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厳しい私から優しい私へ

昨日のこと。

ドラッグストアに日用品とお米を買いに出かけた。

レジに並んでいると、年配の女性が大きな声でレジ担当の店員さんに、何か一生懸命訴え始めた。

少し記憶が曖昧になっておられるようで、商品を入れたカゴを何処かに置き忘れて、慌てておられる様子だった。

女性の店員さんは、そんなお客様に対しても苛立ちを見せず、丁寧に優しく返事されていて、聞いている私までが癒された。

その年配の女性は、どんどんワガママな要求にエスカレートしていき、こうして欲しい!と主張されている。

それでも全く店員さんの態度は変わらず、優しいままで、そうですね分かりました、とニコニコと返事をしておられた。

私はかつて、色んなお店のレジでのお客様と店員さんのやりとりを、沢山目撃してきた。

お客様が例え年配の方であっても、ワガママを言えば、店員さんは冷たく無表情に突き放した態度で、決してお客様に寄り添う応対はしていなかった。

それを見ている私も、とても嫌な気持ちになり、この世界の殺伐とした虚しさを感じて、憂鬱になったものだ。

昨日はあんなにワガママ放題の年配の女性に対して、店員さんはずっと優しく応対されていた。

すっかり私の世界は優しくなったことを実感した。

私の番になり、いつものレジ担当の女性店員さんと挨拶を交わす。

今回は割引券が使えるので、店員さんに差し出した。

その店員さんは、ちょっと焦りブツブツと独り言を呟きながら、何とかその割引券の対処の仕方を思い出し、どの商品を割引くのかをマニュアル通りに選び、レジを操作されていた。

そして合計額が出たので、私は4000円のお釣りをもらうつもりで、小銭をピッタリ出し、1万円札と共にトレーに入れた。

ところが、その店員さんは割引券の対応で精一杯の様子だったらしく、小銭の存在を見逃し、1万円札だけだと判断して、お釣りを渡そうとされたのだ。

私は戸惑い、一瞬それでも良いか?と迷った。

すると店員さんは、私の出した小銭に気づき、益々慌てて自分の失敗の言い訳を始めた、まるで私が失敗した時のように、とても一生懸命に相手に分かって欲しくて、頑張って説明しておられる。

私は優しく微笑みながら、こちらこそややこしくしてすみません と謝った。

そしてお互いに笑顔でありがとうございます!と感謝しあった。

私は優しくなった。

相手の失敗を責めることも無い。

元々私はあからさまに相手を攻撃することはしない、ただ心の中では失敗を許せず、いつまでもその不快感を引きずるタイプだった。

でも昨日の私は、全く店員さんに怒りを感じず、それよりもその店員さんと私を同一化して捉え、自分を労るように優しく接することができた。

この感覚が心地よかった♫

私はあの店員さんのように、一つのことに集中する余り、他のことがお留守になりがちで、同時に複数の作業をこなすのが苦手だ。

パニックになり もたもたしてしまう自分を、以前は冷めた目で見下し、冷たく突き放してきた私。

それが外にも反映して、不快なやり取りを目撃することに繋がっていたのかもしれない。

厳しい私から優しい私へと変わってきた。

だから優しい光景を見る機会が増えたのだ。

私が変われば見える世界も変わる。

宇宙の法則を体現できてとっても嬉しい♡



ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️

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