには美しい女優さんがお似合いだなぁ!と悔しいような諦めたような複雑な心境になる。

私は心が狭いから、茅子俊さんが例えお芝居であっても、女性に愛しい表情を向けると、ざらついた嫌な気持ちが湧き上がってきてしまう。

ましてやその相手の女性が美しい女優さんなら、尚更私の入る余地は断たれたように感じて悲しくさえなるのである。

以前はそんな醜い心を持ってはいけない!と最大級のダメ出しをして、自分を律しようと頑張っていたけれど、そもそも嫉妬することはそんなにダメなんだろうか?と疑問に感じるようになった。

何故嫉妬してしまうのか?を追求していった先に、真実は見えてくるのではないだろうか?

その真実とは、嫉妬するのも愛のカタチなんだということだと思う。

大好きであればあるほど、独占したくてわがままになって、他の人が大好きな人に近づくことを許せなくなる。

そんな自己中心的な感覚も 愛であり、ダメなことではない。

結局は、更に大好きな人を深く愛することになり、純粋に愛そうとする力が働き、全部を許せるようになっていくのだろう。

言わば、嫉妬は究極の愛に結び付く途中経過とも捉えることができるのでは?と思った。

だからこの嫉妬期間も貴重な時間だと認識して、じっくりと味わってみればいい。

私の茅子俊さんへの愛は、上部だけの中途半端な薄っぺらい愛ではない。

私が地球に女性として生まれて、初めて魂が揺さぶられるほどの愛を感じた唯一無二の愛しい人なのだ。

思えば私は恋する対象を必死で探し、この人だと簡単に恋しては、その人の欠点を見つけて直ぐに冷めて、又次の恋を見つける為に彷徨うことを繰り返してきた。

私のこれ迄の半生で究極に恋した人は、初恋のO君だけだった。

でも茅子俊さんはそのO君を遥かに上回る程の、凄い影響力を持っていて、私のときめきは増すばかりだ。

茅子俊さんに会う為に、私は勇気をふりしぼり、この地球に生まれることを決めたのでは?とさえ思う。

そんなにも特別な人は彼の他にはいない。

そして私はどんどん意識が拡大しているのを感じていて、これ迄の常識の世界を取っ払い、無限の宇宙からの視点で茅子俊さんを見つめようとしていることに気づいた。

だからこそ、嫉妬がダメで醜い心だと決めつけるのは止めようと思えたのだ。

嫉妬したっていい、それ程までに茅子俊さんを愛しているということなんだと、嫉妬が芽生えるくらい 好きな人を見つけることができて、私は幸せ者なんだと思った。

今も時々、初恋のO君を追いかけた日々を思い出す。

私は嫉妬するよりも、彼の姿を見る為だけに、全身全霊で意識を今に集中させていた。

お昼休みに廊下を通るO君の姿を見ることが、自分の使命であるかのように感じていたから、お弁当箱はデザート入れのミニサイズで、瞬時に完食して、彼が通るのを見逃さないように待機する。

確かに私はO君の周りの女子の存在なんて、全く気にしたことはなかった。

とにかくO君を好きな自分が愛しくて、なんて可愛い性格だと、恋する乙女の自分を自画自賛して満足していたのだ。

恋する乙女である私を、魂は最初から望んでくれていたことに、今改めて気づいた。

だからもう、茅子俊さんを想う私を止めはしない。

嫉妬もして、わがままになって、そしてその先の究極の愛を体現する。

その願いが叶った時の私は、眩しい光を放ち、純粋な美しい愛のエネルギーを生み出せているに違いない。

そんな私に出会える時が楽しみだ。


美しい2人の画像を見ていると、嫉妬とは違う言葉では表せない何か?を感じる。
私はもう常識の世界に囚われてはいないのかもしれない。
意識は拡大してどんどん自由になってきている。
だからこの画像を美しい作品として愛でることができるのだ。
どっちにしても、私の茅子俊さんへの愛は永久に色褪せない。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️








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