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私の生活の重要な場所に、いつも猫が居る。
私がおぎゃあと誕生したその時にも、幼稚園、小・中・高と多感な時期にも、大学を卒業したはいいが社会に出て派手にすっ転んだ時にも、いつも、いつでも、猫が居た。人間との縁もさることながら、猫との縁もまた、ずいぶん異なもの味なものである。
人間との生活と、猫との生活。
そこには決定的に大きな違いがある。
「言葉」を交わさない、ということだ。
猫との言葉が通じないもどかしさが、私の想像力を逞しく育てたと言っても過言ではない。
どの猫との出会いにも愛おしき膨大なエピソードがあるのだが、2021年の7月に出会った黒猫の話を書こうと思う。
7月18日。いわき市小名浜の山で保護されたという、黒猫三兄妹の内の一匹が我が家へやって来た。
まだ生まれて三ヶ月ほどの小さな身体で、長引く猫風邪をこじらせ、くしゃみを連発しながらも好奇心旺盛に走り回るそのすばしっこいオス猫は、保護したTさんに「忍者くん」と呼ばれていた。(彼よりも猫風邪がひどく治療が長引いた兄妹猫たちも、すぐに家が決まったと聞いて安堵した)
我が家では、猫たちの名前を穀物から取っていた。ヨネ(米)、アズキ(小豆)、そしてコムギ(小麦)。
それに倣い、その黒猫の名を「ゲンマイ(玄米)」とした。
ゲンマイは内弁慶で、家族以外の者が来訪すると、低く短く「うぅ…」と唸ったっきり出てこない。大変な甘えん坊で、部屋の戸を閉めていると、開けてくれと戸をカリカリ引っ掻いて、高い声で「にゃあ」と鳴く。
ある秋の夜、風呂上がり。
ドライヤーで髪を乾かしていると、いつものようにゲンマイが引き戸をカリカリ、「にゃあ」としきりに鳴く。
あまりにも鳴くので、「はいはい」と脱衣場の引き戸を開けた瞬間――人生で初めて、大泉逸郎のヒット曲「孫」が脳内で爆音再生された。
しかも、冒頭サビの部分がエンドレスに…。
雷に打たれたような、衝撃だった。
顔も素性も知らないゲンマイの生みの親に対し、猛烈に感謝の気持ちが込み上げて来て、
「ゲンマイを生んでくれてありがとう!!」
と、その感謝の意を伝えに、今すぐ小名浜の山へと駆けて行きたい気分だった。
この、なんとも形容しがたい、温かい気持ちが胸に到来してからというもの、私の人生の温度が変わった。大切な誰かや大切な場所、大切な何かに出くわすたび、その温かさはじんわりと私の心身を包むようになった。
脱衣場の戸を開け、小さなゲンマイを抱き上げたあの瞬間――「ここは安全で、安心で、暖かくて、ぐっすり眠れる場所だから大丈夫だよ」と彼の目を見つめた途端、愛おしさとともに込み上げて来たのは、過酷な境遇を生き抜いた彼の生命力へのリスペクトと慈愛だったのだと思う。
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はやいもので、あれから四年の月日が経った。
よく遊び、よく食べる体重5.8kgのゲンマイは、今日も戸をカリカリ引っ掻いて、開けてくれと高い声で「にゃあ」と鳴く。