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たこ焼きやけた by 春木よしの

 「地球はたこ焼きの形――――!」
 つけっぱなしのテレビから、どっかのアイドルが叫んでいるのが聞こえてくる。
 なんやそれ。まあ確かに、丸やなぁ。俺は、そう思いながら今まさにグツグツと焼き上がりつつあるたこ焼きを、ひっくり返そうとしていた。
 今日は土曜日だから店は忙しくて、客足は途絶えない。この店『たこ焼きコロコロ』は、たこ焼きとハイボールを看板に小皿料理も充実している。
 俺はこの店に、大学2年生の頃から勤めていて、かれこれ10年になる。時が経つのは早い。だからといって、店長とか責任者とかそんな地位にはなく、昨日から焼き始めた高校生のバイトくんと同じポジションをキープしている。
 俺の本業は、バンドマンだ。俺はそう思っている。バンドは、大学のサークル活動から始めた。曲は俺が作っている。ギターでコード進行を考えてから、メロディを紡いでいく。俺がいないとバンドは成り立たないとも思う。夢中になっているうちに少しずつファンが付き、ライブハウスでは期待のバンドとして紹介された。そして、気づけば就職活動はスルーしていた。
 『たこ焼きコロコロ』は、そんな俺をふわっと受け止めてくれる素晴らしい店だ。休みたいときに休み、働きたいときに働ける。まさにホワイトな職場だ。店長が、俺のバンド活動を理解してくれているのだ。店長の口ぐせは、「なんとかなる」だが、何ともならない時でも、とりあえずそう口走る傾向にあることを俺は知っている。まあ、店長の鷹揚さのおかげで俺はバンドを続けてこられた。
 バンド活動は、練習やら企画イベントやら忙しい。知り合いから対バンを申し込まれることだってある。だから、一般社会の暦や休日とはかけ離れた日々を送るしかないのだ。
「ソースたこ焼き、早うしてや」
「はーい、もうまもなく!」
 たこ焼き専用の鉄板の上で半球体のたこ焼きに、たこ焼きピックを刺して、いつものようにくるりとひっくり返していく。ほどなく、まだ固まっていない生地がもう半分の球体を作り上げるはずだ。
 はいはい、待っててや。俺は心の中でつぶやく。
 いつものように、いつものタイミングで。さあ、そろそろ、できあがりのはず。
 ……ん?
 何かが、おかしい。
 たこ焼きが丸くならないのだ。コロコロまん丸の地球みたいなたこ焼きができるはずなのに。今日は、どこかいびつな形ばかりが出来上がる。
 ぼこっと陥没したような形、一回は丸くなったが表面が破けてしまったような形、生地がどうしても固まらず、どろっとしたしたままのたこ焼きもある。とにかく、一つも完璧なたこ焼きが出来上がらない。
 タイミングが早すぎたのか? 生地の量が少なかったのか?
 昨日から焼き始めた高校生のバイトくんのたこ焼きがほどなく出来上がり、ソースたこ焼きを待っていたテイクアウトの客は満足そうに行ってしまった。高校生のバイトくんのたこ焼きは、コロコロまん丸の地球みたいに出来上がっていく。家でタコパする時も焼きを担当していると、自慢げに話していたことを思い出した。
 俺は、その後、いつも通りの手順で何度もやり直した。けれど、なぜだか一つも完璧なたこ焼きはできることなく、高校生のバイトくんに任せて早退した。
 俺の家は、広すぎるだけの居心地が良いとは言えない家である。キャッチボールができるサイズの庭があるが、父と息子がキャッチボールなどという微笑ましい光景が見られることは一度もなかった。おとんは死ぬ間際まで市議会議員として長く市政に携わり、ある意味我が家はこのあたりでは知られた家だった。現在の住人は、おかんと俺と年老いたビーグル、二人と一匹である。
「今日、なんでか知らんけど、たこ焼き焼けへんかってん」
「は? 何言ってんの?」
 おかんは、あきれた顔で俺を見た。老犬の“マル”も俺の顔を不思議そうに見る。
「いや、たこ焼きがなあ。どうしてもコロコロのまん丸に焼けんかってん。いつも通りにやってんのに。変やねん」
「食べられたらええんちゃうのん」
「いやいやいや、そういうわけにもいかんやろ。こっちは商売でやってるんやから」
「ああ、そやな。あんたはたこ焼き屋やった」
「もー。嫌み言わんとってや。バンドもそこそこ仕事になってきてんねんし」
「はいはい。たこ焼きコロコロなあ」
「で、何でやろ」
「知らんがな」
「どうしたらええんやろ」
「知らんがな。AIにでも聞いたらええやん」
「あ、せやな。Siriでいいか……」
「単純なのがあんたのいいところや。」
 俺は、おもむろにスマホを持ち出して、Siriに問う。けれど、はっきりとした答えはわからないままだった。というか、教えてくれる情報は、百も承知なことばかりだった。生地の量とかタイミングとかそんなことは、誰よりも知っている。それでもだめだから困っているのに。とはいえ、明日になれば、何事もなかったようにいつも通りコロコロのまん丸に出来上がるに違いないと自分に言い聞かせた。
 おかんは老犬マルの頭をなでながら、おもむろに歌い始めた。
「まあるく、まあるく、まあるくな~」
 のんきな歌を聞きながら、マルは、床に転がってお腹まで差し出してしまっている。そもそも、ビーグル犬は狩猟犬としてウサギ狩りのお供をするような犬種だったはずだ。育った環境とは恐ろしい。
 マルは、いつも中立な立場を守っていた。生前、おとんが選挙活動で殺気だって帰ってきても、足下にすり寄れるのはマルだけだった。おかんでさえ近づけないほどだったのに、マルだけは父のパーソナルスペースにあっさりと受け入れられていた。おとんはいつも「我が市のために」「日本のために」「世界のために」「地球のために」などと、大きめの言葉を並べていたが、俺に響く言葉はなかった。でも、マルだけはおとんの演説を真剣な顔で聞いていた。
 あの事件の時もそうだ。おかんが公職選挙法で書類送検された時のことだ。ウグイス嬢に法律の規定の上限を超える報酬を支払ったということだった。おとんに言われた通り支払っただけなのに、おかんの一存で行われたことになってしまった。警察から帰ってきたおかんは、意外にさっぱりした顔をしていたけれど、ソファに座り込むと宙を見つめるように固まっていた。そんな時もマルは、いつも通りおかんの膝に寝そべり、お腹を差し出しながら『ここお願いします』と訴える。おかんは、マルのお腹の柔らかい部分を優しくなでながらこらえきれず泣いた。
 俺が家を出て数年後、おとんがいなくなった家に出戻ってきた時も、いつも通りの対応だった。「おかえり」という視線を俺に向けて寄り添ってきた。
 マルは、いつも家族の中心で皆の様子を見守っているのだ。
 今日も、おかんののんきな歌を聴き終えると、自分の仕事は終わったとばかりにマル専用のクッションの方へ歩き出す。しかし、いつもより足取りが重い。重心が傾くのか、まっすぐに歩けない。
「マル? どうした?」
 マルは、かまわず歩こうとするが、やはりよたよたと足取りがおぼつかない。
「あかん。マルが変や」
「あんたと同じにせんといてや。……え、マルどうしたん? よたよたしてしもて。歩けへんのか?」
 マルは、お気に入りのクッションにたどり着くことができず、バタリと床にへたり込んでしまった。
「マル!」
おかんと俺の声が重なる。
「あかん。マル、やっぱり変や」
「そういえばここのところ、食欲もなかったしなぁ」
「この暑さは、人も犬も堪えられんわなぁ」
 この夏は、とてつもない暑さが続いている。おかんは、マルを抱えてクッションの上に寝かせて、頭をなでながら心配そうに見守った。

 6年前、俺はこの家を出た。おとんは中途半端に夢を追う俺が気に入らない。俺は外面だけのおとんが気に入らない。その時はそう思っていた。   
 昔から、創作活動のメインタイムは真夜中だった。もちろんヘッドフォンを使って音が漏れないように努めていたが、なぜだかいつも、おとんに気配が伝わるのだ。
「おい、ガチャガチャなにやってる」
「……」
 おとんのイライラした声が、ドアの向こうから聞こえてくる。
「夜は寝るもんや。早う寝ぇ」
「音は漏れてないやろ。ヘッドフォン使ってるし」
「煌々と電気つけて、ご近所さんに迷惑や。うちは信頼を積み重ねて今があるんや。ええ加減にせえ」
「そこは、そう気にならんとこやと思うけどなあ。むしろ、おかんが捕まったことやろ」
「なんやと!大学出て、まともに就職もせんとぷらぷらしとるもんがわかったようなこと言うな」
「はあ? 捕まるのはおとんやったはずや。家族に迷惑かけるような仕事しとんのは、そっちやろ。それに、俺は、ぷらぷらしとるわけやない」
「大きな口たたきやがって。えらそうに」
「偉そうにしとんのは、おとんやろ」
「一人前の仕事をしてからものを言え。この家でぬくぬくやってるやつに、偉そうに言う権利はない」
「ああ、一人でやっていくよ。こんな家出ていくから」
「好きにせえ」
 売り言葉に買い言葉だったが、勢いがついてしまった。俺は、そのあと家を出た。少ない荷物とギターを抱えて出ていく俺を、マルは寂しそうに眺めていた。
 次の年、おかんから届いた年賀状にはマルの写真がプリントされていた。戌年だったからだ。ハガキの隅に、おとんが体調を崩していることや本当は俺を気にかけていることが記されていた。
 おとんが亡くなったのは、その年の夏だった。熱中症で倒れたのだった。
 とてつもなく暑い夏だった。その日は突然の雷雨で、雨宿りがてら店内に人があふれていた。
 おかんは、携帯へ何度もメッセージを送ってくれていた。物心ついてから”死“に直面することがなかった俺は、まさか本当に死んでしまうとは思っていなかった。人の死がこんなに近くにあるものだとも思っていなかった。俺は意固地な自分の殻を破れないまま、最期の瞬間に立ち会うことも葬式に出ることもなかった。

 今日も変わらず、『たこ焼きコロコロ』は忙しい。駅前ということもあるし、気軽に一杯飲めることも売りなのだ。バイトくんは急用で休むと連絡が入った。店長と俺の二人で調理場を回す。
 いつもの通り、粉と水、卵、だしを混ぜて生地を作る。たこ焼き専用の鉄板に、いつもより慎重に生地を流し込み、たこと天かす、ねぎ、紅ショウガを加えていく。いつもの通り、いつもの通り……。
 俺は、たこ焼きがグツグツと焼きあがりつつあるのをしっかりと確認した。たこ焼きの半球の表面が固まっていることは確実だった。今だ。たこ焼き串でリズムよくひっくり返す。これで、まだ固まっていない生地が残りの半球になって、コロコロまん丸の地球みたいなたこ焼きができるはずだ。
 ……え?
 そんなあほな。俺は思わずたこ焼きにつっこんだ。
 やっぱり、完璧なコロコロまん丸には出来上がらないのだ。なんでや。
 もしかしたら、これは技術的な問題じゃないのかもしれん。じゃあ、なんで?
 その時、調理用白衣のポケットで携帯が鳴った。母からだ。仕事中に連絡してくることなどない母が携帯を鳴らすのだから急用なのだ。
「マルが動かへん。息もおかしいし」
 おかんの声が上ずっている。おかんは元々カラッとした性格だったが、おとんが亡くなってからは涙もろくなった。うれしい時も悲しい時もとりあえず泣く。今も、涙が流れているに違いない。
 俺は、すでに満員の店内を見渡して、ふう、と息をはいた。やばい、店長の鉄板だけでは間に合わん。
「今、たこ焼き焼いとんねん。バイトくん休みやし」
「……せやなあ」
 おかんは自分の思いを強く押し付けることはしないタイプだ。だから、あのおとんとやってこられたのだとも思う。
 店の外が急に暗く曇る。夏独特の空模様だが、ひどく大きな雷の音も聞こえる。ほどなく、大粒の雨が降り出し、駅前のごった返した人の波が足早に屋内へ入っていく。もちろん、『たこ焼きコロコロ』にも人は流れ、あっという間に席は埋まり、テイクアウトを待つという体裁で雨宿りする人すらいる状況だ。おとんが死んだ日と同じだ。
 俺は、懸命にたこ焼きを焼く。けれど、たこ焼きは焼けない。
 何かがおかしい。丸にならない、何か。
 俺の丸にならない何か。
 あの日、おとんの具合が悪いと連絡が入ったが、家に戻ることはしなかった。
 俺はおとんに向き合うのが怖かったんや。自分に向き合うのも怖かったんや。
 もうわかってるやろ、なあ、俺。自分に言い聞かす。
 おかんの優しさと悲しみを受け止められんのか? なあ、俺。
「どないした? 焼けとるか?」
 店長は俺の鉄板をのぞき込む。
「すんません。この前とおんなじで焼けへん」
「無理すんな。お前、調子悪いんちゃうか。帰るか」
「いやいや、こんな状況で、放り出すわけにいかんし」
「なんとかなる」
 店はお客さんであふれているが、店長は根拠のない自信にあふれている。
「店長、すんません。俺、家に帰らなあかん。俺、今動かなあかん」
「おう。せやな」
「すんません」
「なんとかなる」
 俺は、店を飛び出した。
 おかんとマルのもとに駆けつけると、一人と一匹は安心した表情をした。  俺は、その顔を見てほっとする。近くにいる誰かのために、大切な誰かのため動く、俺。
 そのうち俺も、街の人のためとか、国のためとか、世界のためとか、地球のためとか言うかもしれへん。おとんみたいに。
 マルは、穏やかな表情でこの世を去った。おかんはマルの亡骸をなでながら涙があふれていたが、満足そうでもあった。俺は、やっと前にすすめるんやと思った。
「おかん、いろいろ悪かった。おとんのことも、いろいろ」
 俺は、うまくは言えなかったが、おかんはうなずいている。
「まあるく、まあるく、まあるくな~」
 おかんは、マルの頭をなでながら歌いだす。
「まあるく、まあるく、まあるくな~」
 俺も、歌う。

 次の日、なんとなくそうなるんちゃうかと予想した通り、たこ焼きはコロコロまん丸の地球みたいに焼けた。
 そう、毎日、いつものように、まあるく、まあるく、たこ焼きが焼けている。

                                              了

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